どこの誰が、いつごろ当てはめた言葉だったのか。 キャッチャー=女房役。 大正なのか、昭和なのか、いずれにせよ、「女房」という言葉が、令和の世よりもずっと、従属的な意味合いを持っていた時代に定着したことだけは間違いない。一昔、いや、二昔前、キャッチャーは確かに女房だった。ピッチャーを陰で支え、そっと寄り添う存在だった。 だが、野村克也のID野球が脚光を浴び、古田敦也がその申し子として活躍するようになったあたりから、キャッチャーこそがダイヤモンドの主である、との見方も広まった。 「あなたについていきます」から「俺についてこい」──。 「藤川投手、ごめんなさい」 藤川球児も、かつては明らかにキャッチャーの尻に敷かれるタイプのピッチャーだった。矢野燿大が出すサインは絶対。だから、大量リードの場面で変化球のサインを出されても何の疑いもなく従い、結果的に清原和博から罵倒された。 「藤川投手は何も悪くあ