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ブックマーク / ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida (4)

  • No.168 不謹慎ゲーム

    不謹慎(ふきんしん)ゲームとは、大きな犯罪や事故を題材に作られたゲームで、それらの事件を中傷したり悪ふざけをしたりする内容のゲームのことである。昔は地下ゲームと呼ばれていた。 おおっぴらに公開されることはなく、匿名の掲示板やアングラ(アンダーグラウンド)系のページで発表されるのが普通である。全て無料ソフトで、それぞれの説明書には、「配布・転載自由・どんどん広めて下さい」などの記述があるものが多い。 また、作者は不明であることが普通で、分かっているのは、その当時にネット上で名乗ったハンドルネームのみである。 以下のソフトはその代表的なもので、ネットでも話題になり、多くのマスコミにも取り上げられた。 ただし、ここに掲載したものはどれもかなり古い物ばかりである。windows95とか98、pc-98の時代のものが大半である。 不謹慎ゲームとして紹介してあったものを試しに20個くらいダウンロードし

    No.168 不謹慎ゲーム
    meech
    meech 2016/11/03
    様々な不謹慎ゲームがある
  • No.071 「日本は戦争に勝った」と信じ切ったブラジル「勝ち組」騒動

    第二次世界大戦終了後、地球の裏側・ブラジルでは、そこに移民していた日人のたちの間で「日は勝った」「いや、負けた」と意見が真っ二つに分かれ、その対立は殺人事件にまでエスカレートしていった。 ▼戦争終結。その時ブラジルでは・・。 1945年、第二次世界対戦が終結した。日ではポツダム宣言を経て、無条件降伏文書に調印し、日にとって戦争は「敗北」という形で終了した。 これ以降、日アメリカの支配下に置かれることになる。 そして終戦後、日にとっては地球の裏側の国に当たるブラジル。 この当時でもブラジルには多くの日人が移住して住んでいたが、ブラジルに住む彼らの間では 「戦争は終わった。日アメリカに勝った。」 と、「勝った勝った」と大騒ぎになり、各地で戦勝祝賀会が次々と開かれていた。 まるっきり現実と正反対の話がブラジル国内の日人の間を駆け巡っていたのだ。当時ブラジルに移住していた日

    meech
    meech 2016/10/26
    ブラジルにいた日本移民の勝ち組騒動めっちゃおもしろいやん
  • No.32 失踪した母親・後に発覚した、無情で信じがたい現実

    1889年5月。パリでは万国博覧会が開催されていた。ある日、海外を旅していた一人の女性とその娘が、インドに立ち寄った後、博覧会を見にパリを訪れた。二人はホテルに到着すると宿帳に名前を記入し、342号室に案内された。342号室は結構豪華な部屋であった。 だがこの部屋でしばらくくつろいでいると、突然母親の方が気分が悪くなったと言い出してベッドにふせってしまった。しばらくするとかなり苦しみ出したので、すぐに娘はフロントに連絡し、医者を呼んでもらった。医者が到着し、母親の診察を始める。 「あなた方はどこからいらしたのですか?」と医者に聞かれて「インドからです。」と答えると、何やら医者とホテルの支配人は、向こうの方でひそひそ話を始めた。 不安になった娘は「あの・・母は大丈夫なんでしょうか・・?」と聞いてみた。すると医者が言うには、 「実は・・私は今、この病気に有効な薬を持ち合わせていません。私の家に

    meech
    meech 2015/05/19
  • No.47 瞬間移動した二人の人間「シタデル城殺人事件」

    西インド諸島のハイチには、「シタデル城」と呼ばれる小さな城が立っていた。この城は元々は黒人が建てた城で、ここの城主は生前、自分の命令に従わない白人を次々と虐殺しては、近くの池にその死体を投げ込むというようなことを平然と行っていた。 その池の水が血のように真っ赤であるのは、そういた因縁があるのではないかという・・いわばいわく付きの城と池であった。 1952年6月、この地を4人の人間が訪れた。ジョゼフ・クルーゾーとそののマリー、それに二人の助手である。 4人は仕事でこの近辺を調査するために訪れたのであるが、仕事中、突然ジョゼフの気分が悪くなってしまった。 「少し休んだ方がいいかもしれない。4人は池のほとりに座って休憩をとることにした。のマリーが、「ジョゼフは私が見てるから、あなた達二人はちょっとその辺でも散歩してきたら?お城の方を見物してきてもいいわよ。」と言うので、二人の助手はとりあえず

    meech
    meech 2013/03/31
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