今年の11月にレヴィ=ストロース氏の訃報が新聞各紙で報じられたとき、不思議だったのは、「レビストロース」という表記が多かったこと。『生のものと火にかけたもの』に引っかけて言えば、あたかもそれは、「レヴィ=ストロース」という生のもの(表記)を、日本語という火にかけて、「レビストロース」という料理にした、とでもいうような感じだった。 私は『悲しき南回帰線』(『悲しき熱帯』)を断片的に読んだくらいで、特に何の感慨もなかったのだが、以前、渡辺公三『レヴィ=ストロース――構造』(現代思想の冒険者たち、1996年)を読んだとき、レヴィ=ストロース氏が若い頃にマルクス主義に親しんでいたことや、南北アメリカの先住民の神話の問題に取り組んでいたことを知り、そのあたりのことが引っかかっていた。 先日書店に行ったとき、渡辺公三『闘うレヴィ=ストロース』(平凡社新書、2009年)という本が出ていたので、興味本位