古代エジプトの王朝区分の話。 古代エジプトの王様たちは、「第xx王朝xx代目」のように数えられることがある。王朝番号は、ペルシャ支配時代を入れて31、最後にプトレマイオス王朝をいれた32というのが一般的だ。エジプト史を昔からやってるひトにとっては、この区分は馴染み深く当たり前だ。ところが、中国史をやってる人からこう言われた。 「なんか王朝おおすぎね? そんなに頻繁に変わってたんか」 …言われてみれば、その通りだ。 中国にしろ他の国にしろ、「王朝」が変わるということは、王家や、場合によっては支配民族が変わることを指し、そう簡単に変わらない。 結論から言うと、古代エジプトの場合、王家や支配民族の変化はほとんどない。 「王朝」が切り替わるタイミングの大半は、なぜそこで切り替わっているのか良くわからんのである。 そもそも現在使われている「王朝」区分は、紀元前3世紀のエジプト人神官マネトーさんの使っ
井上忠也・旧日本陸軍中将のシベリア抑留時の資料を見る次女の岡田よし子さん(左)と孫の上田禮子さん=東京都渋谷区で、久保玲撮影 第二次世界大戦終結後、シベリアに抑留された日本人の居留地、投薬経過などを記した膨大な記録が厚生労働省に眠っている。抑留の実態解明につながる貴重な資料だが、ほとんど活用されず、当事者と遺族の高齢化で「死蔵化」の危機に直面している。【栗原俊雄】 記録は00年から05年にかけ、ロシア政府から厚労省にマイクロフィルム化されて提供されたもの。日本人抑留者約51万人分に及ぶ。厚労省は当事者らの要望があれば記録を開示しているが、その存在自体が十分に周知されておらず、これまでに開示されたのは約6000件と、全体の1.2%に過ぎない。歴史資料としての研究も進んでいない。 記録の存在を知った旧日本陸軍、井上忠也中将の次女、岡田よし子さん(91)と孫の上田禮子さん(64)=いずれも東京都
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