タグ

ブックマーク / trushnote.exblog.jp (5)

  • 「リア充とは何か?」文豪・森鴎外の独白から考えた~自分で自分をどう捉えるかが大事なのかも~ | とらっしゅのーと

    連絡先 (【あっと】を@に替えてください) 管理人(現担当 貫名) trushbasket【あっと】yahoo.co.jp My(山田昌弘) phephemol【あっと】hotmail.co.jp (記載の無い執筆者への連絡は管理人経由で) ────────────── 著作紹介・試し読み 『ダメ人間の世界史』&『ダメ人間の日史』ブログ版(試し読み用) 『同』書籍版 目次 など 『敗戦処理首脳列伝』 紹介・目次 など 『世界各国女傑列伝』紹介記事 『戦後復興首脳列伝』紹介記事 ────────────── リンク(お世話になっている方々のサイト) 京都大学歴史研究会blog 社会評論社 パブリブ Cool Ja 世界で通用する日 ハマザキカク Delusion 戦国ちょっといい話・悪い話まとめ 小覇王の徒然はてな別館 西洋軍歌蒐集館 駄文にゅうす 史劇的な物見櫓 芝蘭堂 歴史の輪

    「リア充とは何か?」文豪・森鴎外の独白から考えた~自分で自分をどう捉えるかが大事なのかも~ | とらっしゅのーと
  • 最初の動機は不純でもかまわない、大事なのはその後です~「黒田官兵衛、茶の湯に目覚める」の巻~ | とらっしゅのーと

    2014年も残り少なくなりましたね。大河ドラマ『軍師官兵衛』も、いよいよ終わりのようで。という訳で、今回は黒田官兵衛に関連する話題を少し。 官兵衛は、御存じのとおり秀吉に仕え懐刀として活躍した智将です。当時、武将たちの間では茶の湯が流行していましたが、官兵衛は当初は茶には興味を持っていなかったそうです。何でも「主客無刀になり、狭き席にこぞり坐し、甚だ不用心なり」(会田雄次『敗者の条件』中公文庫 140頁)という理由だとか。乱世の武人らしいといえばらしい理由ですね。 ところが関東攻めを控えたある時期、主君・秀吉から茶の湯に招待されます。主命を拒むわけにもいかず、渋々と茶室に入った官兵衛ですが、中で待っていた秀吉は一向に茶を点てる様子もありません。結局、秀吉はその場で後北条氏攻めに関して官兵衛に様々な意見を聞き、長時間にわたり軍議をこらして終わりました。 秀吉曰く、「これ茶の湯の一徳である、お

    最初の動機は不純でもかまわない、大事なのはその後です~「黒田官兵衛、茶の湯に目覚める」の巻~ | とらっしゅのーと
    mfluder
    mfluder 2014/12/21
    “最初の動機がアレな場合でも、その後に面白さに目覚めて高みに至る場合だってあります。だから、ジャンルが何であれ、入って来る最初の動機に関しては基本的に寛大な目で見てやってください”
  • 戦後に活躍した「数寄者」たち~あの実業家も実は茶人だ~ | とらっしゅのーと

    近代日の実業家たちには、茶の湯に熱中する者が多数いました。何でも、自身の富と権勢を誇示するため、国産美術品の海外流出を阻止するため、といった理由で美術品の蒐集を行っていた結果、日美術は実際に使用してこそ価値があるものが多いと感じるようになって茶の湯に手を出すようになるパターンが多いのだとか。彼らは「数寄者」と呼ばれ、彼ら自身の美的感覚によって独自の茶の世界を切り開いたと評価されています。 さて、戦後に活躍した実業家たちにも、そうした存在がいたのでしょうか。戦前から引き続き活動していた人々も含め、見ていくことにします。 ・嘉納鶴翁(治兵衛) 1862-1951 奈良県出身。旧姓は中村、名は正久。明治二十年(1887)に兵庫県灘の白鶴醸造元嘉納家に婿養子となり、二年後に七代目嘉納治兵衛となる。様々な近代的改革を取り入れて白鶴酒造を成長させた。全国酒造組合連合会会長も務めている。奈良の仏教美

    戦後に活躍した「数寄者」たち~あの実業家も実は茶人だ~ | とらっしゅのーと
  • 闘茶について~南北朝期における「茶道」の祖先~ | とらっしゅのーと

    の伝統文芸の一つである茶の湯(茶道)。茶の湯においては、用いられる道具や調度の鑑賞も大きな要因をなす事は御存じの方も多いかと思います。そうした性格は南北朝期にまでさかのぼる事ができるようです。という訳で、今回は南北朝における「茶」について。 栄西によって茶がもたらされて以降、寺院を発信源として徐々に茶は日で普及していきます。南北朝期になると、新興の武家を中心に「闘茶」と呼ばれる催しが行われるようになりました。 闘茶は、一言でいえば茶の産地や品質を飲み比べて当てる賭け事、という事になります。京・栂尾で取れた茶を「茶」、それ以外の土地で取れたものを「非茶」と呼びました。その上で、茶か非茶かを当てるのが主眼。なぜ栂尾が茶扱いとされたのか。それは、明恵が栄西からもらい受けた茶の種をまいて栽培した、日における茶の由緒ある土地だから。現在、茶と言えば宇治が有名ですが、当初の宇治茶は非茶扱

    闘茶について~南北朝期における「茶道」の祖先~ | とらっしゅのーと
  • <読書案内>『足利ノ尊氏』 | とらっしゅのーと

    今回のお題は、中村直勝氏の『足利ノ尊氏』(アテネ新書)。先日、Twitterで話題に上がっていたのでこちらでも触れてみたいと思います。著者の中村直勝氏は、戦前・戦中に京都大学で日中世史を専門に教鞭を取っていた学者さんです。時代が時代ですので皇国史観の影響を強く受けた思想ではありましたが、それでも経済史・社会史を疎かにせず広い視野で独自の歴史論を展開した人物でした。著作『吉野朝史』(1935)で南北朝について「米穀経済から貨幣経済へ」「仏神から人間へ」、すなわち中世から近世へと移り変わる時代という説を展開していたりします。このあたりについては、 歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表: 「南北朝は「近世」なのか」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/kinsei.html) を御覧いただけたらと思います。南北朝が「近世」というのは奇妙に

    <読書案内>『足利ノ尊氏』 | とらっしゅのーと
    mfluder
    mfluder 2014/07/22
    中村直勝“複雑な尊氏への深い情念を込めた一冊”
  • 1