本家のブログ(広告β)を更新停止しました。こちらも、たぶん停止すると思います。アカウントにはかなり思い入れがありますが、それも停止するような気がします。とくに何かがあったわけではないですが、節目ということでリフレッシュしたいと思います。読んでくださっていた方、ありがとうございます。また近々お会いしましょう。
本家のブログ(広告β)を更新停止しました。こちらも、たぶん停止すると思います。アカウントにはかなり思い入れがありますが、それも停止するような気がします。とくに何かがあったわけではないですが、節目ということでリフレッシュしたいと思います。読んでくださっていた方、ありがとうございます。また近々お会いしましょう。
必要悪があるんだったら、不必要善もあるんじゃないか。ということで考えてみる。 まず必要悪だけれど、これは、最悪を防ぐための悪だということになる。その役割は、善を引き立たせたり、悪に対するワクチンであったりする。必要悪をおくことによって善を成り立たせ、善悪の世界そのものが致命的に破壊されることを防ぐという、そういうものだろう。つまりここでの「必要」は、いま成り立っている世界自体を壊さないという意味だ。世界自体が継続するかどうかということを問題にしている。もっというと、善悪ということと、世界の継続性というのは別問題ということかもしれない。 それで不必要善はなにかということだけれど、これは必要悪の対極となる内容だ。さっきの「必要」の定義から考えると、「不必要」というのは成り立っている世界そのものを破壊してしまうということである。世界そのものを破壊してしまう善とはなにか。それは絶対善、すなわち無条
何十年前かの知識人の文章を読むと、漢字の少なさに驚くことがある。そして、そちらのほうが読みやすい。IMEでもATOKでもいいけれど、漢字変換をしすぎないような設定にしてくれないだろうか。制御が難しいと思うのだけれど、漢字の文節が一定以上近づかないように調整するとか、文末をあまり変換しない(〜下さい、では無い、考える、など)とか。あるいは有名な知識人の文章をかたっぱしからスキャンしていって、その変換をならうとか。そうしたらブログ上の文章とか、けっこう変わるんじゃないかとおもう。
これは私のことですな。なんでこういうことが起きるのか。考えてみた(考える前に動けよ!)。 前提 物事は完璧でなければいけないと思っている 現実 そうそう何事も完璧にはいかない あるべき姿と現実の乖離のあまりの大きさに足がすくんでいる=何もしない、できない 起こること 慢性的フラストレーション 完璧でなければいけないという思いは保全されるので、他人の歩みの不完全さに対しては口を出す 参考→先延ばし−Wikipedia
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