1954年、戦略航空軍団司令官に就任したカーチス・ルメイによって超高速・高々度・長航続距離の条件を備えた新型爆撃機の開発が提唱された。アメリカ空軍には既に大型ジェット爆撃機B-52が配備されていたが、これに替わる新型機開発計画として "WS-110A"(WS=Weapon System)が1955年11月に開始された。後に機体の愛称から「ヴァルキリー計画」と呼ばれた。 ルメイの要求は、超音速爆撃機B-58以上の(すなわちマッハ2以上の)高速で、アラスカ - モスクワ間を無着陸で往復できる爆撃機という、当時知られていた技術では無謀とも言えるものだった[1]。これに応えてノースアメリカンとボーイングがそれぞれプランを提出した。双方の案とも、大量の燃料消費と高速化のための機体重量軽減を考慮し、小振りの両翼の左右に張り出すような形でグライダーのような外見の有翼式燃料タンクを装備して亜音速で巡航、敵