親を大切にできない人間が出世したためしはない。後世に名を残したリーダーに共通しているのはいずれも親孝行だったということだ。田中角栄もまたそうだった。通商産業相(現経済産業相)、首相の秘書官として角栄を支え続けた最側近、元通産官僚の小長啓一の証言を『田中角栄のふろしき』(日本経済新聞出版社)から拾ってみよう。角栄にリーダーの条件を学ぶ7回連載。5回目は「礼節」。 =敬称略 <<(4)大臣は午前2時から猛勉強 「努力の天才」田中角栄 (6)「天の時」見定め国民福祉の大改革 田中角栄の実行力 >> 角栄が通産相に就任したのが1971年7月。その就任から3カ月で日米繊維交渉は決着した。日米繊維交渉は国家にとっての一大事。それが片付いたことで、大仕事に忙殺されてきた角栄に一瞬、時間的な空隙(くうげき)が生じた。久々のゆっくりとした時間。しかし角栄は外遊に出かけるでもなく、体を休めるでもなかった。その