ブックマーク / www.waypoints.blue (35)

  • あいの風吹くヒスイ海岸で、歴史散策と家族で石拾い - Time flies...

    残雪を頂く北アルプスの山々を背景に、舟川べりの遊歩道に咲く桜並木とチューリップ、菜の花が絵画のように並ぶ、富山に春を告げる有名な景色・あさひ舟川「春の四重奏」。見頃の4月上旬よりもだいぶ遅くの訪問となってしまい、桜が散ってしまっているのが玉に瑕ですが、それでも富山を代表する風景だけあり、多くの観光客が訪れておりました。新潟県との国境に位置する富山県の東端にあたる朝日町。この町には、あさひ舟川「春の四重奏」と共に全国的に名の知れた場所があり、そこを目的地のひとつとして北陸への家族旅行で訪れてみたのでした。 まだ夜も明けぬ早朝に家族をクルマに放り込み、ガーガー、ピーピーと呑気に寝ている子を横目にしながら、我が家の赤い車「あかべこ号」を運転して北陸を目指しました。 東京から新潟を結ぶ関越自動車道の起点となる練馬ICより埼玉県、群馬県を経て、上信越自動車で長野県から新潟県へ。山岳地帯より日海へ

    あいの風吹くヒスイ海岸で、歴史散策と家族で石拾い - Time flies...
    mi--yan
    mi--yan 2024/02/10
    こういう素敵な体験を出来るたまパパさんのお子様達は幸せですね。そして、そういう体験をさせてあげようとされるたまパパさんが凄いです。子供ってわかっていてもすぐに大きくなるんですよねー。
  • Fe☆NEEDS鎌倉本店にて溶接体験、子供部屋の表札を自作してみた - 青い滑走路

    息子と一緒にふたりで神奈川・鎌倉市に出掛けて参りました。向かった先はFe☆NEEDS(フェニーズ)鎌倉店という小型溶接機メーカー「スター電機製造」社が溶接人口の拡大を目的として、溶接の楽しさを伝えるために開いた店舗。住宅街の一角にありました。聞き慣れない店名はFe=鉄の元素記号で、Needs=必要を組み合わせた造語のようです。間にある☆マークはそのふたつを溶接して繋ぎ合わせる火花。 お店は鎌倉駅の西口出て、なだらかな坂道を登ること10分程の場所にあります。お店の北側には通称銭洗弁天の名で知られる銭洗弁財天宇賀福神社が源氏山公園の麓に鎮座しており、訪れた週末には多くの参拝者が歩道を歩いていました。 店舗入口で上を見上げると鉄を曲げて造った唐草模様で飾られており、英文でWELDING POINT(溶接点)と掲げられていました。スター電機製造が人や社会と溶接を繋ぐ店を目指しているとの言葉を掲げ

    Fe☆NEEDS鎌倉本店にて溶接体験、子供部屋の表札を自作してみた - 青い滑走路
    mi--yan
    mi--yan 2019/08/24
    溶接体験良いですね!息子さん似合ってます。
  • 古民家の宿ぽっぽや、どこを向いても鉄な愉しい子鉄の宿でした - 青い滑走路

    山梨県に家族4人で出掛けてまいりました。西陽の眩しい中央自動車道を山に向かって走り、クルマの助手席には息子。後部座席にはと娘。が助手席に戻るのは何年先なのかと考えていました。今回お邪魔した宿は、大月から富士山駅結ぶ23.6キロの富士急・大月線・谷村駅近くにある鉄道好き垂涎?の「古民家宿ぽっぽや」さんです。縁があって宿からもそう遠くない富士吉田に度々訪れているのですが、ぽっぽやさんは人気の宿らしく、週末の宿泊予約に挑戦すること3度目にして、念願の初訪問となったのでした。 富士山の北登山口にあたる富士吉田への旅客輸送を目的とし、富士急行・大月線は昭和4年(1929)に営業を開始しました。宿の近くの最寄り駅・谷村駅の名が示す通り、この辺りは山と山に挟まれた谷間に開けた土地で、富士山を源とする山中湖より流れ出る桂川(下流では相模川と呼ばれる)がその谷間を縫うよに流れております。その川の流れに沿

    古民家の宿ぽっぽや、どこを向いても鉄な愉しい子鉄の宿でした - 青い滑走路
    mi--yan
    mi--yan 2019/07/19
    超楽しそうですね!電車でGO得意でした!暴走させるのが。
  • 旧旅籠街だった馬喰町にできた「トレインホステル北斗星」に宿泊 - 青い滑走路

    北斗星の寝台にて一夜を過ごして参りました(≧▽≦)ゞ。ブルートレイン北斗星は平成27夏に最終運行を既に終えてしまっているので、勿論ホンモノの寝台特急ではなく、JR東日都市開発が開発し、廃校等の遊休施設を宿泊施設として再生を手掛けるアールプロジェクトが運営する北斗星をモチーフとしたトレイン・ホステルです。 ホステルのある日橋馬喰町は隣接する横山町と併せて東京で最大の問屋街を形成していた場所で、現在でも繊維業を初めとする多くの問屋が見られる地区です。江戸時代には関八州を管轄する郡代屋敷がこの地に置かれ、五街道のひとつ日橋から白河までを結ぶ旧奥州街道に沿い、江戸時代の馬喰町は旅籠がズラリと並ぶ江戸の玄関口でした。 トレインホステル北斗星は寝台特急・北斗星の始発駅だった上野駅からも程遠くない、JR馬喰町駅に直結した築40年以上のオフィスビルをホステルに転業利用し開業しました。馬喰町は東京の中

    旧旅籠街だった馬喰町にできた「トレインホステル北斗星」に宿泊 - 青い滑走路
    mi--yan
    mi--yan 2019/07/15
    これは、興味があります!行ってみたいです。
  • 寝台特急・北斗星、ブルートレイン(函館→上野)に初めて乗車 - 青い滑走路

    2007年の元旦、と自分の二人は北海道での年末旅行を終えて、東京への帰路に着くために函館にいました。この晩に函館駅を出発する寝台列車に乗るのが旅程の最後項目にあり、函館山からの夜景を愛でてから、夕や買物をしながら夜9時半に札幌からやって来る列車を待っていたのです。 私のは鉄分が結構多めで、廃線の駅舎ホームに立ち、「いまにも電車が走って来そうだ!」と独り興奮していたりする人間です。この日も青い車体が函館駅のホームにに入線してくる勇姿を、姿勢を正して迎え入れていました(≧▽≦)ゞ 青森県と北海道を隔てる津軽海峡に青函トンネルが開通した昭和63年に寝台特急・北斗星は走り始めました。上野駅と札幌駅間の1,214.7キロを結ぶ深夜便で、堂/ロビーカー/個室寝台を有し、平成15年に惜しまれつつ運行停止するまでの27年間を首都圏と北海道の間を走り続けました。北斗星というと何やら哀愁を帯びた名前の

    寝台特急・北斗星、ブルートレイン(函館→上野)に初めて乗車 - 青い滑走路
    mi--yan
    mi--yan 2019/07/12
    ブルートレイン一回乗ったことあります!良い思い出になってます。そこで元プロ野球選手のおじいさんと一緒で色んな話をしました。戦争でピッチャーと離れ離れになった話など今の私の原点です。
  • 霊峰・大峰山の麓、修験道の里・天川村洞川の「旅館いろは」に宿泊 - 青い滑走路

    大阪仕事で訪れる事がここ1-2年多くなりました。自分の勤めている会社は出張時の宿泊に関しての明確な規定がなく、金額さえ"常識"の範囲内であれば何処に宿泊しても良いとなっています。これ迄で自分がしたことのある最も極端な滞在は、福岡市内の仕事だったにも関わらず、200キロ離れた宿を訳あって選んだ事もありました...。 大阪での仕事を終えて、自分が向かったのは奈良県南部の天川村。大阪の次には奈良/京都を仕事で訪れる予定だったので、若干遠回りですが観光客でごった返す大阪市内での宿泊を避ける事にしました。街中よりも郊外の温泉旅館にでも宿泊した方が値段も安く、身体も休められ、翌日の仕事も頑張ろうという気分になるものです。 橿原から山を越えて吉野に入り、下市→黒滝村→天川へと進んで行きました。下市の市街地あたりではクルマのワイパーを最速で左右に振る程の激しい雨に襲われるも、山中に入っていくと次第に収ま

    霊峰・大峰山の麓、修験道の里・天川村洞川の「旅館いろは」に宿泊 - 青い滑走路
    mi--yan
    mi--yan 2019/06/25
    色々なところに行けて楽しそうなお仕事だと思いつつ、大変ですね。でも羨ましいかもです。
  • 赤坂見附の忍者屋敷レストラン・NINJA AKASAKAで誕生日祝い - 青い滑走路

    訪日外国人の東京観光でイチオシとも言われる、赤坂見附にある忍者レストランで子供の誕生日祝いをしました。娘は暗いところが極端に苦手なのでこれまで避けていましたが、もうそろそろ大丈夫かと思い強行。赤坂見附の交差点にある東急プラザ1階にある黒塀に開いた四角い入り口から入り、受付で予約した旨を伝えると、案内の忍者が何処からか飛び降りてきました。この手のお遊びことが大好きな長男は大はしゃぎでスタートです。 息子の誕生日祝いに、忍者レストランを訪れた時の動画。受付での息子が見せた素晴らしいリアクション... pic.twitter.com/JCCtJDK8Cs— たまパパ (@akabekosan) 2019年6月13日 「暗く険しい道ゆえ、お気をつけなされ。ゆめゆめ動画撮影をしながら歩いてはならぬ...」と忍者の案内を受けながら、暗く狭い道を進んでいきます。途中で道が急に途切れ、どうするのかと見てい

    赤坂見附の忍者屋敷レストラン・NINJA AKASAKAで誕生日祝い - 青い滑走路
    mi--yan
    mi--yan 2019/06/13
    この手の忍者は大好きです!大人も楽しめますね!たまパパさん私、この前の魚にリベンジしましたよ!良かったら訪問お待ちしてます!
  • ファーストクラス貸切りを堪能、アシアナ航空B747ジャンボジェット - 青い滑走路

    仁川空港の旅客ターミナル天井に展示されているLG社製・世界最大OLED(13m x 8m)に映し出されていたジャンボジェット機の離陸シーン。アシアナ航空のチェックイン・カウンターにて、帰国の為に搭乗する仁川空港→成田空港までのビジネスクラスへのチェックインをした時の舞い上がった自分の気持ちを表しているかに感じてしまいました。 カウンターにてパスポートを地上スタッフに手渡すと、アシアナ航空の地上職員より聞こえてきたのがファーストクラスにアップグレードのお言葉。しかも、現在座席はワイドオープンなのでどの席を選んでも良いと言われたのでした。搭乗便の使用機材は既に国内では運行されていないジャンボジェット機ことボーイング社のB747-400。この機体の2階先頭部分は操縦席の真下にあたり、特に最前列席はパイロットビューとも呼ばれる位置にあります。座席位置は選び放題というお言葉に甘えて、1番前の座席で機

    ファーストクラス貸切りを堪能、アシアナ航空B747ジャンボジェット - 青い滑走路
    mi--yan
    mi--yan 2019/05/24
    ファーストクラス1回乗ってみたいです!
  • 千葉県外房・和田漁港、深夜のクジラ解体作業を息子と見学 - 青い滑走路

    千葉県外房の漁村に息子と一緒に行って参りました。自宅を出発したのが午後11時。既に寝ている息子をクルマの後部座席に放り込み、首都高、アクアラインを経由して片道120キロ/2時間の深夜ドライブです。訪れる時間が決定したのは前日夕方過ぎで、2018年中の最後だと言われた日のスケジュールは午前2時よりと書かれていたのでした...。 この先は解体作業の写真が多数あります。血が流れ続ける場面ですのでご注意を。 普段は子供達と一緒に9時過ぎに寝てしまう自分には夜間の運転は結構キツく、これは帰ってから職場に行っても使い物にならないぞと自覚しながらハンドルを握っていました。和田漁港に到着するも、真っ暗な港には黒い波がザバン、ザバンと打ち寄せる音が聴こえるばかしで誰も見当たらず。寝ている息子をクルマに置いたままにして、目的地の建物を探すべく港を暫く歩きました。この夜に訪れたのは江戸時代からの鯨漁が続く外房の

    千葉県外房・和田漁港、深夜のクジラ解体作業を息子と見学 - 青い滑走路
    mi--yan
    mi--yan 2019/05/10
    釣りもそうですが、生き物の命を頂くことへの感謝を忘れずにいたいですね、きっと息子さんの心には深く刻まれたことでしょう。
  • 富士山に向って離陸、忍野スカイスポーツで体験ハンググライダー - 青い滑走路

    山梨県に家族三世代で行って参りました。富士山の北麓地域には昨年末より毎月の様に遊びに来ており、我が家で最も"熱い"場所となっていたりします。観光名所として全国的に名高い忍野八海より東に3キロほど東、道志山塊の西に位置する杓子山の麓にある「忍野スカイスポーツ倶楽部」に参りました。今年二度目となる訪問でした。 忍野スカイスポーツ倶楽部はハンググライダーを主体とする飛行倶楽部です。自分は米国から帰国後に茨城のウルトラライトプレーン倶楽部に出入りしていた時期があり、同じ忍野村に忍野マックスという名前の飛行クラブが忍野場外離着陸場にあると認識はしていました。但し、動力付きハンググライダー(通称トライク)がどうも興味を感じられず、先延ばしを繰り返して初めて訪れたのは昨年の事でした。 この日に体験飛行をさせて貰うのはトーイング・ハンググライダーと呼ばれるものです。グライダーを前方から凧の様にワイヤーで引

    富士山に向って離陸、忍野スカイスポーツで体験ハンググライダー - 青い滑走路
    mi--yan
    mi--yan 2019/04/23
    富士山とグライダーが素敵ですね!空を飛ぶのって何でテンションが上がるのか?やっぱり憧れだからですかね?怖いかもしれないけど、克服すればとても楽しそうです!
  • イルカに乗って海を泳ぐ、うみたま体験パーク・つくみイルカ島 - 青い滑走路

    家族で九州は大分県に以前訪れた時の話しです。アフリカンサファリで金網付きのジャングルバスに乗り込み、ライオンやゾウなどの猛獣に餌やりをしたり、街中がモクモクと煙立つ別府の温泉旅館に泊まったりして家族4人での旅行を楽しんでいました。予備日としていた大分→羽田便に乗るだけの最終日に、何か面白い体験ができないかとが見つけた「つくみイルカ島」に行くことにしました。 目的地の津久見市は大分県の県庁所在地・ 大分市の東南30キロ程にあり、イルカ島は豊後水道に突き出た四浦半島の北側に位置していました。四浦半島は河津桜が有名な場所で、目的地近くにも「さくらサービスエリア」があったりと5,000の桜咲く場所としても有名です。さらに、四浦半島の先端にはマグロ遠洋漁業の基地として有名な保戸島も浮かんでいます。こちらに是非とも足を運んでみたかったのですが、家族旅行なので強行軍は強いられず指を加えるだけでした.

    イルカに乗って海を泳ぐ、うみたま体験パーク・つくみイルカ島 - 青い滑走路
    mi--yan
    mi--yan 2019/04/22
    子供にもですが、自分も体験してみたいです。イルカって長生きするんですよね。美ら海水族館に行った時に驚いたんですよ!オキちゃんというイルカ36歳くらいだったような。自分とほぼ一緒です。
  • ティーウェイ航空TW212(成田→大邱)上空から東京全景を堪能 - 青い滑走路

    仕事韓国を訪れることになり、これまで乗る機会のなかったティーウェイ航空を初めて利用してみました。今回の目的地は亀尾(グミ)市で、釜山から100キロ程北西にある大邱空港が最寄りの空港だと聞き、そこで現地スタッフにピックアップして貰うことになりました。ティーウェイ航空の成田→大邱路線をサッと予約。成田空港ではLCC専用の第3ターミナルかと思いきや、第2ターミナルビルにティーウェイ航空のチェックインカウンターがありました。 ティーウェイ航空は第2ターミナル利用ですので、非LCCと同じで利便性が良いなと一瞬思うも、搭乗ゲートは第2ターミナル・サテライトの一番向こうの端っこゲート99番でした。館とサテライトを結ぶ通路のスカイランジ和を横目に700m歩く必要があり、ーお土産を両手に抱えてでは遠く感じました。自分の記憶が正しければ、高校生のときに初めて1人で乗った海外行き便はアンカレッジ経由のロンド

    ティーウェイ航空TW212(成田→大邱)上空から東京全景を堪能 - 青い滑走路
    mi--yan
    mi--yan 2019/04/12
    東京上空の美しさは本当に見る価値がありますね!よく、飛行機から自分の家の近くを通るたび今、ダイビングすればすぐに着くのに…と無謀なことを思ってしまいます…
  • 創業明治23年の活版印刷所、熊本県御船町の池田印刷所で招待状を印刷 - 青い滑走路

    市から15キロほど東南に位置する御船町に行って参りました。御船町を通過したことは以前にあったのですが、目的を持って訪れるのは初めてとなります。御船町は40年程前にある小学一年生が、日で初となる肉恐竜の化石を発見したことにちなみ恐竜で町興しをしており、至る所(上の写真では街灯横)で恐竜を目にする恐竜の郷です。 「御船町恐竜博物館」は町立の博物館とは思えないド迫力で全身骨格標がありました。御船町に到着するまで恐竜の郷だとも知らなかった自分は、恐竜進化大行進と名付けられたトリケラトプスを先頭とする19体の恐竜の圧巻の姿に驚くばかり。恐竜に詳しくない自分ですら、「いやぁ、良いものを見せてもらった」と満足して博物館を出ました。 そんな恐竜の郷も御船川を西に渡ると古い町並みが見られる地区となります。熊の平野から山間部の入口にあたる御船は、国見岳を源流とする御船川を利用した水運に恵まれ、大消

    創業明治23年の活版印刷所、熊本県御船町の池田印刷所で招待状を印刷 - 青い滑走路
    mi--yan
    mi--yan 2019/04/04
    字が不思議なんですが力があるように感じます。
  • 台北駅近くの活字屋「日星鋳字行」さんで子供の宿題用ハンコ作成 - 青い滑走路

    活版印刷で用いる活字を用いたハンコが台湾で作れると聞き、台北駅からほど近い「日星鋳字行」にお邪魔してきました。現在はデジタルデータからの直接印刷が主流となって久しいですが、昔は印刷に必要な活字を一文字づつ原稿に従って手作業で並べ、インクを付けて紙を押し当てることで印刷をしていました。もう既に活版印刷で発行しているや新聞紙、雑誌等は粗ないでしょうが、昔は世界中で活版印刷が用いられていたのです。日国内では名刺等を活版印刷で作成してくれるお店がまだ僅かに残っているも、台湾では「日星鋳字行」が唯一現存する活版印刷屋と聞き、興味を持って訪れる事にしたのでした。 上の地図でも分かるかも知れませんが、実際に訪問したのはもう数年前になります。赤矢印で示している場所が日星鋳字行のある場所で、左手にある台北の中央駅・台北駅から直線距離にして500mほど。徒歩で10分もあれば到着できそうな距離に日星鋳字行は

    台北駅近くの活字屋「日星鋳字行」さんで子供の宿題用ハンコ作成 - 青い滑走路
    mi--yan
    mi--yan 2019/04/04
    台湾行きたいです!とても羨ましいです。
  • 娘のランドセル選びで奈良県へ、鞄工房山本さんで工場見学&購入 - 青い滑走路

    自分の親世代がどの様にランドセルを選んでいたのかは尋ねた事もないのですが、おそらく自分の祖父母が大きな町の百貨店に出掛けて買い求めたのではないかと思っています。自分の息子が小学校進学時のランドセル選びは想像していたものと少し違い、入学する前年の夏には勝負がついていると呼ばれる様相をみせていました。現在では"ラン活"と呼ばれている一種の通過儀礼を受ける事になりました。息子と三学年差の娘が今年の春に小学校に入る年となり、ランドセルの製造工房に家族で奈良県にお出かけして参りました。 息子に買ったランドセルは名古屋の萬勇鞄という会社のランドセルでした。どこの家庭でもそうだと思うのですが、子供自身はランドセルに興味はなく、何を買うべきかと親がアタフタするだけ。自分は東京育ちなので、ランドセルとして当初知っていたメーカーは足立区にある大峽製鞄に土屋鞄、テレビで頻繁にCMを見る羅羅屋/セイバンという会社

    娘のランドセル選びで奈良県へ、鞄工房山本さんで工場見学&購入 - 青い滑走路
    mi--yan
    mi--yan 2019/03/30
    ランドセル大事ですね!娘さんのランドセル 色のセンスが抜群ですね!
  • 大津波がやってきた。宮城県浜通り・山元町の友人と町立中浜小学校 - 青い滑走路

    常磐道・新地インターチェンジで北へ向かう高速道路を降り、太平洋へと続く下り坂を進むと福島県浜通りの最北部・新地町に入って行きます。今回はその新地町から国境を越えてたところにある、是非とも見学したいと思っていた場所を訪ねに宮城県・山元町に行って参りました。 訪問日まで目的地は海岸近くの道路添いにあるとしか認識しておらず、山元町内にあると知りオドロキました。仕事で知り合い、一緒に旅行する仲となった友人が山元町出身で、山元町には民宿を含め宿泊施設は一軒もなく(現在はゲストハウスが一軒ある)、お米と苺だけを頑なに造っている田舎町だと教わっていたのです。その友人は東日大震災の3月11日には山元町の自宅におり、と2人で被災しました。 大津波が襲った直後の山元町を写した航空写真です。震災当日の惨状を写す写真は山元町及び文部科学省よりお借りしています。写真中央にオレンジ色の建物二棟が見える以外は全てが

    大津波がやってきた。宮城県浜通り・山元町の友人と町立中浜小学校 - 青い滑走路
    mi--yan
    mi--yan 2019/03/23
    当たり前に過ごせることがいかに幸せか!改めて感じます。
  • 福島県広野町、津波で浸水した復興区画にできたハタゴイン福島広野 - 青い滑走路

    家族で福島県浜通りに行って参りました。今回の宿泊先を選ぶにあたって、いわき市や仙台市の様に大きな都市を意図的に避け、津波や放射能汚染の被害を受けた浜通りにある町に求めました。候補となったのは二箇所、Jヴィレッジ内(旧・原発廃炉作業の拠点)にある宿泊先と、駅前が津波に襲われて浸水した土地に立つハタゴイン福島広野。2つの宿泊施設は楢葉・広野町の復興を担う事業として昨年開業したばかりで、今回はハタゴインに子連れでお邪魔することにしました。 東京都と宮城県を結ぶJR常磐線は浜通りに沿って走っており、今回宿泊したハタゴインの目の前にある広野駅も常磐線の駅のひとつでした。上の写真は広野町のモノを掲示させて頂いています。3月11日午後2時46分に発生した三陸沖を震源とする大地震は広野町を震度6弱で揺らし、地震発生の40分後に高さ9mにも及ぶ真っ黒い津波を呼び寄せました。町内のライフラインは壊滅状態に陥り

    福島県広野町、津波で浸水した復興区画にできたハタゴイン福島広野 - 青い滑走路
    mi--yan
    mi--yan 2019/03/21
    いいところですね!朝食が早い!そういった理由も子供が理解して勉強出来るといいなと思いました。
  • 福島県内・国道6号線、高放射線による帰還困難区域(富岡-波江間)14キロ - 青い滑走路

    あの震災から八年が過ぎた福島県浜通りに家族4人で行って参りました。浜通りには東日大震災が起きて間もない頃に訪れており、いわき市に住む知人の案内を受け大震災の惨状の一部を目にしました。津波の襲来で大破した家々の残骸、断水により消火活動ができなかった為に50軒の家々が燃えた久之浜地区の焦げた臭い。その爪痕を見ただけでも襲ってきた津波の激しさ、その恐ろしさを実感させられました。 繰り返しの警告音と共に「緊急地震速報です。強い揺れに注意してください」という音に驚き、遊ぶのを急に止めて親に抱き着いてきた息子は当時一歳。娘はまだこの世に生まれていませんでした。福島原子力発電所が制御不能な状態となり、放射能を恐れてと息子を関西の親族の処へ避難させるかと真剣に悩んだ事もありました。枝野官房長官の「ただちに問題はない、ただちに影響はない」という苦し紛れの説明は聞く気にならず、息子の飲水は輸入品のミネラル

    福島県内・国道6号線、高放射線による帰還困難区域(富岡-波江間)14キロ - 青い滑走路
    mi--yan
    mi--yan 2019/03/19
    こういった体験を子供にさせてあげるのも、大事なことかと思います!非常に感銘を受ける良い記事でした。
  • 旗亭・金沢園からバトンタッチを受けた、旅館・喜多屋に宿泊 - 青い滑走路

    神奈川県に家族で出かけて参りました。北風がピューピューと吹く夜に、横浜市にある「旅館 喜多屋」に到着したのはだいぶ日が暮れてからでした。当初は自分の家族に両親二人、弟家族と大人数で楽しくワイワイ宿泊する筈だったのですが、色々訳あって我が家だけのお泊まりでした。 旅館・喜多屋は横浜市内で最も南に位置する金沢区にあり、八景島シーパラダイスや大型商業施設ベイサイドマリーナ、横浜市内唯一の海岸・野島海岸、そして沿岸部には無数の工場群がある土地です。金沢八景とも呼ばれ、明治期には別荘が立ち並ぶ国内有数の景勝地だったのですが、戦後の都心計画のなかで現在のような姿に大きく変容してきました。 住宅住宅住宅と家ばかしが並ぶ市街地の何処に旅館があるのか目を凝らし、暗闇のある空間に旅館喜多屋を発見。昔からある料亭によくある場所といった感じです。翌朝に周囲を散歩して知ることになったですが、この旅館の裏手にある

    旗亭・金沢園からバトンタッチを受けた、旅館・喜多屋に宿泊 - 青い滑走路
    mi--yan
    mi--yan 2019/03/16
    海釣り残念でしたね!与謝野晶子、縁の場所なんですね。知りませんでした。
  • 常陸野ネストビールの木内酒造さんで、マイレシピ麦酒(自ビール)造り - 青い滑走路

    縁あってよく訪れる茨城県ですが、また家族4人で遊びに行って参りました。より日頃、「あなたはいつも子供ばかりを優先させている ٩(◦`^´◦)۶」と愚痴を言われ続けているので、この日は趣味である飲酒にどストライクな目的地・木内酒造を訪れました。には詳細を告げずに自宅を出発。 常磐道を三郷から走り始めて93.8キロ、水戸市の北にある那珂インターチェンジで降りたところから更に数キロ、東京から1時間少しで到着できる場所に木内酒造はあります。木内酒造の社長のお名前は木内造酒夫(みきお)氏と、まさに酒を造るために産まれてきたと言っても過言でない人物が率いる蔵が木内酒造だと自分は勝手に想像していたのでした。 地元の庄屋であった木内氏の祖先が酒造りを開始したのは文政六年(1823)、江戸幕府が開かれてから約200年経った頃でした。時の将軍は徳川家斉。数年後には異国船打払令が出され、10年後には天保

    常陸野ネストビールの木内酒造さんで、マイレシピ麦酒(自ビール)造り - 青い滑走路
    mi--yan
    mi--yan 2019/03/06
    最高に楽しそうな場所ですね!飲むだけでなく作るというのが良いです!