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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/Syouka (14)

  • 年齢と幸福度の関係 - 月明飛錫

    雑記 | 02:09 | 12月5日に内閣府から発表された「幸福度に関する研究会報告―幸福度指標試案―」を見ていて、改めて気になった調査があった。それは、日の高齢者の主観的幸福度が低いことだ。参考:http://www5.cao.go.jp/keizai2/koufukudo/koufukudo.html 下のグラフは、同報告書より引用したもの。オレンジの線で示されている、日人が主観的に感じている幸福度は、若いころほど高く、40代後半まではアメリカ人よりも高い。それなのに、50才以降では、アメリカ人が感じている幸福度がどんどん上昇していくのに対して、日人の感じている幸福度は、上がるどころか下がっている。このグラフはアメリカ人との比較だけだが、それ以外の外国の調査でも、年齢と幸福度の関係は、U 字カーブをたどるとされる。その要因について同報告書では、次のように述べている。 「熟年層に入

  • 国立国会図書館は、大英図書館を見習って、新聞データのデジタル化を進めるべき - 月明飛錫

    雑記 | 01:17 | イギリスの大英図書館が、過去300年分の新聞データをデジタル化(OCR)し、新サービス、British Newspaper Archiveをはじめた。http://www.britishnewspaperarchive.co.uk/ このサイトでは、大英図書館が収蔵する新聞4000万ページを、オンラインで無料で検索することが可能だ。読むためには購入しなければならないが、こうした膨大なデータをデジタル化し、公開した姿勢は、評価したい。 参考記事:大英図書館が300年ぶんの新聞データを公開、検索・購入可能 今のところ British Newspaper Archive は、1700年代から1940年代までの記事が対象になっている。たとえば、「rights and duties」で検索すると、1711年から1945年までの膨大な記事が表示される。こうした膨大な資料が検索

  • 著作権を守る一方で原盤を廃棄しているCM業界 - 月明飛錫

    雑記 | 01:48 | 今日は、山田奨治氏の著作『日の著作権はなぜこんなに厳しいのか』に掲載されていた興味深いエピソードを紹介したい。なお、書の全体的な感想については、別なエントリーを書く予定である。 日では、CMは「映画の著作物」になっており、画像の権利は広告主、制作会社、広告会社に属し、音楽に関してはJASRAQの管掌になる。このほかに出演タレントの肖像権も存在するため、タレントの所属事務所も関係する等、権利関係が複雑に入り組んだ物となっている。 その結果、CMの管理を厳格に行うことには成功したが、過去のCMを誰もが自由に閲覧することはできない。もちろん、勝手にCMをネット上にアップするのも違法行為にあたる。日のCMを研究しようと思ったら、権利保有者と個別に交渉するか、業界団体・全日シーエム放送連盟に依頼する必要がある。著者は、学術出版物にCMの写真を掲載しようとして、メー

  • ネクタイの次にスーツが廃れた東京の夏 - 月明飛錫

    雑記 | 00:57 | 先日、6時ごろ汐留に行ったところ、半そでシャツ・ノーネクタイ姿の大勢のビジネスマンとすれ違った。ちょうど仕事を終えて駅に向かう途中の人々だったのだらしいが、手にジャケットを持つ人はごく少数だったのが印象的だった。付近の大企業が、節電を意識して軽装を奨励しているという事情があるのかもしれないのだけれど、クールビズはずいぶんと浸透しているのだな、と改めて思った。 それで思い出したのは、1年ちょっと前に、「ネクタイの次に廃れる「非合理的な社会的慣習」は何だろう?」というエントリーを書いたときのこと。「イギリスと違って高温多湿の日においては、真夏のネクタイは非合理的」と、ややうかつな表現をしたせいもあったのだが、ツイッターでずいぶん広まったこのエントリーには、多くの賛成意見と同時に、厳しい批判もいただいた。多かったのは、スーツにネクタイは大人の男性のおしゃれであって、そ

    memoclip
    memoclip 2011/08/15
    >多くの人が潜在的に望んでいることは、何かそれを正当化するきっかけがあると急速に普及する
  • 言葉を発することは自由になったのに、言葉が権力に届かない - 月明飛錫

    雑記 | 01:34 | 「言葉を発することは自由になった。しかし、言葉が権力に届かない。それが問題だ。」これは、今日のNHK番組「ETV特集 ソルジェニーツィンと大統領たち」の中で、ソビエト崩壊後に自由を手に入れながら貧困の中で不満を募らせていた大衆について語った言葉。番組を観ながら、今の日でも同じことが問題になっているのではないかと感じた。 スターリンの圧政を描き、1970年のノーベル文学賞を受賞したソルジェニーツィンは、1974年に国外追放され、ソビエト崩壊後の1994年に帰国した。地方を見てまわったソルジェニーツィンの目にうつったのは、貧困の中で途方にくれる人々だった。番組の中で、彼の奥さんが語っていたことが非常に印象的だった。録画していなかったので正確な引用はできないが、概ね以下のような趣旨のことを言っていた。 共産主義から救い出されることは、全ての悪から救い出されることではな

  • 敵が見えない時代なのかな? - 月明飛錫

    雑記 | 02:35 | ロンドン北部トットナムで警官が黒人男性を射殺したことから始まった暴動で、たくさんの建物が炎上し、フードを被った若者たちが警官を威嚇する動画を見て、衝撃を受けると同時に、いろいろと考えさせられた。 1.今回の暴動の特徴ロンドンでは、これまでも暴動がたまに起こっていたけれど、今回は逮捕者が累計で1000人を超え、1980年代以降の英国で最悪の暴動となった。この暴動を報道するメディアが共通して伝えていることが2点ある。 (1)暴動参加者が、携帯電話ブラックベリーのメッセージ・サービスやツイッター、フェイスブック等のソーシャルメディアを使って情報を共有していたこと。アラブに春をもたらした新しいメディアは、暴動拡散装置としても機能し、改めてインターネットもソーシャルメディアも道具であり、それをどんな目的で使うかは人間次第であることがわかる。 (2)今回の一連の暴動の背景には

    memoclip
    memoclip 2011/08/15
    悪の親玉が消失してしまった現代。
  • テレビ局は営利企業か、それとも公共性があるのか - 月明飛錫

    03:05 | 俳優の高岡蒼甫氏が、フジテレビの韓流放送の批判をきっかけに事務所を退社したことが波紋を呼んでいる。この件に関して、コストが安く、その割に視聴率をとる韓流ドラマを多く放映するのは、営利企業として当たり前の選択だという意見がある。参考:CXは別に売国奴じゃない。みんながユニクロに行くようなもの」 しかし私は、民放放送局を営利企業と言い切る点に、違和感を持っている。(ただ、最初にお断りしておくと、私は民放を見なくなって久しく、韓流ドラマも見たことがないので、フジテレビの放送内容については言及できない。) ケーブルテレビで、特定国のコンテンツのみを流す、ボリウッド(インド映画)チャンネルやブラジル音楽専用チャンネルがあっても、誰も批判しない。もちろん韓流ドラマ専門チャンネルについても。チャンネルは無数にあり、観たい人が自分で選択して契約し、自分で料金を払って観るからだ。 しかし、日

    memoclip
    memoclip 2011/08/02
    テレビ事業だけでは苦しいのかなー。
  • ハイ・コンテクスト社会は爆発する - 月明飛錫

    雑記 | 01:37 | 文化人類学者のエドワード・T・ホールが、、「文化のコンテクスト度」という概念*1を提示した著作『文化を超えて』の中で、最近気になっている指摘がある。 まず、簡単に関連する内容を要約しておく。人間は、自己に内在するコントクストのおかげで、メッセージの情報が歪曲していたり欠落していても、それを自動的に正したり補ったりすることができる。そしてコンテクストを共有していると、いちから説明する必要がないので、コミュニケーションを効率的に行える。日のようなハイ・コンテクスト文化では、全て言葉にしなくても察してもらえるということになる。 暗黙知の共有を前提とするハイ・コンテクストの文化は、莫大な量の詳細なプログラミングの上に成り立っているだけに体系が強力であり、その体系内では創造的になりるが、変化しにくい。体系外の新しい事態に遭遇したときには、コンテクスト度の一番低いところから

    memoclip
    memoclip 2011/07/29
    虎屋の話を読んで、未読で気になってた本を思い出せた。
  • ソーシャル化で日本のハイコンテクスト社会は変わるのか (1)ハイコンテクストな日本文化 - 月明飛錫

    雑記 | 02:46 | 日人のコミュニケーションは、暗黙知の共有を前提にしたハイコンテクスト型だといわれる。最近、ソーシャル化が進むと、このコミュニケーションのあり方は変わっていくのだろうか、ということについてを考えている。まず今日は、日文化がハイコンテクストであることについて書きたい。 文化人類学者のエドワード・T・ホールは、『文化を超えて』の中で、「文化のコンテクスト度」という概念を提示した。コミュニケーションは、明示的に示される情報(言葉)とコンテクスト(非言語要素)の2つの要素で成り立ち、その割合は文化・社会によって異なるというのがホールの指摘だ。 文化を超えて (研究社小英文叢書 (255))作者: Edward T.Hall,安西徹雄出版社/メーカー: 研究社出版発売日: 2003/04メディア: ?クリック: 1回この商品を含むブログ (4件) を見る ロー・コンテクス

  • 企業の海外シフトが続く中で、個人ができること - 月明飛錫

    雑記 | 02:28 | 日はモノ作りで稼いでいる国―こんなイメージを持っている人は多いのではないだろうか。 しかし、日と外国の間のお金の流れを見ると、それとは別な姿が見えてくる。今の日では、輸出額から輸入額を引いた貿易黒字よりも、海外からの利子や配当などの所得収支が多くなっているのだ。 参考:http://www.mof.go.jp/international_policy/reference/balance_of_payments/bpnet.htm グラフからわかるように、2005年に貿易収支の黒字額を所得収支の黒字額が上回り、それ以来、所得収支の黒字額が貿易黒字よりも常に多くなっている。 理由は2つある。1つは日人が保有する外国証券が増えたことで、そこから受け取る債券利子等が拡大したことや、日企業の海外進出が増えて、海外の子会社等(出資比率10%以上)からの配当金受取が増

  • パソコンのモニターはなぜ横に長いのか - 月明飛錫

    雑記 | 01:00 | 「パソコンのモニターはなぜ横長なのだろう?」と常々疑問に思っていた。 私が今使っている液晶モニターは、6年ほど前に購入したものなので、正方形よりやや横長という程度だけれど、それでもWebページを見ている時は、左右にデッドスペースができることが多い。グーグルの検索結果でも、ブログでも、ウエッブ上のコンテンツは縦長にできていることがほとんどだからだ。 そして、文章や表示結果を上から下にスクロールさせて読む。ニュースサイトなどでは、記事を分割して表示しているところが多いけれど、個人ブログなどはそうなっていない。何度もスクロールしながら縦長のコンテンツを読み進めていると、スクロールさせているうちに目がチカチカしてきて、どこまで読んだのかわからなくなることがある。 要するに縦長のコンテンツを横長に表示すると、1画面あたりの情報量が少なくなり不便である、というのが私の実感だ。

  • 日本の貯蓄の6割が60歳以上の世帯に集中 - 月明飛錫

    雑記 | 03:48 | 総務省が昨日発表した2010年平均の家計調査 貯蓄負債編(2人以上の世帯)によると、1世帯当たりの平均貯蓄額は前年比1.2%増の1657万円となり、5年ぶりに増加した。 貯蓄額の年代別の割合をみると、60歳以上の世帯が全体の62.4%にのぼり、この比率は前年比1.7ポイント上昇した。さらに過去に遡って推移を見ると、ほぼ一貫して貯蓄が高齢世帯に集中し、30代以下の貯蓄が減少していることがわかる。参考:http://www.stat.go.jp/data/sav/sokuhou/nen/pdf/h22_gai4.pdfhttp://www.stat.go.jp/data/sav/sokuhou/nen/pdf/h22_gai8.pdfhttp://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001073917 1.貯蓄が60歳以

    memoclip
    memoclip 2011/05/23
    年齢層の比率とどれくらい連動してるのかな。
  • 関東大震災は新聞業界を大きく変えた。今回も変わるだろう - 月明飛錫

    明治の新聞, 雑記 | 02:50 | 1923年の関東大震災は、新聞界にも激震をもたらし、大阪系の『朝日新聞』と『毎日新聞』が飛躍するきっかけとなった。業界全体でも震災後の発行部数は倍増した。しかし今回の地震は、紙の新聞の凋落を加速させるだろう。 1.関東大震災と新聞業界の激変ラジオもテレビもまだ存在していなかった大正時代、人々が情報を得るのは、口コミを覗くと新聞に限られていた。関東大震災前の東京では、10万部以上を発行する新聞社が10社も存在し、群雄割拠状態となっていた。しかし1923年9月1日の震災は、多くの新聞社に大きなダメージを与えた。この地震はちょうど昼時に起こり、しかも風が強かったため、東京では火災が広がり、多くの新聞社が社屋を焼失した。辛うじて難を逃れたのは『東京日日新聞』(毎日新聞東京社の前身)、『報知新聞』(読売新聞グループのスポーツ紙、当時は一般紙)、『都新聞』(

  • 孤独な時間を楽しんで、その結果で人と繋がったらどうかな? - 月明飛錫

    雑記 | 21:06 | 昨日の特報首都圏『“ひとり”が怖い』では、今の大学生が「友達がいないと思われる」ことを極端に恐れる傾向が高まっていることを取り上げていた。 番組冒頭で、「1人で学に入るのはきつい」と答える学生が、何人か映っていた。 えー! 1人で学なんて、あたりまえじゃないの? と約20年近く前に大学生活を送った私は驚いた。高校と違って、大学ではみなが同じ授業を受けるわけではないから、違う講義をとったら、友人とバラバラになることになって、昼を1人でべることは珍しくない。 でも、NHKで首都圏の大学生400人にアンケートをとったところ、学でひとりでべることに抵抗がある学生が、6割近くを占めたそうだ。 正確に言うと、「1人でべる姿を見られたくない」ということらしい。 1人で事をする  ↓つまり、友人がいない  ↓友人がいないのは、自分に魅力がないから  ↓自分は、価値

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