承久の乱(1221年)を企てて敗れた後鳥羽上皇(1180〜1239)が愛(め)でた「水無瀬(みなせ)離宮」とみられる大型建物跡の一部が、大阪府島本町の広瀬遺跡で初めて出土したと、22日、町教委が発表した。 藤原定家の日記「明月記」などに登場する同離宮の位置を裏付けた。 宅地開発に伴う発掘調査で、東西6メートル以上、南北5メートル以上の礎石を据えた痕跡がある大型建物跡と、その北側に30〜40センチ大の平らな石を敷いた幅3メートルの雨落ち溝を東西約6メートル分、確認した。出土した瓦の時期から13世紀に造られたという。建物は、棟飾りに瓦を葺(ふ)いた檜皮(ひわだ)葺きで、縁側を設けていたらしい。 「明月記」などによると、水無瀬離宮は調査地の東約600メートルにある水無瀬神宮付近に1199年、造営されたが、1216年に洪水で流失。翌年、山(西)側に建て替えられたという。 明月記にあるように、遺構は
「日本の音楽界に白黒つける!(パンダだけに!)」と色めき立つパンダのプロデューサーJames Panda Jr.プロデューサーとボーカルのM!nam!(「ミナミ」と発音)。 「現在の日本の音楽シーンには、遊び心やゆとりが足りない気がするアル」と言ったのは、中国を中心に音楽プロデュース活動をおこなうパンダのJames Panda Jr.だ。その彼が、日本の音楽シーンに一喝入れるべく、M!nam!と結成したユニットPANDA1/2が、CORNELIUSの名曲をカバーした配信限定シングル「NEW MUSIC MACHINE」で日本デビュー。原曲を踏襲しながら、現代的な質感に落とし込んだ、James Panda Jr.による心地良いギター・サウンドは、懐古趣味に終わらせず、Jロックの点と点を一本に結んでいる。そして幼さを残しつつ色気を感じさせる、鼻にかかったM!nam!のウィスパー・ヴォイスがすご
1月2日(土)から、東京国立近代美術館で開催されている、『ウィリアム・ケントリッジ―歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動き始めた……』展。「動くドローイング」とも呼べる手描きアニメーション・フィルムの制作で注目を浴びる、ウィリアム・ケントリッジの国内初個展だ。魅力的な作品ぞろいの本展だが、一見すると難解そうなため、いまいち足が向かない方もいるのでは。本稿では、彼の作品が本質的に持っている「キャッチーな魅力」をお伝えすべく、女優の黒川芽以さんと一緒に展覧会を回り、その様子をレポートした。優れた感性で作品を捉える黒川さんの言葉に導かれながら、しばしウィリアム・ケントリッジの作品世界を旅してみてほしい。(注:作品は展覧会での登場順と異なります) 黒川芽以 1987年5月13日東京都生まれ。女優。主な出演映画作品に、『グミ・チョコレート・パイン』(2008年、ケラリーノ・サンドロヴィッチ
みなさんお久しぶりです。 あけましておめでとうございます。←遅い(笑) そして20歳になりました、辻詩音です!いぇい☆ 誕生日は福岡で過ごしました。 RADIO KICKS!でSky chord~大人になる君へ~を生演奏しました。 みんなたくさんのメッセージありがとう! そして次の日は中学校の同窓会に行き、 みんなの成長ぶりに驚愕しました。 外見が変わりすぎてて最後まで分からない子もいたなぁ。 私は、全く変わってないとみんなに言われました。 …うわーん。なんだか複雑です(´ω`)(笑) 夜は普段お世話になってるスタッフさんたちに 誕生日パーティーをしてもらいました☆ 幸せでしたよ。 みんなほんとにありがとうございました。 愛してるぜー!! 私はいつも『○歳になったらこういうことをして、こういう人になる!』 みたいな目標をたてるのですが、15歳ぐらいに考えた理想の20歳に いまの自分がまだ全
今日のりなてぃんは 朝から元気いっぱいです☆ だってね だってね 昨日大好きな人と お話したから!! AKB48の高橋みなみちゃんと (゜▽゜) もーう!!!!反則☆ 声聞いただけで高まるよね~ ホーント可愛いッッ☆ 今度会う約束したんだあ♪ りなはその日が 楽しみで仕方ありません☆ 正直いうと 高みながいなかったら 3年間AKBにいなかったかも しれないなあ。。。。 高みなには 沢山助けられました☆ 里菜より全然歳下なのに… すごいしっかりしてて 本当に一つ一つ一生懸命で 高みなの 頑張ってる姿を 近くで見ていて 里菜も いつも頑張ろう!!って 思ってやってた☆ 卒業を決めた時 1番最初に打ち明けた メンバーも高みなだったなあ♪ 里菜、頑張ってる子が 大好きだから 高みなの夢が 絶対叶ってほしいな(^O^) 永遠の推しメンです♪ っていうか 高みなファンです(笑) 高みながソロコンサート
男装した軍服姿の川島芳子 【台北=野嶋剛】戦前の中国大陸を舞台に旧日本軍スパイとして暗躍、「男装の麗人」「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた川島芳子(中国名・金璧輝)を国民党政権が1948年に死刑にした際の確認公文書が、台湾が保管する当時の公文書の中からこのほど見つかった。 川島芳子をめぐっては、処刑に替え玉が使われ、実は生存していたという説が根強くあった。だが、今回の公文書は、死亡説を補強する論拠になりそうだ。 川島は中国清朝の王女として生まれ、日本の大陸浪人、川島浪速の養女になり少女時代を日本で過ごした。成人してからは中国大陸の日本側の特務機関で情報活動に従事。満州国建国や上海事変などにかかわった。「漢奸(売国奴)」として45年に北京で逮捕され、死刑判決を受け、48年3月25日に銃殺された。 しかし、直後から「別の女性が金のネックレスと引き換えに替え玉になった」とのうわさが流布。知り
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く