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ブックマーク / ohnosakiko.hatenablog.com (12)

  • 彼女の顔には細部がない・・・アニメの中の描写の落差について - ohnosakiko’s blog

    (※長めの追記をしました) 『借りぐらしのアリエッティ』のDVDを借りてきて見ていた時のこと。 室内の描写が凝っている。その部屋の中に登場人物が入ってきたところで、覚えのある違和感が。写実的な背景と、非写実的な人物が、不釣り合いに感じる。まるできっちり作られた三次元の舞台に、二次元の人間がいるみたい。 背景と人物の描写のレベルが明らかに違う点については、前から多少気になっていた。 背景の描写が陰影も含めて細かくリアルに描き込まれているのに、そこに登場する人物はベタ塗りでペラッとしていて所謂アニメ絵。ジブリに限らず日のアニメの「美術」は、背景画だけで展覧会が開催されるほどのレベルに至っていたりするので、結果、人物とのギャップが生まれ易くなる。*1 ヨーロッパのアニメは例えばチェコ・アニメにしても、背景と人物とのテイストや描写レベルの落差がなく、概ね全体的な統一が図られているという印象がある

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    mfigure 2011/08/17
    むしろ背景美術が合っていないのだと思う。背景も世界観に沿ってデフォルメされるべきであり、例えば鳥山明の漫画では背景も彼のセンスでデフォルメされているわけで、そこをもっと注目・評価しなくてはいけない。
  • 女の子の欲しいもの - ohnosakiko’s blog

    夫が職場の人から聞いてきた話。 最近、高校3年や大学4年で妊娠する女の子が増えているそうだ。その人の近所にも数人そういう娘がいて、他でもそんな話をポツポツ聞くという。 高校や大学の最終学年というと就活まっただ中の人が多い。しかしその女の子たちは、社会に出て僅かな報酬のために苦労しながら働くのはまっぴらだと思っている。そこまでやりがいのある仕事なんかないし。 しゃかりきに働きながら一生独身を通すのも、仕事+家事育児分担という共稼ぎスタイルも、どっちもしんどそう。専業もセレブでない限りつまんなそう。でも子供はほしい。 そこで、つきあってる男の子供を計画的に妊娠する。親バレし、就活どころではなくなり、男も外堀を埋められ逃げられなくなってでき婚。 しかし娘はその男と結婚したいのではなく子供がほしかっただけだから、数年経つと夫婦仲はうまくいかなくなって離婚。 子供を抱えて生活能力もない若い娘の生活は

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    mfigure 2011/01/03
    分かるわー。母ちゃん、いいかげん息子をペット扱いするのはやめてくれ。
  • アートの幻想 --- 1. 資本主義カルチャーとしてのアート - ohnosakiko’s blog

    10、デュシャン 現代芸術ってやったもの勝ちであることに早々に気づき、かつそれを自虐的に利用して「やったもの勝ち」の領域に堕すことの無かった奇才。以後の芸術家は、「美術史は第一世界大戦で終了しました」と言って憚らない自分の目から見れば、美術史が第一次世界大戦で終わらないことへの数少ない反証。 ちなみに、ポロックと悩んだ。でもポロックのやったことは、要素的な意味でピカソに吸収されうるな、と。そして、前述したようにそれはセザンヌに内包されて、結局セザンヌが始祖なんじゃないかと。ウォーホル?私はポップアートをアートと認めていないのであしからず。ポロック、ウォーホルへと続く現代芸術評価って、発展史観によって「作られた評価」にしか思えない。 nix in desertis:偉大なる画家十選より 現代アートはやったもの勝ち。美術史は第一次世界大戦で終了。それ以降のアートは発展史観による評価に依存。いや

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  • ゲシュタルト崩壊する立方体 - ohnosakiko’s blog

    デザイン専門学校で受け持っているデッサンのカリキュラムの中に、幾何形態がある。立方体、円柱、円錐、四角錐、三角柱、球‥‥。誰でも大抵一度は描かされるモノだ。 セザンヌの有名な言葉で「自然界にあるのは円柱と円錐と球だ」というのがあるが、デザイン方面ではまず立方体が描けないことには話にならないようで、「とにかく全員、立方体をちゃんと描けるようにしてほしい」と、私が担当している1年の専任の先生に言われている。 立方体?そんなの簡単だよ誰でも描けるよ‥‥と最初のうちは思っていた。ところが甘かった。 何の前知識もなしに立方体を紙に描かせてみると、半分くらいの学生が、まず正方形を描き、角から斜めの平行線を三延ばして奥行きを作り輪郭を閉じる。「これはありえない世界。空間が歪んでる」と言うと、とても不思議そうな顔をする。 立方体の一面が完全に正方形に見えるのは、立方体が目の高さにあり、一面以外はまったく

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    mfigure 2010/06/06
    観察が先で、理論は後から付いてくるのが絵を描く者の本来の姿勢だと思うが。片目で首を動かさないで観察する訓練を先に教えた方がよい気がする。/確かに理論は助けになるが、自分でそれを発見する姿勢でないと×
  • 「内心」は不自由だし、ポルノを楽しむのは「悪」だ - ohnosakiko’s blog

    アンドロイドの人権と神さまとセカンド・レイプ - はてこはだいたい家にいる 「内心の自由」を巡ってのコメント欄の混乱が、ブコメにも波及している。 「内心の自由」とはもともと、憲法19条の「思想及び良心の自由」を下支えする概念だ。戦前の国家の思想統制に対して出てきたもので、他者の人権に抵触しない限りにおいて最大限保障されるべきことになっている。 従って「内心の自由は保障されている」と言わねばならない局面とは主として、思想及び良心の自由が国家あるいはそれに準じる権力装置によって侵害されそうになった時だろうと思う。 冒頭で引いた記事及び一連の記事の内容は、ポルノの人権侵害と「良心」を巡る議論の一つである。レイプものなど被害者が見たら傷つくであろう性的ファンタジーを、語るだけでなく、楽しんでいることへの疑義が示されている。 一連の議論を追いかけている人ならわかるはずだが、最後の一文はAntiSep

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  • レイプ・ファンタジー、レイプ、レイプ神話と性差別 - ohnosakiko’s blog

    サイドバーのohnosakikoブックマークのところが、ポルノレイプレイプレイプエロゲバカレイプレイプエロゲバカポルノ‥‥となっていて正直気が滅入っている大野です。自分でつけてるブクマだから仕方ないけど、授業に来る新一年生に自分のブログアドレスを教えるのにはちと勇気が必要、という意味で。つっても初日の掴みで、去年の「レイプレイ」騒動や「東京都青少年保護条例改正」騒動の話をして、散々「レイプ」という言葉を使ってしまいました‥‥。 さて、AntiSepticさんの例の記事のブクマ数がやたら伸びているのですが、こうなっている大元の火元は私です。一連の流れは以下の通り。 3/27の当ブログ記事 レイプ・ファンタジーについてのメモ ○ この時点でのコメントは、雑誌に掲載されたテキストを記事で引用させて頂いたfont-daさんのみ。 ↓ 4/8のはてこさんの記事 そよ風のレイプ願望と強姦の違い 前編

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  • レイプ・ファンタジーについてのメモ - ohnosakiko’s blog

    こちらのコメントの中で、id:font-daさんがご自身のテキストのことを教えて下さったので、早速掲載誌『フリーターズフリーvol.02』(2008)を入手して読んだ。 タイトルは『「レイプされたい」という性的ファンタジーについて』。ストレートです。 思春期にヤオイを愛好し、<攻>男性が<受>男性をレイプする同人誌で自慰をし、やがて成長と共にヤオイを忘れヘテロ・セクシュアルな恋愛に没頭していった自身の経緯を振り返り、若い女性がレイプ・ファンタジーに求めたものの一つの形を描き出そうとするものだった。 font-daさんは先のコメントに「大野さんと、ほとんど同じようなことを言っているので、特に面白みはないかもしれませんが。」*1 と書かれていたけれどもそんなことはなく、<攻><受>双方の観点からの構図を精神分析の「転移」の枠組みを借りて考察している点を含め、やや生硬なところはありつつも自分語り

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  • 働くということ、あるいは盗んで食っちゃ寝 - ohnosakiko’s blog

    ※トラバ先の方のタイトルは「働くということ」だけになっています。なんか今いちものたりないなと思い、後で後半を加えたので(ごめんなさい)。 小飼弾「働かざるもの、飢えるべからず。」を読んで - phaニート日記 少し前に「ニート代表」としてテレビ出演もされたphaさんの記事。コメント欄がすごく賑わっており、ブクマのコメ率も非常に高く、さまざまな意見があって興味深い。トラバ記事も多数あり、すべては読んでいないので重複するかもしれないが、つらつら書いてみる。 「働かざるもの、うべからず」という言葉は調べてみると、レーニンが新約聖書のパウロの言葉を取って言ったものらしい。つまり当初は、労働者階級の立場から、のうのうと暮らしている特権階級を糾弾するフレーズだったのだ。それが、最近では逆に「弱者」に向けて、自己責任論などと結びつけて発せられる狭量な言葉となっている。皮肉な話ですね。 このフレーズに

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    mfigure 2010/01/23
    金を稼ぐだけが労働ではない。pha氏も人のために働いている人だ。もっと色々な働き方を社会は認めるべき。
  • 貧乏人はこっそり猫を飼え - ohnosakiko’s blog

    少し前に、「生活保護者はを飼うな」という増田記事があった。 将来、仕事も家も失って生活保護のお世話にならないとも限らず、その時に、うちの今春14歳になる老犬はたぶんもういないだろうが、1歳半のはもしかしたら生きている可能性もあるので、人ごとではないと思った。 一人暮らしで53歳の友人は、一昨年の秋に長年飼っていた愛を亡くし、もうは飼わないと決めたという。「だって今から子飼っても私が先に死ぬかもしれないし、そうでなくても、もし満足に面倒看れない状態になったらが可哀想だもの」。たしかに、ペットを飼うにはそれなりの覚悟と見通しがいる。 さて、その記事のはてなブックマークの中で、 amerio 社会 収入の低い人ほどペット買う率高い気も確かにするけどね。社会への劣等感から自分より低位の従属者を作りたいとかそういう心理あるかもしんない。 2010/01/09 というコメントを読み、「うー

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  • 「ブスなのに何故」問題 - ohnosakiko’s blog

    北原みのり|よしもとばなな よしもとばななの容姿をめぐる自意識についての、北原みのりと友人のBさんの会話がCさんを"誤爆"してしまい、大変なことになったという話。 以下は、例の居酒屋ワイン事件についての「勘違い」エッセイに驚いたという下りの続きの部分。 いやー、よしもとばなな、すごいね。 その安定感は、やはり、父親の名前が大きいからなの? というようなことを私が言うと、その場にいた女友だち(仮にBさんとします)がすかさず、 「そういう人なんですよ。よしもとばなな。前にエトロのパーティで、全身エトロを着て・・・ええ、もちろん、全く似合っていないんですけど、ピーコのファッションチェックを満面の笑みで受けてたことがありますよ」 と言うのである。なるほど、作家に必要なのは客観的に自分を観る力ではなく、自分に酔える力だ。妄想力だ。よしもとばななの自己肯定感は、父にそっくりな容姿を得た故なのか、それと

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    mfigure 2009/12/23
    ブスか美人という分け方よりも、好ましいか好ましくないかであって、よしもとさん的には自分の姿は好ましいのであろう。ミスユニバースの優勝者より隣のお姉さんの方がよほど好ましいみたいな。
  • 「ジェンダー入門」とネトウヨ君 - Ohnoblog 2

    また何年か前の話だが、「ジェンダー入門」の授業の単位認定レポートに、こちらの指定した課題(自分で映画を選び分析する)を無視して、攻撃と怒りと恫喝を延々と書き連ねてきた男子学生がいた。 内容を超要約すると、「フェミニズム及びジェンダー論は、フェミナチが日を共産主義化して乗っ取るためにでっち上げた陰謀である。男女の役割はすべて生物学的に決定されているのに、フェミナチは性差そのものをなくそうとしている。こうした危険思想の下に講義をしている大野は、憲法が保証する思想・信条の自由を侵犯しているので、告訴することも可能である」。 いや、あの思わず笑った人はいるかもしれないけど、当にこういう内容だったのです。だいぶん前からあちこちで見られるネトウヨ的言説を、適当にコラージュしたみたいな。botが書いたかと思ったが手書きだ。 ちなみに冒頭には「皇紀○○○○年」とあった。この牧歌的な学校にもこういう学生

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  • 「博士に行ったら就職難」どころか「大学進学=貧乏覚悟」の芸術系 - ohnosakiko’s blog

    「院に進む人が少なくなってね、TA(ティーチング・アシスタント)のバイトやる子もなかなかいないんですよ」 昨日大学の研究室で、来年度から同じ科目をクラス別で担当することになっている教授が言っていた。芸術大学でも院進学者が減っており、学部で出てさっさと就職したいという学生が増えている。もともとデザイン学部はその傾向があったが、それが全体的になっているようだ。 以前長らく予備校講師をしていた関係で知ったのだが、芸術系の大学ではもう20年以上前から、どの学部や科も女子が多くなっている(たぶん文学部などもそうではないかと思う)。東京芸大は昔から男子が多かったが、今は男女比逆転しているかもしれない。仕事で行っている地方の私立芸大など、ほとんど女子大である。 「大学出たら自活していかないと」というプレッシャーが女子より強い男子は、芸術大学などに進むこと自体、自分で自分の首を締めるようなものだと考えるの

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