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ブックマーク / ichinics.hatenadiary.com (6)

  •  2001年3月のセガサターン - イチニクス遊覧日記

    Sがセガサターンをくれるというので、荻窪までとりに行った。Sの家に行くのは2回目だったけれど、大通りを左にまっすぐ行ってトンカツ屋(牛丼だったかもしれない)の角を右、という説明どおりに路地を入ると、すぐにSのオレンジのバイクが見つかった。 「あれも売り先は決まってるんだ」とSは言った。まだ埼玉に住んでいた頃、買ったばかりのそのバイクに触って怒られたのを思い出す。歩いて5分のフォルクスへ行くのにも、Sはひとりでバイクに乗って行った。「それなら乗せてくれればいいのに」というTの言葉に「どっちかだけ乗せるのは不公平でしょお」と抜け切らない名古屋なまりでへらへらと笑っていたのも懐かしい。 気なんだかよくわからない笑顔は相変わらずだったものの、Sの部屋は様変わりしていた。家具は全てなくなり、紙袋に入ったセガサターンと、スーツケースひとつ、後はいくつかの空き缶が部屋の隅に並んでいるくらいだった。はじ

     2001年3月のセガサターン - イチニクス遊覧日記
  •  セブンイレブンのポテトチップスがとてもおいしい - イチニクス遊覧日記

    長年、自分の好きなポテトチップスといえば、カルビーのコンソメパンチ、コンソメダブルパンチ、北海道限定なのが惜しい北海道バターしょうゆ味と、湖池屋カラムーチョで落ち着いているのですが、いっこ忘れられないポテトチップスがあって、それは台湾のセブンイレブンに売っていた、塩味のポテトチップスでした。 → 旅行に行くと、現地のポテトチップスをべるのが楽しみだったりもするんですが、香港や中国、タイなどのコンビニに行った際には、日からの輸入品や同パッケージの現地工場版がならんでいることのが多かったような気がします。 数年前の台湾旅行の際も、泊まっていたホテルの横にあったセブンイレブンで最初にむかったのはやはりポテトチップス棚でした。いくつか見かけたことのあるパッケージが並ぶ中に、現地のセブン限定っぽいパッケージのポテトチップスがあって、文字は読めないけど、厚切りっぽいことが書いてあるのでそれにした。

     セブンイレブンのポテトチップスがとてもおいしい - イチニクス遊覧日記
  • 皇国の守護者 5巻/原作:佐藤大輔 作画:伊藤悠 - イチニクス遊覧日記

    皇国の守護者 5 (5) (ヤングジャンプ・コミックス・ウルトラ) 作者: 佐藤大輔,伊藤悠出版社/メーカー: 集英社発売日: 2007/11/19メディア: コミック購入: 6人 クリック: 117回この商品を含むブログ (211件) を見る無念の連載終了の知らせから二か月。 読みながら、これ全然終わる気がしないんですけど…とかずっと思ってて、最終回読みおわってもまだ、狐につままれた気分だった。 新城はほんとうに魅力的な主人公だったし、5巻通してすこしもブレるところのないこのキャラクターは、もちろん原作に支えられているからなのだろう。それでも、新城のこの、表情の描き方の、こぼれんばかりの魅力はなんだよ! 会話の切り取り方、仕草、そういった部分が原作をうまく演出していたからこそ(原作読んでないけれども)、この「皇国の守護者」漫画化はとてもすばらしい作品に仕上がっていたんじゃないかと思う。だ

    皇国の守護者 5巻/原作:佐藤大輔 作画:伊藤悠 - イチニクス遊覧日記
    memoclip
    memoclip 2007/11/25
    漫画版が評判になったことで「皇国」を知って、しかし最初に手をとったのは小説版。漫画の絵が引用されていたのは、挿絵かと思ってた(笑)途中でそれに気付き、漫画版も購入。両方にとても満足。だから残念…。
  • 「猫のこと」 - イチニクス遊覧日記

    のこと」 家に帰ったら真っ先に、ソファに直行する日が続いていた。ストーブ炊いて、ホットカーペットしいて、布団にくるまって、それでも誰かが帰ってくるたびに、顔をあげて、鳴く。その声が今日は聞こえなくて、寝てるのかなと思ったけど、触れてすぐに、わかってしまった。濡れたように、動かないその背の上で、急に自分の手が重く感じられる。けど、よく見ればそれは、私のよく知ってるいつもの寝顔で、不思議と、ああよかったねと、思った。 土曜日の夜に顔をみたときから覚悟はしていた。「顔が変わっちゃったね」と言ったら、こんな美人さんなのにひどいこというねぇ、と母さんはいったけれど、あのくるしそうなときより、今のが、ずっと落ちついた顔してる。 拾ってきたのは弟で、名前をつけたのは私だった。それももう、20年以上前のこと。私が小学生の時から一緒に住んでいたので、今でもあちこちに、そっと歩く気配があるような気がするん

    「猫のこと」 - イチニクス遊覧日記
  •  じっと手を見て目をそらす - イチニクス遊覧日記

    最初に、わたしはわたしであってほかの人ではないのだ、ということに気付いたのは、いつのことだっただろうか。 残念ながら、私はその瞬間を明確には覚えていないのだけど、ただ、たしかに幼い頃の自分は、もっと曖昧で、いろんなものと混じりあっていた。 お風呂に入ればゼラチンのように溶け、冷蔵庫から出した麦茶を飲めば体の内側を落ちていく冷たさが空気にまで広がるようだった。母親に手を添えられて書く文字の、意味はわからなくても次にどう動くのかはわかるような気がしたし、友達と遊んでいてもつい、そのことを忘れてダンゴ虫を集めるのに夢中になったりした。 そんなふうに、世界に寄りかかって境目もおぼろげな日々を過ごしていた間は、案外長かったような気がする。 しかしやがて、思っていることは、自然にわかってもらえるものではなく、外に出そうとしなくては伝わらないのだということを知り、漠然と、わたしとわたし以外は何かが違うと

     じっと手を見て目をそらす - イチニクス遊覧日記
    memoclip
    memoclip 2007/09/24
    こんな風に動いていたのは小学生終わりくらいまで。かなり遅い。田舎でしたから。
  •  わたしが無職だったころ - イチニクス遊覧日記

    春になると、最初の勤め先を辞めて、無職になったときのことを思い出す。よく自転車に乗った日々だった。菜の花が満開の川沿いを走り、公園へ行ってを読み、風がつめたくなれば喫茶店へ移動しを読み、ブによってを買い、家に帰ってまたを読んで眠った。 一見、なかなかに充実した日々のようだけど、結局は暇から逃げていたのだと思う。少し目をそらせば、自分が無職であるという事実に気分が重くなったし、友達にあえば、その話になるのがわかりきっていたから、携帯電話も持ち歩かなかった。持ち歩いてもあまり見なかった。その習慣は今でもつづいていて、メールの返事がおそいとよくいわれる。 でもたまには人に会った。そして、私が数日ぶりみたいに感じていることと、相手が数年ぶりみたいにふるまうことに、もしくはその逆に、すこしさみしくなった。 力強くペダルを踏み込む。そのことで少しずつ薄く遠くなれるような気がしたけど、薄く遠くな

     わたしが無職だったころ - イチニクス遊覧日記
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