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ブックマーク / karotousen58.hatenablog.com (11)

  • 誤解されていた「水晶米」 - karotousen58のブログ

    特別お題キャンペーンの記事では過去に、「お若い人には想像のつかないであろう世界」を書いたことがある。今回も、お若い人を惑わすかもしれない。 「平成の米騒動」よりも昔の話。「標準価格米、自主流通米、糧管理制度、水晶米」という言葉、お若い人にはどの程度通用するのだろうか? このキャンペーンを知って、私の頭に最初に浮かんだものは「水晶米」という名の米である。1970年代に、うちではこの米を買っていた。 この「水晶米」の味を、私の家族は誤解していた。昭和が終わりかけるまでずっと。「誤解していた」とわかった頃には、水晶米は売られていなかった。「パールライス」という名前に変わっていた。 「水晶米の当の味、どんな感じだったのだろう? 水晶米さん、家族が変な炊き方をしたために『まずい米』とずっと誤解して、ごめんなさい。」という内容の記事になる。 私の母は、機械音痴である。しかも、「説明書を読まない」人

    誤解されていた「水晶米」 - karotousen58のブログ
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    mfigure 2019/10/10
    貧乏学生で標準価格米でも十分美味しかった。一番影響があるのは炊き方だと思う。安いコメとして今でも売ってくれないかな?/何と今でも売ってるらしい。知らなかった。
  • スマホ駆け込みデビューから20日ほど経って - karotousen58のブログ

    スマホデビューをしてから、20日ほどが経った。実際に使ってみて、「フィーチャーフォン(いわゆる「ガラケー」のこと)とは、やはり違う。」と思った。また、「違う」のは体だけではなかった。 購入や契約、実際に使い始めるときなどにも、意外な「難しさ」があると思った。それらについては、書店にあるではほとんどふれられていなかった。私の生活圏内での話ではあるが。 また、「上手に使えば、スマホには、高齢者の生活世界を広げる可能性がある。『スマホなんて、若い人が使う物』と決めつけるのはもったいない。」と思った。 私の身近には、「スマホなんて使わない。機械文明に踊らされない私、カッコイイ。対面で人とつきあえない、スマホとお友達という人なんて暗い。」的価値観をお持ちなのかも? と思われる人が多い。 購入前に、「iPhoneにするかAndroidにするか」決める必要がある。どちらにするかで迷った人は少数なのだ

    スマホ駆け込みデビューから20日ほど経って - karotousen58のブログ
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    mfigure 2019/05/28
    自分は最初電話の取り方が分からなかった。電話アイコンのボタンを押しても繋がらず、後でPCでメーカーサイトを見て画面上を左から右へ指を滑らせるのだと知った。そんなの絶対分からん。
  • 認知症高齢者の入院と身体拘束 - karotousen58のブログ

    今年1月下旬から、母(認知症高齢者)が入院している。入院診療計画書によると、「骨折で歩行困難な状況、2~3ヶ月の入院予定」とのことだ。 今月に入ってから、歩行がやりやすい状態になったようだ。 ところが、歩行がやりやすくなったらなったで、また新たな問題が出てきた。「無断で、ベッドから出て歩行していた」とのことだ。 認知症で、ナースコールについて、理解困難な模様。転倒、転落の危険があるため、「緊急やむを得ない身体拘束に関する説明書」が出された。勿論、書面記載事項に関する説明も、丁寧になされた。 認知症高齢者が入院する場合、「緊急やむを得ない身体拘束」についても考えておく必要があると思った。 「緊急やむを得ない身体拘束に関する説明書」の中に、「身体拘束の方法(場所・行為・部位・内容)」に関する記述がある。拘束具の名称がいろいろと出ている。コールマット、うーごくん、座コール、安全ベルト、閉鎖4

    認知症高齢者の入院と身体拘束 - karotousen58のブログ
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    mfigure 2019/02/09
    認知症患者の入院ベッドの周りには不用意に踏んじゃうと看護師さんが飛んでくるマットがあったりするらしい。
  • 今週のお題「部活動」 - karotousen58のブログ

    今週のお題「部活動」 もしも、タイムマシンに乗って中高生時代の自分に会えたなら、私は次のことを話すだろう。 ・「部活動は楽しいに決まっている。部活動で青春を謳歌するのが普通。」という類の言葉を聞かされているのなら、「アビリーンのパラドックス」という言葉も知っておいて損はないぞ。大学に入って、「部活動を楽しめない自分は、おかしいのだと思っていた。」という告白をしてくれた人が結構見つかったぞ。 ・「部活動は楽しいし、人間的に成長できる。帰宅部の子は無気力。」という類の話を聞かされていると思うけど、それって実は、菊池寛の小説『形』みたいな話だぞ。 アビリーンのパラドックス - Wikipedia 菊池寛 形 以前、はてなハイクに次のような文章を書いた。 「部活動は好意的な評価をされているのに、塾通いは悪く言われる」ことに、合点がいかなかった(今でもそうだが)。 帰宅部は、無気力とか時間を有意義に

    今週のお題「部活動」 - karotousen58のブログ
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    mfigure 2017/04/26
    文科系で文芸や美術をやれば、学校に縛られる事もないと思うが。
  • 「『障害者×感動』の方程式」周辺にあるもの - karotousen58のブログ

    NHK:「障害者を感動話に」方程式批判 - 毎日新聞 [障害] [社会] 「自分の幸せが改めてわかる」という理由に吃驚。「『非障害者の自分』と対比→自分と異なるカテゴライズ→幸運/感謝を隠れ蓑に同情/優越感を持つ」自分を見つめた上でのその回答なら、関係性改善の模索に繋がるかも 2016/08/30 01:23 この記事で私が最も驚いたのは、次の箇所である。 「障害者の感動的な番組をどう思うか?」と健常者と障害者100人ずつに聞いた調査では、「好き」は健常者が45人に対し、障害者は10人。健常者の好きの理由は「勇気がもらえる」「自分の幸せが改めて分かる」など、障害者は「取り上げてもらえるなら、感動話でも仕方ない」だった。 好きな理由を見て驚いた。「これはひどい」という意味ではない驚きも含まれている。 「勇気をもらえる」「自分の幸せが改めて分かる」「取り上げてもらえるなら、感動話でも仕方ない」

    「『障害者×感動』の方程式」周辺にあるもの - karotousen58のブログ
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    mfigure 2016/09/12
    これね、「障害者」を「貧困者」に置き換えても全く同じ事になるのよね。だから、貧困者らしくない貧困者だった某女子高生は叩かれた。
  • 目的がわからない「全国学力テスト」 - karotousen58のブログ

    東京新聞:学力テストで一部生徒の答案除外 沖縄の中学「平均点下がる」:社会(TOKYO Web) [教育] [学校] この中学校関係者を庇うわけではないが、実は、映画『みんなの学校』でも似たようなことがなされている。何故かこの映画は批判されない。「批判されるのならまだマシ」と、「平均点を下げてきた」私は思う 2016/08/24 14:18 文部科学省の発表によれば、全国学力テスト(全国学力・学習状況調査、全国共通学力調査)の目的は「児童生徒の学力の状況を把握」ということである。 統合教育(注 インクルーシブ教育という言葉を私は使いたくない。いわゆる「投げ込み統合」問題について真剣に考えられているとは思えないからだ。)崇拝者が絶賛する映画『みんなの学校』でも、このテストに関するシーンがあった。「文部科学省の発表とは違った目的で、このテストが使われているぞ」としか思えない描写だった。 去年の

    目的がわからない「全国学力テスト」 - karotousen58のブログ
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    mfigure 2016/09/01
    福井県も成績上位の常連だが、正攻法ではないカラクリがあるのではないかと疑ってしまう。
  • ウヤムヤな状態にある、「障害児と健常児が共に学ぶ教育」概念 5 - karotousen58のブログ

    今回は、「障害者権利条約や合理的配慮に関する解釈」へのウヤムヤ状態について書く。 合理的配慮とはどんなことなのか? おそらく、人によって思い浮かべる内容はバラバラな状態にあると思う。 統合教育崇拝者が思い浮かべる「合理的配慮」像は、各種メディアや世間一般にも大きな影響を与えうる。この「合理的配慮」像が、宣伝文句的に都合よく使われているのでは? と私には思える。厳しい言い方をすると、「温情主義を合理的配慮と言いくるめている」「温情主義が、非障害者には『特別扱い』に見えているケース多し」状態なのでは? と私には思える。 それだけではない。ここでいう「障害」が「発達障害」である場合、話は更に複雑になる。発達障害業界関係者が思い浮かべる「合理的配慮」像も関係してくるからだ。 統合教育崇拝者が、「発達障害なんてレッテル貼り。単なる個性に過ぎないものを障害などと言って、図々しい要求をする人たち。」とい

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  • ウヤムヤな状態にある、「障害児と健常児が共に学ぶ教育」概念 4 - karotousen58のブログ

    「授業についていけることなんかよりも、もっと大切なことがあるのよ。あくせくしなくてもいいじゃないの。そんなことよりも、みんなと一緒にいることが大切よ。人間関係を学ぶことのほうがずっと大切よ。」 「あくせくして実力を付けようとするなんて、優生思想的。」 「学校で子供たちが優しさや思いやりを育んで、障害児に共感できるようになる。そのとき、障害児もクラスのみんなや身近な大人を仲間や理解者として受け止め、成長する。」 「特別支援教育では学力軽視だといわれる。しかし、発達障害児には、じっくりと人間関係を学ばせることのほうがずっと必要。学力は二の次。」 「学校は、子供のためにあるもの。学校教育は、子供のためにおとながやってあげること。」 これらの美しい言葉が、「学校文化やそれとつながった一般社会を支える、価値観」について無視した状態で語られている。無視した状態で語られた美しい言葉には、「とんでもない暴

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  • ウヤムヤな状態にある、「障害児と健常児が共に学ぶ教育」概念 3 - karotousen58のブログ

    今回は、「早期発見と早期の専門家介入による、発達障害者と健常者との共生」イメージについて書く。 結論から言うと、前回書いた「ウヤムヤな状態にある『統合教育の成功例』イメージ」は、「早期発見と早期の専門家介入による、発達障害者と健常者との共生」イメージにもあてはまる面がある。 ・「特別支援教育での学びは、他の場でも活かせる学びにつながる」像について、ウヤムヤ状態。 ・「障害者による語り」について、「語りを聞く側がどのように受け止めているか?」それについてもウヤムヤ状態。(「『聞く側に有利な解釈がなされているかもしれない』などと自己懐疑をする必要などない」というのが音では? と私は疑っている。) ・「発達障害に対する、ステレオタイプ的イメージ」に基づいた「マニュアル的応対」(人と相性が悪い場合も有りうる応対)がなされてしまう危険性についても考えられているのか? 対策はどんなものなのか? そ

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  • ウヤムヤな状態にある、「障害児と健常児が共に学ぶ教育」概念 2 - karotousen58のブログ

    私は、統合教育崇拝者に対して疑念を持っている。(注 「統合教育」「崇拝者」としている理由については 障害関連啓発イベントでの、「ありうべき共生像」等に対するモヤモヤ感 - karotousen58のブログ 参照) 次にあげることを彼(女)らに尋ねると、論点をはぐらかした回答がなされることがほとんどだったからだ(例 うまくいった例をあげ、思い通りにならないからといって、文句を言うな。」「特殊学級や特別支援教育なら、もっとひどいことになる。」「障害児の親御さんやうまくいった障害者が、地域の学校や普通学級を望んでいる。同じ時間や場を共有することを望んでいる。」などと言う。) もっとも、「特別支援教育に、諸手を挙げて賛成」というわけでもないが。 彼(女)らの主張する統合教育では、 1.いじめや排除の経験を積んでしまう危険性大では? 2.授業をはじめとした日常生活についていけない危険性大では? 3.

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    mfigure 2016/07/03
    普通教育内にもADHD等でケアを必要とされる児童が多数いる現実を見ていないような。共生以前に普通教育自体見直しが必要なのでは。次回に期待。/共生は普通学級のコンビニ化なのでは?教師の負担も心配。
  • 因幡の「から方言」 - karotousen58のブログ

    今週のお題「方言」 因幡の「から方言」について書く。「因幡」とは、因幡国(現在の鳥取県東部)を意味する。私の両親は、そこの出身である。 この「から方言」は、鳥取県東部を離れて暮らした経験のない人ならば、方言だと意識することはほとんどないだろう。私自身、大学進学で九州に出て初めて、「他の地域出身者が驚く」表現であることを知った。 共通語では、「~から」は、出発点や経過点を表す助詞として使われる。 例 家から会社まで しかし、鳥取県東部の場合は、この用法以外にも「動作の行われる場所や場面を表す助詞」(共通語では「~で」)としても使われる。 例 (共通語なら)「会社で働く」 (因幡の「から方言」なら)「会社から働く」 私が中学生だった頃、国語の授業で1年に1回は、この「から方言」について指導がなされていた。 中2のとき、次のような説明がなされたのを覚えている。 1960年代になされていた「全国学

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