ブックマーク / www.keystoneforest.net (3)

  • 8月32日のお昼に。 - 森の奥へ

    8月26日18時、仕事帰り。 電車が駅に着く。 エアコンの効いた車内からホームに降ります。 外の空気をさほど暑く感じなくなりました。 山側改札を出るとすぐ前がバス停です。 次のバスが来るまで数分あります。 西の空を見上げたら、前日までと雲が違って見えました。 あれほど賑やかだった蝉の声が、遠くから微かに聞こえてくるだけ。 風が変わったみたいです。 バスはやーめた。 久しぶりに歩いて帰ろ。 8月27日7時。 駅に急ぐ途中、ドングリを拾いました。 まだ緑色なのに道端に落ちていました。 緑色だとドングリらしくありません。 もう少し大きくなれたのに。 そうしたら茶色のドングリになれたのに。 枝を折ったのは誰? 野鳥のいたずらでしょうか。 8月30日。 夏休みも、もうすぐ終わり。 あと一日でええからおまけしてくれへんかな…… 丸一日なぁ~んにも予定がなかったらどうするかな。 のんびりテレビ観て、昼寝

    8月32日のお昼に。 - 森の奥へ
    meeeglut
    meeeglut 2019/09/02
    青いどんぐり初めて見ました☆文章からにじみ出る優しさ…山猫さんのような大人の存在が子どもたちにとってありがたい存在だと思えます。私もそんな大人になりたいです。
  • 子供の頃、魔法を信じていました **ブックマーク・ツイートから** 山猫ノート27 - 森の奥へ

    子供の頃、魔法を信じていました。 選挙制度とか銀行の仕組みとか、高級ブランドの名前とか、愛とか恋とか、全然知らなかった子供の頃。 でも、魔法の存在は知っていました。 知っているだけじゃなくて普通に信じていました。 呪文の言葉を一生懸命考えました。 長ければ長いほど効き目がある気がしました。 唱えながら身振り手振りも付けました。 呪文の最後に気合いを入れ、勢いよく両手を前に突き出します。 ですが、 何度もトライしても、うまくいきませんでした。 けれど、 うまくいかないのは魔法が存在しないからじゃなくて、呪文の言葉が正しくないからだと思いました。 だから、 言葉を換えてまたトライしました。 秘薬も作ってみました。 手に入る材料は葉っぱやキラキラ光る砂粒や虫や錆びた鉄くず。 こちらの調合も一度も成功しませんでした。 そしてそのうち、 魔法は叶わないまま、大人になってしまいました。 魔法がどんな奇

    子供の頃、魔法を信じていました **ブックマーク・ツイートから** 山猫ノート27 - 森の奥へ
    meeeglut
    meeeglut 2019/08/19
    私も当時見ていたアニメの影響で魔法が使えたらと思い、自分のお気に入りのペンダントや時計で何か呪文のようなものを唱えたりして遊んでいました。山猫さんの記事を読んで、あの頃の断片を思い出し懐かしいです☆
  • 100万回生きたねこと、愛するということ。 - 森の奥へ

    死はいつも悲しいものです。 とりわけ幼い子の死となると、自分と直接の繋がりがなくても胸が痛みます。 このところ、親から酷いやり方で虐待される子供、あげくに命まで奪われた子供の報道にたびたび接します。 もはや胸が痛むどころではありません。 強い怒りとともにざわざわとした不快なものが胃の奥からこみ上げてくるのを感じます。 結愛ちゃん、心愛ちゃんたちのことです。 二人とも愛という名前を付けてもらっていました。 可愛らしいとっても良い名前です。 事件を知って以来、怒りと不快とが入り混ざった気分の悪さがずっと心の底によどんでいます。 この気分の悪さを少しでも晴らしたくて、親子の愛と生命の意味について思うことを書いてみます。 愛って何だろうと思ったとき頭に浮かんだのは2冊のでした。 『100万回いきたねこ』と『愛するということ』です。 『100万回生きたねこ』は1977年に出版された絵。 作・絵と

    100万回生きたねこと、愛するということ。 - 森の奥へ
    meeeglut
    meeeglut 2019/07/20
    未熟だった自分をふり返ってると、自分はもう誰も愛せないと思い込んでいました。今からでも遅くはない、磨いていけるのだということ。愛は技術であり、知力と体力が必要ということ…とても勉強になりました。
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