そのシカケを施した南部陽一郎博士がノーベル賞候補に挙げられるようになったのは1960年頃からだった。私は幼少時代から音楽の教育を受けてきたが、ティーンエイジャーになってからは、大学で学ぶ専門は物理学にしようと考えるようになった。その頃既に、南部博士は歴史上の人物になっていた。 雲の上の人としてずっと畏敬してきたが、実際に私が東京大学で物理学を学ぶようになってセミナーでお会いした時、南部先生は才気煥発なだけでなく大変気さくな方だと初めて知った。 それから20年ほど経って87歳の南部博士に、小林・益川両博士とともにノーべル賞が授与された。 受賞発表の直後、ストックホルムからの電話インタビューでは授賞式に出席するような口ぶりだった南部教授が、夫人の健康状態を理由に式への欠席を表明したのは報道を通じて知っていた。 だが、インターネットで受賞記念講演のビデオを見て、そこに仕かけられた企みに気がつき、
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