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ブックマーク / fujinkoron.jp (26)

  • (4ページ目)大河ドラマ『光る君へ』脚本家・大石静「2話目を書き終えた頃に夫が他界。介護と仕事の両立は困難だったが、45年間で一番優しく接した時間だった」 紫式部の時代に没入して<前編>|芸能|婦人公論.jp

    いくら夫がわがままなことを言っても「そうね」と応対したし(笑)、呼吸がしづらいのでディスカッションするほどの会話はしませんでしたが、最後まで話はできました。45年一緒にいて、こんなに優しく接した時間はほかになかったんじゃないかと思います。 舞台監督だった夫とは20代半ばで結婚しましたが、8歳も上ですから、知り合ったときから男女というよりは兄妹や親子に近いような感覚がありました。私が芝居をやっていたころ、劇団を立ち上げるときも背中を押し、苦しいときは支えてくれた。 ドラマの脚を書くようになった私にも全面協力で、なにより自由に羽ばたけ、と言ってくれました。「君が輝いていることが一番。家のことなんてしなくていい」と考える人だったので、いま私はこの仕事ができているのだと思います。 45年間、いつもひたひたと仲良かったわけではないし、いやだなあと思うところも山のようにありました。ほかの人をいいと思

    (4ページ目)大河ドラマ『光る君へ』脚本家・大石静「2話目を書き終えた頃に夫が他界。介護と仕事の両立は困難だったが、45年間で一番優しく接した時間だった」 紫式部の時代に没入して<前編>|芸能|婦人公論.jp
    mayumiura
    mayumiura 2024/02/27
    きれいごとではなかっただろうけど、素晴らしい境地だなあ。45年か。うちなんかまだたったの25年、道のりは遠い… “最後の日々は、このための45年だったのね、と思えるほどでしたから、その点で悔いはありません。”
  • (3ページ目)大河ドラマ『光る君へ』脚本家・大石静「2話目を書き終えた頃に夫が他界。介護と仕事の両立は困難だったが、45年間で一番優しく接した時間だった」 紫式部の時代に没入して<前編>|芸能|婦人公論.jp

    45年、そばにいた人がいなくなって 2話目を書き終えたころの2022年12月、夫が他界しました。その3年くらい前から体力的に弱りつつあるのは感じていたのですが、ある日血中の酸素濃度が下がり、呼吸不全を起こして。入院したら肺の手術が難しいところにがんが見つかりました。79歳という年齢もあり、治療は一切せず自宅に帰ることにしました。 いまの介護保険制度では、一人暮らしの人であれば訪問介護による身体介護のほか、掃除や洗濯、事の準備や調理といった生活援助サービスを受けられますが、健康な成人の同居家族が一人でもいると生活援助面でのサポートは望めません。 病人に三度の事をさせ、介護をしながら大河ドラマの脚を書くのはやはり難しく、執筆はストップしてしまいました。 ケアマネジャーさんも自治体にかけあうなど、いろいろ苦心してくれて。でも結局、何もかも私が担わなければならない老老介護の典型となりました。

    (3ページ目)大河ドラマ『光る君へ』脚本家・大石静「2話目を書き終えた頃に夫が他界。介護と仕事の両立は困難だったが、45年間で一番優しく接した時間だった」 紫式部の時代に没入して<前編>|芸能|婦人公論.jp
    mayumiura
    mayumiura 2024/02/27
    私も近親がこういうことになったら仕事どころじゃないだろうな、と覚悟しながらやっている。“病人に三度の食事をさせ、介護をしながら大河ドラマの脚本を書くのはやはり難しく、執筆はストップしてしまいました。”
  • 五木寛之「52歳で逝った時代の寵児・森瑤子。ガリガリという氷の塊を噛みくだく音だけが鮮明に耳に残った」 【集中連載】忘れえぬ女性(ひと)たち|芸能|婦人公論.jp

    作家でありながら「対談の名手」とも言われる五木寛之さんは、数十年の間に才能豊かな女性たちに巡り合ってきました。その一期一会の中から、彼女たちの仕事や業績ではない、語られなかった一面を綴ります。第二回は森瑤子さんです。 人の心の内側をのぞくことなど誰にもできない。 それにもかかわらず、人が他人のことを書くのは、自分の踊りを踊っているようなものだ。 その相手に対しての解釈という踊りである。 私は森瑤子という女性を知らない。会ったことなら何度もある。雑誌で対談をしたり、個人的な会話をしたりすることはあった。手紙をもらったこともあったし、を出すたびに贈ってもらったりもした。彼女の書いた作品もいくつか読んでいる。 だが、そんなことは一人の人間の内面を理解したことにはならない。私たちは他人に対して、自分の思いを投影しているだけのことなのだ。 一枚の写真がある。英国の古典的なスポーツカーであるモーガン

    五木寛之「52歳で逝った時代の寵児・森瑤子。ガリガリという氷の塊を噛みくだく音だけが鮮明に耳に残った」 【集中連載】忘れえぬ女性(ひと)たち|芸能|婦人公論.jp
    mayumiura
    mayumiura 2022/08/02
    五木寛之さんという人は、直接見知るには恐ろしい人だな、という感想。
  • (3ページ目)五木寛之×佐藤愛子「作家は、普通の方より恥ずかしいことが多い。人並の業では、小説なんて書けません」 【対談】記憶の扉を開けてみると<前編>|芸能|婦人公論.jp

    記憶の扉を開いて、回想する 五木 そのあと、久しぶりに母の夢を見ましてね。「ヒロちゃん、もういいよ」って声が聞こえた気がしたんです。それで一昨年、戦後初めて病院に行ってみたんです。でも医師からは、「経年劣化ですね。プールで体操でもなさったらいかがですか」と言われて終わりましたが。(笑) 佐藤 大事でなくてよかったです。 五木 この一件で、人間の行動にはそれなりの理由があるのかもしれないと、最近考えるようになりました。記憶の扉を開いて、きちっと回想すると、自分自身でもわからない、絡まった糸がほぐれていく。だから回想するというのは、単に昔の思い出に浸るというセンチメンタルなことではないんですね。生きていくうえで自分を振り返るというのは大事なことだと、今さらながらに思うようになりました。 佐藤 私の場合、振り返ると恥ずかしいことばかりですよ。(笑) 五木 それは、僕だってそうです。だから死ぬのは

    (3ページ目)五木寛之×佐藤愛子「作家は、普通の方より恥ずかしいことが多い。人並の業では、小説なんて書けません」 【対談】記憶の扉を開けてみると<前編>|芸能|婦人公論.jp
    mayumiura
    mayumiura 2022/07/29
    “人間の行動にはそれなりの理由があるのかもしれない//記憶の扉を開いて、きちっと回想すると、自分自身でもわからない、絡まった糸がほぐれていく。//生きていくうえで自分を振り返るというのは大事なことだと”
  • (3ページ目)お別れの会が開催された瀬戸内寂聴さん「なぜ私は51歳で出家したのか。あれもこれもなど思ううち、たちまち一生はすぎてしまう」 東京・帝国ホテル 富士の間にて「瀬戸内寂聴さん お別れの会」|話題|婦人公論.jp

    遠藤さんには以前宗教上の悩みを御相談したことがあったので、今度のことは、手紙で報告した。すると夫人が早速、この手づくりの経をつくって祝って下さったのであった。 肉親は姉夫婦しか呼んでいない。他にどうしてもといってくれた友人が5人、列席してくれることになって先発していた。それで充分だった。来てほしかった河野多惠子さんは、 「怖いからいや」 といった。彼女の神経はわかりすぎるほどわかるので止ってもらった。それでも彼女はその日一日、仕事を空白にして、人との面会の約束も一切していないとつげてくれた。あの人にもこの人にも、私はもっと度々逢い、もっともっとやさしさや親切に報いなければならなかったのにと思う。 事前に私が打ちあけた人たちは誰一人、何故そうするのかと訊かなかったことに今気がついた。その人たちは決して、他に洩らす人ではなく、私が選んだ人であったからだが、何故と訊くまでもなく、私がそうするこ

    (3ページ目)お別れの会が開催された瀬戸内寂聴さん「なぜ私は51歳で出家したのか。あれもこれもなど思ううち、たちまち一生はすぎてしまう」 東京・帝国ホテル 富士の間にて「瀬戸内寂聴さん お別れの会」|話題|婦人公論.jp
    mayumiura
    mayumiura 2022/07/28
    沁みる言葉。今世を重なり合って生きている、というだけで、誰とも奇跡的な縁なんだよなあ。“あの人にもこの人にも、私はもっと度々逢い、もっともっとやさしさや親切に報いなければならなかったのにと思う。”
  • 出口治明 72歳で脳卒中になって右半身麻痺と失語症が残り。身体の右側が動かず言葉を発することもできないのに、なぜ悲観的にならず「復職」を目指せたのか 復活への底力|健康|婦人公論.jp

    2021年1月に脳卒中を発症した、現在74歳の出口さん。リハビリの目標を「復職」に定めたそうですがーー。(写真提供:原宿リハビリテーション病院) 「平成30年(2018)人口動態統計月報年計(概数)の概況」(厚生労働省)によれば、日人の死因第4位が脳卒中になっています。かつては日人の死因の第1位だった脳卒中も、医療の進歩で亡くなる人が減少。しかし、患者数そのものは変わらずに今も多いのが現状です。ライフネット生命保険株式会社創始者で、立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さんも、2021年1月に脳卒中を発症。リハビリ生活を送ることになりました。しかしどんなに大変な状態にあっても、あくまで「復職」を目指したという74歳の出口さん、その背景にあったものとは――。 脳卒中で右半身麻痺と失語症が残り 立命館アジア太平洋大学(APU)のある大分県の別府から、故郷の三重に、亡き母の四十九日の

    出口治明 72歳で脳卒中になって右半身麻痺と失語症が残り。身体の右側が動かず言葉を発することもできないのに、なぜ悲観的にならず「復職」を目指せたのか 復活への底力|健康|婦人公論.jp
    mayumiura
    mayumiura 2022/07/27
    復職おめでとうございます!まさに副題の「運命を受け入れ、前向きに生きる」。“数字・ファクト・ロジックで考えれば、悲観的になる必要などない。//事実をありのままに見つめ、その変化に適応するだけのことです。
  • 小説を書く原動力は「怒り」でも火種をそのまま燃やしちゃいけない。女性が発言できる社会に変わり、小説も変貌する中で書き続ける 角田光代×中島京子 【対談】「小さな違和感から小説は生まれる」〈後編〉|話題|婦人公論.jp

    貧困、ジェンダーの不平等、虐待、過重労働や格差の拡大……。いま、国内外のさまざまな社会の歪みに対峙した小説が相次いで世に出ています。同時期に連載された角田光代さんの『タラント』、中島京子さんの『やさしい』も、「現実から目をそらさないで」という声が聞こえてくるような作品。題材とどう向き合うかを同世代の作家同士で語り合います(構成:内山靖子 撮影:宮崎貢司) <前編よりつづく> なにかを訴えたいと思って書き始めてない 角田 「いま、こういう問題が起こっている」とストレートな形で伝えたいなら、ノンフィクション作品のほうが適しているでしょうね。 中島 さっき角田さん、モヤモヤを感じたとき、それを「考えたい」っておっしゃいましたよね。そのことに、すごく共感しました。「これを小説にしたい」と思うときは、「これを考えたい」ってことなんだって。 角田 私は、小説を書くことではじめて違和感について深く考え

    小説を書く原動力は「怒り」でも火種をそのまま燃やしちゃいけない。女性が発言できる社会に変わり、小説も変貌する中で書き続ける 角田光代×中島京子 【対談】「小さな違和感から小説は生まれる」〈後編〉|話題|婦人公論.jp
    mayumiura
    mayumiura 2022/07/27
    後編)
  • 「寄付した1万円、実際に届くのはいくらか」気になって始めた支援活動が小説の題材に。善悪があまりにはっきりしている題材は、小説にするのが難しい。角田光代×中島京子 【対談】「小さな違和感から小説は生まれる」<前編>|話題|婦人公論.jp

    貧困、ジェンダーの不平等、虐待、過重労働や格差の拡大……。いま、国内外のさまざまな社会の歪みに対峙した小説が相次いで世に出ています。同時期に連載された角田光代さんの『タラント』、中島京子さんの『やさしい』も、「現実から目をそらさないで」という声が聞こえてくるような作品。題材とどう向き合うかを同世代の作家同士で語り合います(構成:内山靖子 撮影:宮崎貢司) 国際NGOのサポーターをして気づいたこと 中島 角田さんの最新作『タラント』は、戦争やそれに伴うボランティア、パラスポーツなどを背景に物語が進んでいきます。これまでにも社会とコミットした作品は書いてこられたと思いますが、難民問題を取り上げたのははじめてですよね。 角田 私は2009年からプラン・インターナショナルという国際NGOのサポーターをしています。発展途上国の女性や子どもたちの自立支援が目的なので、現地の視察はもちろん、難民キャン

    「寄付した1万円、実際に届くのはいくらか」気になって始めた支援活動が小説の題材に。善悪があまりにはっきりしている題材は、小説にするのが難しい。角田光代×中島京子 【対談】「小さな違和感から小説は生まれる」<前編>|話題|婦人公論.jp
    mayumiura
    mayumiura 2022/07/27
    前編)
  • (5ページ目)「自殺をしない、させない」坂口恭平が〈いのっちの電話〉で2万人の声を聞く理由 【対談】斎藤環×坂口恭平|人間関係|婦人公論.jp

    「一人でこれだけ多くの相談をどうやって潰れずにこなしていけるのか、当に不思議で。」(斎藤さん)/「これは仕事でも、人助けという感覚でもない。その人の話し相手として存在できている喜び、ぐらいの感じですかね。」(坂口さん) 斎藤 しかし重い話ばかり聞いていると、二次受傷といって相手の心の傷がこちらにも移ってくる。そのケアが必要というのが臨床の常識です。一人でこれだけ多くの相談をどうやって潰れずにこなしていけるのか、当に不思議で。 坂口 どうやってと説明するのは難しいですが、僕が「いのっちの電話」に喜びを見出しているからかもしれません。これは仕事でも、人助けという感覚でもない。その人の話し相手として存在できている喜び、ぐらいの感じですかね。とにかくその人が一番楽しいと思うことを話すようにしています。 斎藤 たとえば、どんな? 坂口 この前、末期がんのおばあちゃんから電話が来て、寂しくてしょう

    (5ページ目)「自殺をしない、させない」坂口恭平が〈いのっちの電話〉で2万人の声を聞く理由 【対談】斎藤環×坂口恭平|人間関係|婦人公論.jp
    mayumiura
    mayumiura 2021/09/26
    “エンタメという言葉は軽く使われがちですが、語源はラテン語で「帰りたくなくなるほど歓待する」という意味。”
  • (5ページ目)青木さやか「2年経たず肺がんが再発? 生かされたわたしは生活をシフトした。愚痴、悪口、噂話は一生しない」  48歳、おんな、今日のところは「2度の肺がん経験者」として|連載|婦人公論.jp

    青木さやか「2年経たず肺がんが再発? 生かされたわたしは生活をシフトした。愚痴、悪口、噂話は一生しない」 48歳、おんな、今日のところは「2度の肺がん経験者」として

    (5ページ目)青木さやか「2年経たず肺がんが再発? 生かされたわたしは生活をシフトした。愚痴、悪口、噂話は一生しない」  48歳、おんな、今日のところは「2度の肺がん経験者」として|連載|婦人公論.jp
    mayumiura
    mayumiura 2021/09/13
    “多くの悩みは人間関係だったので、「でも」という口癖を「はい、わかりました」に変更。”
  • 島田潤一郎「僕が社員ひとりの出版社を立ち上げた理由」 連載・私の書いた本『古くてあたらしい仕事』|連載|婦人公論.jp

    10年前、息子を亡くした叔父と叔母の心を支えるために、出版社を立ち上げた島田潤一郎さん。10年間すべてひとりでやってきたにまつわる仕事への思いを綴っています。(撮影=社写真部 構成=野由起) 「だれかのために」という思いが原動力 2009年に、夏葉(なつは)社という出版社を立ち上げました。社員は僕ひとり。文芸書を中心に、1年に3、4冊のを企画・編集する。作ったを発送する。を置いてくれそうな全国の書店を回って営業する──。この10年間すべてひとりでやってきて、考えたこと、あらためて感じたの豊かさ、「いい仕事をしたいよね」という思いを書いたのがこの『古くてあたらしい仕事』です。 出版社を始めたというと「すごいですね」と言われますが、それは誤解です。31歳で転職活動をした時は、50社連続で不採用になりました。そんななか、仲の良かった従兄が事故で急逝。混乱し、転職活動もままならなく

    島田潤一郎「僕が社員ひとりの出版社を立ち上げた理由」 連載・私の書いた本『古くてあたらしい仕事』|連載|婦人公論.jp
    mayumiura
    mayumiura 2021/08/31
    “本書を執筆してみて、あらためて感じたのは、僕の仕事の原動力は「だれかのために」という気持ちだということ。”
  • (5ページ目)郷ひろみ 体のキレの秘密「黄金の肉体は、24時間365日のコントロールから」 僕が「郷ひろみ」でいられる場所|芸能|婦人公論.jp

    僕が「郷ひろみ」でいられる場所は 日頃からストイックだと評されがちな僕ですが、過去には「今日は体が重いからトレーニングを休みたいなあ」と思うこともありました。でもそこをグッとこらえてトレーニングをすることで、精神的な弱さや甘えを1つクリアできる。 そう考えると、ジムへ行くことが心の鍛錬にもなるように思え、苦痛ではなくなったのです。体を鍛えることは、同時に心を鍛えることでもあるのでしょうね。 休みの日に、パジャマのままソファーでゴロゴロすることはまずありません。もし僕がそうしていたら、それは入院するくらい体調が悪いということ。もっとも、入院したところで「熱はないので、ジムに行ってもいいですか?」って、強引に退院しそうですけど。(笑) 今回、ライフスタイルについてお話ししましたが、僕がしていることが正しいかどうかはわかりません。これは長年の間に辿りついた僕の生き方であって、自分に合っているから

    (5ページ目)郷ひろみ 体のキレの秘密「黄金の肉体は、24時間365日のコントロールから」 僕が「郷ひろみ」でいられる場所|芸能|婦人公論.jp
    mayumiura
    mayumiura 2021/08/07
    Yes “一念発起して運動を始める際は、目標設定を高くしすぎないことをおすすめします。楽なことをちょっとずつ続けていくのが、三日坊主で終わらせないためのコツ。僕自身、そのようにして運動を続けてきました。”
  • (3ページ目)大橋未歩「34歳の冬、脳梗塞で入院。サードオピニオンで治療法を見つけて」 人生はままならないもの|芸能|婦人公論.jp

    「最終的にたどり着いた医師が、「他の先生の話を聞いてみたいと患者から言われて、気分を害するような医師とは関わらなくていいんだよ」と。それで勇気が湧きました」 ステント治療をするために転院しましたが、最初にお世話になった先生にどう伝えようかと気が重かったのも事実です。でも最終的にたどり着いた医師が、「他の先生の話を聞いてみたいと患者から言われて、気分を害するような医師とは関わらなくていいんだよ」と。それで勇気が湧きました。 セカンドオピニオン、サードオピニオンを受けることをためらっている方には、心から信頼できる医師との出会いを大切にしてください、とお伝えしたいと思います。自分の命は自分で守るという姿勢は、悔いのない人生と直結しているのですから。 経験者だからこその新たな伝え方 脳梗塞を患ったことはショックでしたが、それ以上に仕事や自分との向き合い方を見つめ直す転機となりました。「今回はたまた

    (3ページ目)大橋未歩「34歳の冬、脳梗塞で入院。サードオピニオンで治療法を見つけて」 人生はままならないもの|芸能|婦人公論.jp
    mayumiura
    mayumiura 2021/07/22
    “「最終的にたどり着いた医師が、「他の先生の話を聞いてみたいと患者から言われて、気分を害するような医師とは関わらなくていいんだよ」と。それで勇気が湧きました」”
  • (7ページ目)末井昭「妻の母・和子さんの死。額に手を当てるとまだ温かかった」 連載:100歳まで生きてどうするんですか?(末井昭)|連載|婦人公論.jp

    死の予習 病院で2ヵ月間の延命処置を断ったことは、未だに気になっていることですが、和子さんが体に管を付けられて、ベッドに縛り付けられるようにして2ヵ月生きたかったかどうかを思うと、それはなかったのではないかと思います。 後付けかもしれませんが、和子さんが卓球で転んで大腿骨を骨折した時から、和子さんの死は始まったように思います。和子さんがぼくらと散歩に出た時、10メートルほど歩いて「やめとくわ」と言ったことも、体力がなくなると好奇心もなくなって行くということを教えてもらったような気がします。 死の始まりは誰にでも来ることです。和子さんの死に立ち会って、死の予習をさせてもらったように思います。自分に死の始まりが訪れたら素直に受け入れ、欲を言えば、死ぬまでのことを観察できるぐらいの気力が残っていて欲しいと思います。 和子さんは91歳と3ヵ月で亡くなりました。良く生きたと思います。和子さんが我が家

    (7ページ目)末井昭「妻の母・和子さんの死。額に手を当てるとまだ温かかった」 連載:100歳まで生きてどうするんですか?(末井昭)|連載|婦人公論.jp
    mayumiura
    mayumiura 2021/06/10
    “体力がなくなると好奇心もなくなって行くということを教えてもらったような気がします。”
  • (5ページ目)末井昭「妻の母・和子さんの死。額に手を当てるとまだ温かかった」 連載:100歳まで生きてどうするんですか?(末井昭)|連載|婦人公論.jp

    和子さんの額に手を当てるとまだ温かかった 美子ちゃんが医師と話したところによると、人工呼吸器を付け胃ろうにすれば2ヵ月は延命出来るということだったのですが、それは断ることにしました。 それから2日後、病院から容態が悪くなったという電話があり、美子ちゃんと病院に行きました。病室に入ると、和子さんが荒い呼吸をしていて、もう声も出なくなっていました。バイタルサインモニターを見ると、心拍数が146、酸素飽和度が75となっていて、さらに悪い状態になっていました。 閉じた目の目尻に涙が滲んでいました。その涙を見て悲しくなりました。あまりにも苦しそうなので、よく眠れる薬を点滴に入れてもらうよう医師に頼んで家に帰りました。 その夜、病院から「危篤の状態になりましたけど、どれくらいで来られますか?」という電話が入ったので、慌てて美子ちゃんと車で病院に向かいました。電話があってから25分後に病院に着いたのです

    (5ページ目)末井昭「妻の母・和子さんの死。額に手を当てるとまだ温かかった」 連載:100歳まで生きてどうするんですか?(末井昭)|連載|婦人公論.jp
    mayumiura
    mayumiura 2021/06/10
    “生きていることは体温があることだという当たり前のことを、改めて知らされた気がしました。”
  • 末井昭「妻の母・和子さんの死。額に手を当てるとまだ温かかった」 連載:100歳まで生きてどうするんですか?(末井昭)|連載|婦人公論.jp

    編集者で作家、そしてサックスプレイヤー、複数の顔を持つ末井昭さんが、72歳の今、コロナ禍中で「死」について考える連載「100歳まで生きてどうするんですか?」。母、義母、父の死にざまを追った「母親は30歳、父親は71歳でろくでもない死に方をした」が話題になりました。第13回は、「和子さんの死」です。 第12回●「3億3000万の借金からの再出発。50歳で人生リセットできた理由」 3種類の死体 解剖学者、医学博士、東大名誉教授などの肩書きを持つ養老孟司さんは、死体というものをどう捉えるべきか考えた末、死体には「ない死体」「死体でない死体」「死体である死体」の3種類があるという結論に達したと、『死の壁』(新潮新書)のなかで語っています。 「ない死体」とは「一人称の死体」で、「私の死体」ということです。私はすでに死体になっている訳ですから、私の死体を、私が見ることも触ることも出来ないので「ない死体

    末井昭「妻の母・和子さんの死。額に手を当てるとまだ温かかった」 連載:100歳まで生きてどうするんですか?(末井昭)|連載|婦人公論.jp
    mayumiura
    mayumiura 2021/06/10
    “死体になってしまった人との関係性によって、死体の見方が変わってくるということです。”
  • 手塚理美 グレイヘアの次はノーメイク。どれだけナチュラルに生きていけるか グレイヘアのはじめどき|芸能|婦人公論.jp

    長年の黒髪ストレートから、56歳で突然のイメージチェンジ。グレイヘアへの移行期間は挑戦と試行錯誤の連続でしたが、3年がたとうとする今、だいぶ理想に近づいてきたと言います(構成=山田真理 撮影=清水朝子) 白髪染めに疑問を感じて おととしの4月、出演したテレビ番組で「60歳に向けて、3年越しでグレイヘアになります!」と宣言しました。今、誕生日まであと半年ちょっと。だいぶ理想に近づいてきたと思っています。 これまで、髪形を黒髪のストレートにしていたのは、それが日人女性として自然なスタイルだと思っていたから。また、女優として、そのほうが現場ごとに役柄に合わせやすいからです。でも40代になってから少しずつ白髪が出て、毛量も減り、年齢を感じるようになりました。髪に優しい漢方由来の白髪染めを使ってはいましたが、3年ほど前から、月に2回サロンに通って染めることに疑問を感じ始めたのです。 先輩女優の方々

    手塚理美 グレイヘアの次はノーメイク。どれだけナチュラルに生きていけるか グレイヘアのはじめどき|芸能|婦人公論.jp
    mayumiura
    mayumiura 2021/06/03
    手塚理美さんもグレイヘア派に。変わっていける人って、かっこいいな。
  • 末井昭「東大中退のパチプロ・田山幸憲の死。過酷な舌がん闘病の果てに」 連載:100歳まで生きてどうするんですか?(末井昭)|連載|婦人公論.jp

    編集者で作家、そしてサックスプレイヤー、複数の顔を持つ末井昭さんが、72歳の今、コロナ禍中で「死」について考える連載「100歳まで生きてどうするんですか?」。母、義母、父の死にざまを追った「母親は30歳、父親は71歳でろくでもない死に方をした」が話題になりました。第6回は、懇意にしていたパチプロ・田山幸憲さんの生と死についてです。 第5回●「墓はいらない主義の僕が、ダイナマイト心中をした母のために墓を作った理由」 パチンコ台が「もうすぐ出るよ」と話しかけてくる 1988年3月、白夜書房で、ぼくが編集していた『写真時代』という雑誌が発禁になり、多くの人に迷惑をかけてしまいました。ライフワークのようなつもりで編集していた雑誌だったので、次に何をやったらいいのかわからなくなりました。それに、前年の10月に商品先物取引で大損したこともあってウツ状態になり、人と会うのが辛くなっていました。 そんな時

    末井昭「東大中退のパチプロ・田山幸憲の死。過酷な舌がん闘病の果てに」 連載:100歳まで生きてどうするんですか?(末井昭)|連載|婦人公論.jp
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    mayumiura 2021/02/25
  • 樹木希林に最後まで寄り添い、受け取った「命のバトン」 残された日々で何をすればいいか|健康|婦人公論.jp

    約30年間で4万人以上をカウンセリングするかたわら、末期がんを患う人たちのターミナルケアにも携わってきた、バース・セラピストの志村季世恵さん。19年来の付き合いになる樹木希林さんの晩年にも寄り添い、最後まで伴走した。命の期限を区切られたときに見えてくるものとは?(構成=古川美穂 撮影=社写真部) 命は誰のものだろう ターミナルケアにかかわることになったのは、子どものころの体験が大きく影響しています。 私は少し複雑な家庭に育ったのですが、親のように大事に育ててくれた人が3歳のときに亡くなりました。また私自身も子どものころから体が弱く何度か入退院を繰り返しており、小児がんの子がそばにいたり、友だちになった大事な人が亡くなったり。そんな環境で育ったため、人生の早い時期から「死」を身近に感じていました。 小児病棟に入院した、あるときのことです。私はたまたま個室に入りましたが、周りの部屋は深刻な状

    樹木希林に最後まで寄り添い、受け取った「命のバトン」 残された日々で何をすればいいか|健康|婦人公論.jp
    mayumiura
    mayumiura 2021/02/22
  • 村井理子「更年期障害だと思ってたら重病だった話」 新連載「更年期障害だと思ってたら重病だった話」|連載|婦人公論.jp

    〈今日から翻訳家・村井理子さんの隔週連載がスタート!〉 「何もかも更年期障害だと片付けるなんて、自分に対するとんでもないネグレクトだ」。47歳の時に身体に起きた異変。のんきに構えていた村井さんだが、次第に事態は深刻になっていって……。『兄の終い』の著者が送る闘病エッセイ 単調で地味な私の人生に、大事件が起きた 私は琵琶湖のほとりで家族と暮らしながら、細々と翻訳業を営む、どこにでもいる普通の女だ。先日、50歳になった。家族は54歳の夫と14歳の双子の息子、そして3歳のラブラドール・レトリバーのハリーである。家から車で20分ほどの距離に夫の両親が住んでいる。2人とも80歳を過ぎた後期高齢者で、そろそろ誰かの手を借りなければ日常生活を営むのに支障が出はじめたという状況だ。その誰かの手というのは、私の手の場合が多いのが、昨今の悩みである。 毎朝、夫や子どもたちがそれぞれ向かうべき場所に行ったあと、

    村井理子「更年期障害だと思ってたら重病だった話」 新連載「更年期障害だと思ってたら重病だった話」|連載|婦人公論.jp
    mayumiura
    mayumiura 2021/01/07
    第7回まで一気読み。次号は1/20更新とのこと。