2015年の6月6日がやってきて、 ほぼ日刊イトイ新聞が創刊17周年になりました。 年をとるのは、たのしみでもありますが、 そうとも言えないところもあります。 たぶん、それはぼく自身の年齢と、 「ほぼ日」の年齢が同じでないからだと思います。 「ほぼ日」のほうは、まだなのか、もうなのか、 17歳の青い春まっさかりであります。 ぼく自身は、お若いだのお元気だのと言われても、 66歳ですから、花も恥じらうとか言ったら笑われてしまう。 つまりは老い先の、終の景色を視界に入れながら、 じたばたと阿呆をやっているようなわけです。 おそらく、「ほぼ日」の歩みというのは、 そのふたつ、「ほぼ日」とイトイ(糸井重里) という人格の年齢差を利用して、 それを推進力にしてきたのだと思うのです。 若い「ほぼ日」が、落ち着かなくてはいけないときには イトイの経験を役に立てる。 老いて落ち着いてしまいそうなイトイが