ブックマーク / trivial.hatenadiary.jp (13)

  • 同性愛と近親相姦と論理的一貫性 - 一本足の蛸

    愛があれば同性愛もOKという人は近親相姦もOKというべき? - Togetterを読んで少し考えてみた。このまとめ記事に含まれていないツイートの中にも示唆的なものがいくつもあるのだが、論点を絞るためにあえてそれらには言及しないことにする。 まず、まとめ記事冒頭のツイートを引用する。 2番めのツイートはこれ。 この先、両者の応答が続くのだが、引用はこれだけにしておこう。 このやりとりで興味深いのは、理由づけられるものと理由づけるものとの関係を論理的にどう評価するのかについて意見のずれがあるということだ。 標準的な形式論理では、「AならばB」「AかつB」「AまたはB」というような関係は扱うが「AだからB」は扱わない。というのは、「AだからB」には論理が要求する普遍性がないからだ。「今日、雨が降ったから外出するのはやめにする」というのが外出をとりやめる正当な理由だとしても、明日雨が降った場合に外

    同性愛と近親相姦と論理的一貫性 - 一本足の蛸
    meltylove
    meltylove 2012/11/21
    繊細な論理的整合性の見極め方の話は好きなのだった。
  • 何を書いているかが理解できない - 一本足の蛸

    支倉凍砂『キタイのアタイ』 Illustration/国道12号 | 最前線 支倉凍砂の小説を久しぶりに読んだ気がする。 いや、気がするだけでなく、実際に久しぶりだ。 『狼と香辛料』の最後のほうは買うだけ買って積んであるし、『マグダラで眠れ』も買うだけ買って積んである。 マグダラで眠れ (電撃文庫) 作者: 支倉凍砂,鍋島テツヒロ出版社/メーカー: アスキーメディアワークス発売日: 2012/07/10メディア: 文庫購入: 5人 クリック: 245回この商品を含むブログ (61件) を見る支倉凍砂に限らず、ライトノベルは最近全然読んでいない。読める気がしない。読める気がしないのだから買わなきゃいいのだが、それでも買ってしまうのは惰性というもの。惰性で積まれるがかわいそうだが、なに、には感覚がないから自分が読まれているかどうかを知ることはないし、には感情がないから自らを哀れむこともな

    何を書いているかが理解できない - 一本足の蛸
    meltylove
    meltylove 2012/09/21
    面白いなー。確率話の肌感覚のなさはなんとか改善したいと思ってるので、参考例題的にも。→
  • 幼児が数分で解ける問題なら、大人なら数秒で解けるはず - 一本足の蛸

    某所*1経由で知った問題を解いてみた。見出しでは「数秒」と書いたが実際には30秒ほどかかった。 どういう過程を辿って解答に到達したのかを述べる前に、まず問題を掲げる。ただし、問題文は英語で書かれていて読めないので、数式(?)のみ。 8809=6 7111=0 2172=0 6666=4 1111=0 3213=0 7662=2 9313=1 0000=4 2222=0 3333=0 5555=0 8193=3 8096=5 1012=1 7777=0 9999=4 7756=1 6855=3 9881=5 5531=0 2581=??? ぱっと見て最初に思ったのは、「これは等式ではない」ということだ。当たり前のことだが4桁の数と1桁の数が等しいわけがない。等式ではないということは左辺と右辺を交換したときに式が成り立つという保証はない。なら、この数式もどきの「=」は矢印か何か別の記号に置き換

    幼児が数分で解ける問題なら、大人なら数秒で解けるはず - 一本足の蛸
  • 「なぜ人を殺してはいけないのか」を巡って - 一本足の蛸

    はてな 倫理・宗教・法律を持ち出さず、かつ情に訴える以外の方法で、「なぜ人を殺してはいけないか」を説明してください。 REVの日記 @Hatena::Diary - 釣堀:「なぜ人を殺してはいけないか」 Diary/2006-02-15 - August Doujin Data Base 「で、みちアキはどうするの?」 - あれで釣られんじゃ安いサカナだ 「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いそのものにはあまり興味はないのだが、いちおう私見を述べておく。 殺人は「してはいけないこと」のカテゴリーに属する一つの事例だが、同時にこのカテゴリーを成り立たせる根拠でもある。極端な言い方をすれば「殺人≒してはいけないこと」だ。 たとえば、強姦のことを「魂の殺人」などという比喩で表現することがある*1が、これは殺人が「してはいけないこと」の典型であることを踏まえたレトリックだ。 また、死刑制度の是

    「なぜ人を殺してはいけないのか」を巡って - 一本足の蛸
  • 空論としての「哲学」 - 一本足の蛸

    さっき、はてなブックマーク - Twitter / fromdusktildawn: ちなみに哲学的に厳密に議論するなら100000回実験 ...経由で知った話。 Twitterというのは便利だけど怖いツールで、一連の発言のごく一部だけ切り取って筆者の意図を読者に誤認させることができる。そういうのは性に合わないので、前後のツイートも引用しておこう。 二人の論者が、因果関係の証明の基準について議論していて、双方とも自分たちは「哲学」の議論をしているのではないと認識している、という状況があったようだ。 しかし、私見では、これは少し違っていて、両者はまさに哲学の議論を行っている。ただ、二人とも「哲学」という語をかなり限定的に解釈している。現実に我々が行っている推論や判断とはかけ離れた空論、という感じだろうか。 確かに、哲学は常識を否定したり、自明だと考えられている事柄について懐疑を投げかけたりす

    空論としての「哲学」 - 一本足の蛸
  • 二つの格差と通奏低音のためのトリオソナタ「地方都市」 - 一本足の蛸

    権利を主張するのは義務を果たしてから? またご冗談を……。 - デマこいてんじゃねえ!を読んで、なるほどなぁと思うとともに若干の違和感を覚えたので、少し書いておこう。 なにもできない赤ん坊だろうと、生きる権利はある。権利には「先天的なもの」とそうでないものがあるのだ。無人島で独り生活する人にも「生存権」はある。他者の存在とは無関係な、絶対的な権利というものがこの世にはある。 それに対して、責任や義務は後天的だ。他者の存在が――すなわち社会がなければ、責任も義務も生じない。 無人島で独り生活する人に生存権があるかどうか、というのはちょっと微妙だと思う。より極端なケースとして、人類最後の一人が、独り生活するというような状況を考えてみると、そこにはもはや生存権はないのではないかと思う。いや、「生存権がない」という言い方は不正確かもしれない。むしろ、こういうべきだろう。人類最後の一人にとって、生存

    二つの格差と通奏低音のためのトリオソナタ「地方都市」 - 一本足の蛸
  • この場合において、私たちの文芸には、システマーがいない(平成二十一年六月三日魔王十四歳第一信)中「文芸」とあるのは、「アンパン」と読み替えるものとする - 一本足の蛸

    無用な混乱を避けるため、話の範囲を限定します。 【略】 「文にかかわる芸」全般のことを、私はここで「文芸」と呼んでいます。それを文芸と呼ぶ必要があるのか、という意見と対立して名前を奪い合うつもりはないので、そういう人は「文芸」を「アンパン」とでも読みかえてください。 というわけで、早速私たちの文芸には、システマーがいない - 魔王14歳の幸福な電波を読み替えてみることにしよう。 文芸アンパンの場合でも、「"……"は三点リーダ二つで表現し、それより短くても長くてもいけない」みたいな、業界標準のお約束は色々あるようです。でも、「公認文芸アンパン規則」を誰かが作ってるという話は聞いたことがありません。「文芸アンパンプレイヤー」と「文芸アンパンシステマー」の境界は、野球のそれよりも曖昧で、重なる部分も多いように思えます。 アンパン業界標準のお約束の代表例としては「"……"はケシの実で表現し、ゴマを

    この場合において、私たちの文芸には、システマーがいない(平成二十一年六月三日魔王十四歳第一信)中「文芸」とあるのは、「アンパン」と読み替えるものとする - 一本足の蛸
  • 本質とそうでないものをどうやって見分ければいいのだろう? - 一本足の蛸

    というような疑問を否定や疑問こそ言語の質ではないか - 東京永久観光とか言語の質ってなんだろう - 「で、みちアキはどうするの?」を読んで、ふと思いついた。 で、例によってウィキペディアで調べてみた。 台湾語仮名(たいわんごかな)とは、日統治時代の台湾で試みられた、台湾語の発音を表記するための仮名を使った振り仮名。台湾語の発音には有気音や鼻母音など、日語の表記では区別しない発音があり、これらを仮名を使って表せるように考案されたものである。声調は仮名の傍らに特殊な記号を付けて示せるようになっている。総督府は台湾各所の発音を調べ、結果として西洋宣教師の影響を受け、いわゆる廈門音を基準にした。 あ、間違えた。 こっちだ。 質(ほんしつ)(希 ουσια (ousia), 羅 substantia / essentia)とは、あるものがそのものであると云いうるために最低限持たなければいけ

    本質とそうでないものをどうやって見分ければいいのだろう? - 一本足の蛸
    meltylove
    meltylove 2009/05/27
    諸言語とチョコレートパイの違いは? 本質バナシは、ほんと、注意しないとこれくらいの無茶は呼び寄せてしまうなーって思います。
  • 「自由意志は存在する」ということを、なるべく簡単に解りやすく説明してみたい - 一本足の蛸

    先日、カレーライスと鳥取人という記事を書いた。この見出しは名著『カレーライスと日人 (講談社現代新書)』のタイトルの捩りなのだが、内容は特に関係ない。当は記事の内容にあった見出しをつけるのがいいのだろうが、なかなか思い浮かばないことがあって、見出し一つであまり考え込むのも不経済だから、そんな時にこういう手を使うことにしている。 さて、今回の見出しは「で、みちアキはどうするの?」 - 「自由意志は存在しない」ということを、なるべく簡単に解りやすく説明してみたいの見出しを捩ったものだ。「存在しない」を「存在する」を置き換えたのだから、元記事に対する反論または批判を意図していると受け止める人もいるかもしれないが、別にそういうことを書くつもりではない。これはこれで独立した文章だ。 さて、自由意志である。 人には意志があり、意志に基づいて行動する。意志に反して何らかの行動をせざるを得ないこともあ

    「自由意志は存在する」ということを、なるべく簡単に解りやすく説明してみたい - 一本足の蛸
    meltylove
    meltylove 2007/01/28
    あがりました。このあたりまで分解して、これがありかなしか判定して、ありならありの理由を、なしならなしの理由を問うて、なんて感じで、積み上げて考えていくのが好き。いい単純化だと思った。
  • バカな話とバカな人 - 一本足の蛸

    もし、バカな話をする人がみなバカな人で、バカな人がする話がみなバカな話だとすれば、話は非常に簡単だ。だが、世の中そう甘くはない。バカな話をする人がバカな人である場合もあれば、バカな話をする人がバカな人でない場合もある。また、バカな人がする話がバカな話の場合もあれば、バカな人がする話がバカな話ではない場合もある。これをまず踏まえておこう。 さて、ある時に、バカな話をする人を見かけたとしよう。「ああ、バカだ。なんてバカな話なんだ!」と心の底からそう思い、「君はなんとバカな話をするのか」と口に出して言う。ここまではまあいい。しかし、これに続けて「君はなんとバカな人なのか」と非難するのは、あまり褒められたことではない。なぜなら、件の人が当にバカな人で、それゆえバカな話をしたのか、それとも件の人が当はバカな人ではなく、にもかかわらずバカな話をしたのか、そのふたつの可能性のうちから、何の考えもなし

    バカな話とバカな人 - 一本足の蛸
    meltylove
    meltylove 2006/09/07
    ばかなひととばかなはなしをするひとの構造。というか。把握の綺麗さと防御力の高さに素敵を感じた。
  • 「論理的」という言葉には二通りの用法がある - 一本足の蛸

    琥珀色の戯言 - 「論理的」が嫌いな理由 REVの日記 @はてな - 論理的という言葉が嫌い リンク先の話題とはちょっとずれる。というか相当ずれるのだが、「論理的」という言葉の二通りの用法について書いておこう。もしかしたら以前同じようなことを書いたかもしれないが気にしないことにする。どうせ誰も覚えていないだろうし。 日常会話で「論理的」という言葉を使うとき、たいていは「筋道が通っている」とか「理にかなった」というような意味だ。反語的に使う場合もあるけれど、そうでなければ肯定的な含みをもつことが多い。この場合の「論理的」の対義語は「非論理的」だが、文脈によっては「論理的」と「感情的」が対になることもある。いずれにせよ「話が飛躍していてまとまりがない」とか「その場の思いつきだけできちんと考えられていない」とか、そういった悪い含みをもっている。 しかし、「論理的」にはもうひとつ別の用法もある。そ

    「論理的」という言葉には二通りの用法がある - 一本足の蛸
    meltylove
    meltylove 2006/06/06
    論理的の二つの用法。対象の構造に論理があるかどうか。対象が論理領域にかかわるものであるかどうか。
  • 雨が降るのと犬が走るのとはどう違うのか? - 一本足の蛸

    雨が降る。これは一つの出来事だ。 犬が走る。これも一つの出来事だ。 そう言ってしまえば、両者の間には構造的な違いは何もないように見える。もちろん、犬は生物だが雨はそうではない、とか、雨は数えられないが犬は数えられる、とか、そのようなレベルの違いはいくらでも挙げることが可能だ。だが、そんな瑣末なことではなく、もっと大きな違いが二つの出来事の間にはある。 犬が走るという出来事について考えてみよう。この出来事には当然犬が登場する。まず犬がいて、それが走る。この出来事はそのような構造をもっている。 対して、雨が降るという出来事は、そのような構造をもってはいない。まず雨があって、それが降る……ということはないのだ。端的に、雨が降る。降るということから切り離された雨、すなわち、降らない雨などというものは存在しない。雨は雨である限り、降る。 走る犬もいれば、走らない犬もいる。犬にとって走るということは

    雨が降るのと犬が走るのとはどう違うのか? - 一本足の蛸
    meltylove
    meltylove 2005/11/11
    主語と述語が独立している言葉と、主語と述語が依存関係にある言葉。
  • 京王線と埼京線の間 - 一本足の蛸

    たとえば、養分と酸素の入口がほとんど同じなのでべ物がノドに詰まって窒息する恐れがある。なんでこうなったかというと、古い生物に空いていた穴をいきあたりばったりに転用したり、そこに別のものを勝手に追加したりということを繰り返してきたからだ、と考えられる。要するに、グランドデザインがあって作ったらこうはならないだろうという妙な構造が人間の身体には案外多いのだ(「歯と歯茎の間」がその例と言えるかどうかは分からないが)。新宿駅で京王線から埼京線までがやけに遠いのとまったく同じこと。駅も人間も、その時々の都合で既にあるものに建て増ししていった結果(進化)なのだ。もっと単純なことをいうなら、目が前だけでなく後ろにもあったらもっと便利ではないか。二足歩行は素晴らしいかもしれないが、自動車みたいな車輪で移動する生物でもよかったではないか。(ジョージ・C. ウィリアムズ『生物はなぜ進化するのか』ASIN:4

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