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ブックマーク / note.com/onoholiday (17)

  • ”一発アウト”の文化 キャンセル・カルチャーに未来はあるか|小野ほりでい

    「あなたを応援していましたが、今回の発言には失望しました。これでもうファンをやめさせて頂きます。」 アメリカでは有名人や影響力のある発信者の言動をめぐって公の場に引きずり出し、罰したり恥じ入らせたりする文化がコールアウト・カルチャーと呼ばれるが、なかでも発信側の個人や企業に「深く失望」し、「あなたは用済みだ」と再起不能の烙印を押すような文化はキャンセル・カルチャーと呼ばれる。 キャンセル・カルチャーの支持者の視点では、この文化は権力者やマジョリティに対する「弱者のカウンター」であり、キャンセル・カルチャーの有効性を問い直すことはそれ自体が「強者への加担」だということになる。 しかし、実のところキャンセル・カルチャーという手法はイデオロギーをまたいで日常的に利用されている。たとえば有力者の差別・偏見に基づいた発言、ハラスメントや搾取を発端としたキャンセルはリベラル的な立場と結び付けられるが、

    ”一発アウト”の文化 キャンセル・カルチャーに未来はあるか|小野ほりでい
    maturi
    maturi 2023/01/09
    2020"「善にブレーキをかける」ものが悪とされる"
  • 「性善説の人」はなぜ争うのか|小野ほりでい

    相反する立場で争っている人間たちが互いに極度に似通っているということはあまり珍しくないが、ネット上では特にその傾向は強いように思われる。 特に、加害者と被害者、強者と弱者といった二元論的対立は、最終的には互いが相手のほうこそ加害者であり、真の被害者は我々のほうであるといったふうな堂々巡りに帰着することが多いが、こういった議論では立場Xと立場Yがそれぞれの加害性の否認にリソースを割いてしまい、その加害性を必然たらしめている構造Zにまで及ぶことが少ない。 そして、二元論的な対立では「差別対反差別」のような、一見するとどちらが正義でどちらが悪かはっきりしているような問題でも、糾弾する側とされる側の勧善懲悪的世界観が「似通っている」ことが多く見られる。 それは差別だー差別ではない! ネット上の反差別運動とさらに反ー反差別運動を横断している大きな誤解とはまず、差別の有無を悪意の有無と厳密に結びつける

    「性善説の人」はなぜ争うのか|小野ほりでい
  • リアリストはなぜ話が通じないのか?|小野ほりでい

    どんな人も、何かを特別に重要だと考えることによって生きる糧にしています。その多くは、社会で成功してお金を稼ぐこととか、子供を育てることとか、あるいは信仰的なものかもしれませんが、もっと個人的なものに対する愛好を糧に生きている人はオタクなどと呼ばれたりしますね。 いずれにせよ、その「信じているものがある」から生きていける、という主観的な部分を取り沙汰すれば、どんな人もオタク的であるという言い方もできるかもしれません。 一方で、特別に個人的なものを糧にして生きている人にとって避けられないのは、「自分が信じている」ものの価値を冷笑されたり、否定されるという経験です。特に、趣味を持っている人は、以下のような物言いをする人たちに遭遇したことがあるかもしれません。 このような物言いをする人たちは、自分のことをリアリスト(現実主義者)だと言ったり、思っていたりするようです。リアリストにとって、自明に存在

    リアリストはなぜ話が通じないのか?|小野ほりでい
  • 「井戸に毒」のデマに見る、「2ちゃんねる的インターネット」を引きずる人々|小野ほりでい

    2021年2月13日の地震後、Twitterなどで「~~が井戸に毒を入れた」というデマが多数投稿されました(現在は多数のアカウントが凍結済み)。これは1923年の関東大震災後の(虐殺の発端ともなった)悪質なデマが再生産されたものですが、なかでも一部は「匿名掲示板型のアイロニー」という文脈によってパロディされたものであり、擁護する立場の者の主張によれば、これは「パロディ(つまりパロディ元への批判的な笑い)」―――すなわち「ネタ」であるので問題ではない、とのことです。 このような書き込みが「なぜ問題なのか」については、もはや説明するまでもないほどに論じ尽くされているので、今回はむしろ「なぜこのような書き込みが起こったのか」について考えてみましょう。 アイロニーとしてのパロディ さて、先ほど触れたように、この「悪質なデマのパロディ」および「これは政権による人工地震だ」というような「パラノイア的な

    「井戸に毒」のデマに見る、「2ちゃんねる的インターネット」を引きずる人々|小野ほりでい
    maturi
    maturi 2021/02/19
  • どうしてインターネットの人は喧嘩ばかりするの?|小野ほりでい

    まさひろくん、質問ありがとう。どうしてインターネットの大人たちはけんかばかりするのか、ということについては、大人たちもいつも考えていることだけれど、よく分かっていないね。でも、まさひろくんのような子どもだちは、将来、いまの大人のように愚かな争いに加担してほしくないから、知っている範囲で説明できたらと思う。 「ハグとキス」とは何か 今のテレビはもはや、視聴者に何を感じるべきか教えるものだ。もう、何を考えるべきか教えるものではない。 『イーストエンダーズ』からリアリティ番組に至るまで、あなたは他人の感情を旅する。そして編集によってテレビは、みなが合意できる感情のあり方をやさしく伝えてくるのだ。僕はそれを「ハグとキス」と呼んでいる。 この表現は、マーク・レイブンヒルの秀れた論評から借用したものだが、それによると、今日のテレビを分析すれば、それは誰が「嫌な気持ち」、そして誰が「いい気持ち」を経験し

    どうしてインターネットの人は喧嘩ばかりするの?|小野ほりでい
  • 反出生主義はやさしさの塊|小野ほりでい

    どうやら、「反出生主義」と聞くと反射的に不快な感情を抱く人が多いようだ。確かに、内容をよく知らずに字面だけを見ると自分が不幸に暮らしているだけの人がその主観を人類全体に拡大して「産むな」と生命そのものを呪っているような印象を受けるかも知れないし、実際にそういう側面もあるだろう。生まれたこと、存在していることが幸福であるか苦痛であるかなんてその人にしか決められないし、場合によっては人にも分からない。しかしそれは逆に言えば、産んでおけば何がなんでも感謝してもらえるわけでもないということを示している。 それはともかくとして、どっちにしろこの反出生主義という考え方は時代にマッチしていてとても有用な側面があり、脊髄反射で否定するには勿体ない代物ではないかと思う。なにも反出生主義という立場に立って、その思想に同調しなくとも、視点として持っておくだけでよいのだから。 ”とりあえず”産むか産まないか

    反出生主義はやさしさの塊|小野ほりでい
  • 炎上マーケティングしたときに起こること|小野ほりでい

    Go Toでちょっと高い旅館に泊まったら、大失敗。出てきた夕がこれ。さらに天麩羅とごはん、お吸い物。多すぎて到底べきれない。シニア層がメインターゲットのはずなので、つまり廃棄前提(としか思えないし、実際にかなりの廃棄が出ているはず)。不味くはないけど、体験価値としては…… pic.twitter.com/hw3xsCQTfM — よりかね けいいち@子どもに伝えたいIT/メディアリテラシー(noteサークル) (@k_yorikane) August 10, 2020 先日、「旅館で出てきた料理が多すぎる」という苦言風のtweetが拡散し、結果的に宣伝効果があったこと、そして発信者のプロフィールに「田端大学」というキーワードがあったことから「炎上マーケティングではないか」と話題になりました。 この田端信太郎という方を調べてみると、以前にも「コロナ禍で同業者が倒産すれば競合が減るのだから

    炎上マーケティングしたときに起こること|小野ほりでい
    maturi
    maturi 2020/08/20
  • 【コロナ】怖がってくれない人たちについて|小野ほりでい

    今回のコロナ禍では、世界中で「どうしてそうなるの?」と疑問に思うようなできごとがたくさん起きていますね。記憶に新しいのは、テキサスで「ウイルスはデマだ」と考えていた30歳の男性が罹患者と触れ合ういわゆる「コロナパーティ」に参加し、死亡したというニュース(付記:このニュース自体がデマではないかという指摘もあります)です。 人間は何らかのリスクに直面すると(生命でなく)精神を防衛するためにさまざまな策をめぐらすのですが、この性質についてよく知っておくと今起きていること、今後起こるであろうことに対する理解が深まるかもしれません。今から書く見方は仮定を多分に含みますが、身近な考える足がかりにしていただければと思います。 頑なにリスクを認めない人 さて、まず問題になるのはどんなに説得してもリスクを認めようとしない人々のことです。コロナは単なる風邪だとか、昔からある病気だから今までどおりに過ごすべきだ

    【コロナ】怖がってくれない人たちについて|小野ほりでい
    maturi
    maturi 2020/07/17
    この激安のメメント・モリが激安である理由は、表面上は自分が死を受け入れているスタンスでありながら、実際には病気や死の苦痛も、また死に直面した自分がどれほど見苦しく生に執着するかという具体的想像も全く
  • 攻撃的な人は強い人ではない|小野ほりでい

    先日、ジャーナリストの伊藤詩織さんに対する名誉毀損で計3人が提訴されたのを受けて、うちの一人である漫画家のはすみとしこさんがSNS上で反応を示した。内容は伊藤さんに向けて、あなたの提訴の影響で私のところにも誹謗中傷が集まっているとか、自死した木村花さんを引き合いに出して「私がそうならないように注意すべきだ」というようなもので、端的に言えば自分を被害者の立場に置いて提訴してきている相手に甘えるようなものである。 ご存知でない方に説明すると、はすみさんは「そうだ難民しよう」という文言を加えて、他人の金でしたたかに生きているように演出した難民少女のイラストだとか、冒頭の顛末の原因となった、性被害者が実は枕営業を試みていたという趣旨のイラストに類する、勇ましい反リベラル的な風刺画を持ち味にしている方であり、このような弱々しい態度は少なからず意外な印象を受ける。 ネット上では特に、勇ましくふるまって

    攻撃的な人は強い人ではない|小野ほりでい
    maturi
    maturi 2020/06/17
  • 夢、という病気|小野ほりでい

    僕たちは皆、生まれてほとんど間もないときから、それこそ物心つく前から夢を持て、と言われて育つ。大人たちにはしつこく将来何になりたいのか、夢はあるのか、と言われ、映画を見れば夢を持ち、それに向けて邁進し、幸福な人生を獲得せよ、と言われる。歌を聞いても、を読んでも、成功したという人に会っても、同じことを言われる。 だが、僕らのほとんどは、つまらない事務作業をこなしたり、地面に穴を掘ったり、トイレを掃除したり、四六時中くだらない文字や記号の羅列を書かされて生活することになる。シンデレラがトイレ掃除をして金持ちの王子と結婚するのに対して、僕たちは反対に夢を持って生まれ、最終的にはトイレ掃除をして死ぬ。世の中で必要とされているのはそういう、くだらないことばかりだけれど、誰かがやらなければ回らなくなるようなことばかりだ。 古い物語のなかに登場する幸福、というものは非現実的で、いかにも気休めという感じ

    夢、という病気|小野ほりでい
    maturi
    maturi 2020/05/16
    シンデレラがトイレ掃除をして金持ちの王子と結婚するのに対して、僕たちは反対に夢を持って生まれ、最終的にはトイレ掃除をして死ぬ。
  • 「我慢」し続けたときに起こることー分裂について|小野ほりでい

    わたしたちが保護された、無力な子ども時代に身につけたひとつの自己保存の方法―――屈従すること、我慢すること、感じないこと―――は無意識に保存される。この原則は、それを自覚するまで何度でも、重要な選択の場面で呼び出され、無反省に繰り返される。 子どもであるわたしたちは弱く、自力で生活できないために、親が何を望み、何を感じさせたいかを鋭敏に察知し、愛されようと努力する。愛が得られなくても、似たようなものを必死で愛情であると誤認し、理想化することで自我の安定を保とうと試みる。 このとき、親が理想化された像と抑圧された像に分裂するのと同じように、子どもであるわたしたちの心も分裂する。親に屈従し、我慢し、耐え、傷つくための自己と、いたましい外界から隔離された、安全で潔癖な幻想に閉じこもる、理想化された繊細な自己である。 大人になったわたしたちも同様に、生きるために「我慢する」「屈従する」という選択を

    「我慢」し続けたときに起こることー分裂について|小野ほりでい
    maturi
    maturi 2020/05/16
    わたしたちは「理想化された/純粋なわたし」を自分の心の中につくり、「生きるためにあきらめるわたし/卑屈なわたし」という、現実の他者と外交をはかる「わたし」から隔離する。
  • 些細なことで傷ついてしまう人たち|小野ほりでい

    少しのことで傷ついてしまう人について考えてみよう。 少しのことで傷つく人について端的に言い表すと、「持っている枠がでかい」のである。 持っている枠がでかい、とはどういうことかというと、たとえば何か嫌なことがある。ふつうの人は「嫌なことがあったな」で終わる。だが、余計に傷つく人というのは、「今日は嫌な一日だな」とか、「自分はこういう嫌な人間なのだな」とか、「こういうことが起きる人生が、自分という不幸な人間の人生なんだな」というところまで考える。 有体に言って、不幸な人というのはみんなこういう考え方をしている。一事が万事なのである。 これまで、人の持っているある面、あるいはその人の行動などを、その人の一部と考えず、全体(つまりその人の質)と考えることの危うさについて説いてきた。そして同様に、「一部から全体を考える」、つまりものごとについてそれ自体でなく「それを覆っている大きな枠、そしてその

    些細なことで傷ついてしまう人たち|小野ほりでい
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    maturi 2020/05/16
    喩えマン|こうすれば幸福になれるというアドバイスは不幸の条件をよりシビアにする
  • "有用性"は精神病の入り口ではないか|小野ほりでい

    はじめに言っておくと、これから書くことはこの1年ほどを費やしてようやく考えるに至ったあることについて、前提をすっ飛ばして結論だけを書くような内容なので、わけがわからないということがあるかもしれない。同時に、もともと分かっている人からすれば全く意味のない内容かもしれない。いずれにせよ、あまり役に立つ文章ではないことを踏まえて最後まで読んでいただければと思う。 先日、相模原の障害者施設で入所者・職員計45人を刃物で死傷させた被告に死刑が言い渡された。この男は、その障害者施設で「他人のお金と時間を奪う重度障害者は死んだほうが良い」という確信的な意志を持って犯行に及んだという。報道によれば、この優生思想的な考え方は、世の政治家や実業家といった「合理主義的で生産性を重んじるような」著名人の発言を受けて総合的に肉付けされていったものであるらしい。実業家が功利主義的であったり新自由主義的に振舞うのは何も

    "有用性"は精神病の入り口ではないか|小野ほりでい
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    maturi 2020/05/16
    有用性にまつわるダブルバインド
  • 政治的な発言は誰でもしていいよって話|小野ほりでい

    こんにちは!小野ほりでいだよ。 最近、SNSやネット上で政治的な発言や意見を目にする機会が多くなったね。僕は基的に、ネットでは「ネコの画像とか面白い漫画のほうが見たい!」と思っているのだが、それでもいろんな意見が活発に出されているのは良いことだと思うね。なぜなら、色んな意見が自然に出されていてどれも不当に抑圧されていないというのは民主主義で大事な前提だからだ! でも最近、「有名人や音楽家は政治的な発言するな」とか「内容によらずもう意見自体を言うな」みたいなことを言う人たちも沢山いるように見えるね。それは少しまずいと思うので、少し面倒ではあるが今から書くことについて考えてほしいと思います。 △意見が異なっていても「言うな」とはならないのが民主主義じゃんね まず民主主義の国では「みんなの意見が違う」ということが前提になっているね。みんなそれぞれ立場や意見が違うのは当然だから、話し合って最適な

    政治的な発言は誰でもしていいよって話|小野ほりでい
    maturi
    maturi 2020/05/15
    たしなめ鳥 それはそれとしてエリカちゃんは元気かしら
  • 「若者が投票に行かないせいで社会が悪くなる」という論理|小野ほりでい

    最近、コロナウィルスにまつわるドタバタ劇があったので、ふだんは滅多にそういうことを口にしない人物からも珍しく社会に対する不平不満というか、重い吐露のようなものが見受けられた。 そして、社会に対する不平不満に対しては最近では付き物になった例の口調、つまり個人の持っている不平不満の全ての原因はその張人にあるのだという自己責任論的な調子で、「このように世の中が腐敗しているのは君たちが選挙に行かないからだ」と巡り巡って若者が責められているのを目にした。このような光景は珍しいものではないというか、誓って言うが、僕が物心ついたときから既に言われているのだし、もう何十年も前から継続して繰り返されている光景だと思う。 そして、非常に大きな規模で繰り返し起きている問題をふつうミクロの、個人の意思の問題としては扱わない。たとえば、一人の人間がその当人の怠慢によって何らかのミスを一度きり犯した場合、これはその

    「若者が投票に行かないせいで社会が悪くなる」という論理|小野ほりでい
  • ブスという言葉が死に向かいつつあるね|小野ほりでい|note

    なんかのきっかけで昨年のお笑い芸人の好感度ランキングの一位がサンドウィッチマンだったということを知って、これほど素晴らしいことはないと思って触れ回っていた。そして彼らの好きなところを語る過程で「"ブス"みたいな言葉を使わない」という話になった。その後、別の芸人について「こいつらは優しそうな顔をして”ブス”で笑いを取るから嫌い、干されたらいいのに」と、別にそこまで思ってはいない悪口を言い始めたら当にこの人たちのこと嫌いだなという気持ちになり始めて危ないと思ったので途中でやめた。 それで、後になってお笑い芸人がそれぞれ「ブス」という言葉を使うか使わないかという軸で考えたときに、見ていて「あ、好きな人が出てきた」と思う、好き中の好きな人と、面白いことを言ったら笑うけど積極的には見に行かない、中の上止まりの人を考えたときに、明確にこのあたりに差があることに気付いた。 誰かがブスという言葉を言い切

    ブスという言葉が死に向かいつつあるね|小野ほりでい|note
  • R・油さんの生活|小野ほりでい

    2014年に「わいわいやろうよ」という同人誌に寄稿したアナログ漫画を公開します。 半年ぐらいお腹を下していて一生治らないのではないかと思っていた時期に描いたもので少し暗いですが最後までお読みいただけると幸いです。 *あとがき 全くどうでもいい話なのですがこの漫画を掲載してもらった時期はずっとお腹を下していておかゆのようなものしかべられず、毎日定屋やファストフード店のホームページを見に行ってはすすり泣くような生活をしていました。 謎のお腹下しはそれからしばらくして無事に収まって、今では天丼てんやでも牛タンねぎしでも好きなところに行けるのですが、消化器官の状態とは裏腹に金銭的にうどんぐらいしかべられない状態になってはいます。 さて、この漫画を無料公開した理由ですがひとつギリギリの告知があります。 明日10/23コミティアにてけつのあなカラーボーイ様(様をつけたくない名前ですが)が販売する

    R・油さんの生活|小野ほりでい
    maturi
    maturi 2016/10/23
    コミティア
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