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ブックマーク / blog.barnumstudio.com (9)

  • 「怒りっぽい」問題 | BARNUM STUDIO

    よく怒りっぽいかたっていらっしゃいますよね。 あれはなんなのかと思っていたのですけど、ふと気づきました。 「怒りっぽい」は単独で存在しているのではなくて、すべての感情が豊か(悪くいえば制御不能)なのですね。で、それはおそらく人間の来の姿なのだ思いました(酔っぱらいのかたがたも拝見してると怒ってたり笑ってたり泣いてたりするので理性のタガがゆるむとそんなものなのだと思います)。 「感情」は自分の気持ちをあらわにすることで他者に影響力を行使する原初的な「伝達」です。 そして「支配」でもあります。 乳児はだいたい泣いて気持ちを伝達していると同時に、自己の欲求をかなえさせるよう周囲を支配します。少し成長して幼児になると泣くか怒るか泣きながら怒ることで周囲を支配するようになります。 どこかでほとんどのひとは自分が世界の中心ではないことに気づいて世間と折り合いをつけて、あんまり泣いたり怒ったりしなくな

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    mickn 2018/01/23
  • かつてプロデューサーに求められてた(気がする)こと | BARNUM STUDIO

    今とくらべていくらか牧歌的だった昔はとても重要視されてたのに、もはやまったく考慮されなくなったプロデューサーのスキルというのがいくつかあるのですけど、そのなかには言葉としてすら消えてるものがあるのにに気づきました。 それはたとえば 「ホンが読める」 というもので、しばらく前まではよくつかわれていて、ぼくも「おまえはホンが読めるからえらい」という風におだてられてました。 「ホン」というのは脚のことです。 昔はこの「ホンが読める」というのがとても大事だった(といわれてた)のですが、いつのまにか消えてました。 今はそんなこといわれる機会もありません。 どこにいってしまったのでしょうね。 おかげで最近まったく誰からもほめられません。 ぼくは転職したらそこにいた碇司令(仮名)から開口一番「お前はプロデューサーだ。嫌なら帰れ」といわれて何も知らないズブの素人からいきなりプロデューサーになってしまった

    かつてプロデューサーに求められてた(気がする)こと | BARNUM STUDIO
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    mickn 2016/01/13
  • 『聖闘士星矢』について〜テレビ番組としてのアニメ〜 | BARNUM STUDIO

    アニメの需要のしかたも映画やネット、ビデオグラムと多様ですが、常に最も重要であり続けたのは「テレビ番組」としてのアニメなのではないかと思います。 毎週1回30分放送という強固なフォーマットは大きな制約でありつつも、アニメの娯楽強度を高めるたしかな手法として確立しています。これはマンガが連載形式でならではのおもしろさを獲得したのと似ています。 アニメビジネスはその黎明より映画による興行と、テレビによるスポンサードの両輪でまわっていました。 テレビ番組としてのアニメの背後にどのような制作費捻出の仕組みがあるかというと大きくふたつありまして、「視聴率」によってまかなわれる場合と、「商品の売り上げ」でまかなわれる場合です。 前者はたくさんのひとが見てくれればそれだけ商品の認知度があがる/企業イメージがよくなると考えるスポンサーのかたがいらっしゃると成立します。 後者はおもちゃやゲームなどアニメによ

    『聖闘士星矢』について〜テレビ番組としてのアニメ〜 | BARNUM STUDIO
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    mickn 2014/06/25
  • 親殺し予想 | BARNUM STUDIO

    プロデューサーの重要な業務のひとつに「ひとと情報の配置」があります。 自分を情報のハブにして、「うまく配置されたひとたちにうまく情報がいきわたっている」状態が理想です。 これがうまくいってるかどうかを確認するのは口でいうのは簡単ですが、意外とできません。なぜなら「有る/在る」ものを評価するのは誰でもできるのですが、「無い」ものを評価するのは「気づけない」……つまりそもそも視界に入らないので理想と較べてどれぐらい離れているかを把握するのはなかなかむずかしいのです。 さらにここが問題なのですが、うまくいってないときほどプロデューサーの介入機会が増えるので、うまくいってないどころかむしろ仕事をたくさんこなして有能感すら覚えてしまったりします。でもこれは事前に情報をわたせていない部分を、その場その場で埋め合わせているということなので、来はないはずの業務を怠慢ゆえに発生させてはこなしているだけだっ

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    mickn 2014/06/23
  • コンテンツ産業時代到来? | BARNUM STUDIO

    KADOKAWAとドワンゴの経営統合が一面で報道されてる日の日経新聞で、三菱ケミカルによる太陽日酸の買収が記事になってました。 この太陽日酸は今では北海道で悠々自適に暮らすぼくの父がかつて勤めてた会社なのですけど、勤務当時は日酸素という社名でした。それが太陽酸素と東洋酸素が合併してできた太陽東洋酸素と合併して現在は太陽日酸になってまして、さらにさらに今回三菱ケミカルホールディングス傘下になるというザックリした流れです(社名の変わらない合併・吸収・分社・統合はもっとたくさんあります)。 サーモスブランドでおなじみの魔法瓶なんかも手がけてますがメインは産業用の窒素ガスの生産で、この手の産業インフラ的な会社って業種的な絶対なくならない安心感というか不変さと同時に、最後はスケール勝負になる(銀行の大合併時代なんかもそうですね)のだよなあとしみじみ思いました。 そのグローバル化の流れとは逆に、日

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    mickn 2014/05/14
  • 社長目線で語ろう | BARNUM STUDIO

    先日も申し上げましたが世の社長はがんばって自分で会社をつくって大きくしてひとを雇用しているので、自分のイエ、自分の財産という意識があります(たぶん。ぼくはあります)。 なので「平等に優秀なひとを評価する」のも大事なのは重々承知ですが、仕事ができるとかできないとか以前に、いちいちさからってくる気に入らないやつに自分の財布からお金を払いたくないというのがあります。 「依怙贔屓よくない」も正しいですが、一所懸命会社経営してここまできたんだし「依怙贔屓ぐらいさせてよ」というのが正直なところです。 世の中の大半の会社の創業理念はどれだけ美辞麗句に彩られていようと根にあるのは 「社長の夢をかなえる」 です。起業/経営という行為はエネルギーはもとより「人生」を費やすものですので、「会社をつくる」というのはそのための「居場所づくり」でなければなりません。 社長の居心地のいい場所であることが会社にとって(

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    mickn 2014/03/10
  • テーマは温故知新で(忘れないように覚え書き) | BARNUM STUDIO

    ふだん放送中のアニメについては語らないのですが(立場的にもね)、ちょっと今回は例外として。 『ウィザード・バリスターズ〜弁魔士セシル』いいなあ。 なんかとてもいいです。 『ヱヴァ』とか『ピングドラム』とかもそうなのですが、90年代アニメのひとたち(というか50歳オーバーぐらいの年齢のかたたち)が何も変わらないがゆえに最先端に躍り出て「新しくなる」感じがよいですね。 この時期のアニメの質が高かったからそのような現象が発生するのかしらと思ったのですが、ふとふりかえると10年前の『NOIR』のときも「(懐かしくて)新しい!」と思ったので、いつでもどこかで起きてる現象のような気もします。 ですが巷間語られるように90年代にアニメが頂点に達したのであれば(いや誰も語ってないかもしれないけど『攻殻』『ビバップ』『セラムン』『エヴァ』などなどの作品群を産み出した90年代は鍵だと思います)、ぼくらにとって

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    mickn 2014/01/20
  • いつも心に黒い箱 | BARNUM STUDIO

    先日も申し上げましたが「プロデューサー」といいますと、そのプロジェクトの頂点に君臨する責任者のような気がします(し実際そうなのです)が、その職能とはなんぞやという話になりますと突然内容がもやもやとして参ります。 アニメをよくご覧のかたでもプロデューサーって何をする仕事なの? と問われると言葉に詰まるのではないでしょうか。 ご安心ください。 ぼくも詰まります。 「人気原作を人気スタジオでつくる」 だと敏腕プロデューサーに聞こえますが、それが 「 Amazon ランキングのマンガ/ラノベ/ゲームの上から順に原作元に電話かけて許諾が取れたら、 Amazon ランキング の Blu-ray の上から順にスタジオに当たって制作してもらう」 だとアルバイトでもできる仕事に聞こえます。 弊社もアニメのプロデュース協力を生業としていますので、一応プロデューサーの端くれとして業界では認知されていますし、アニ

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    mickn 2013/09/19
  • 終わっているは終わっていない | BARNUM STUDIO

    ここ7〜8年ぐらいでしょうか。 アニメのいわゆる外野のかたからたまに「アニメの製作委員会方式は終わった」とか「アニメのビデオグラムビジネスは終わった」と直接/間接的にいわれます。「製作委員会方式のビデオグラムで投資を回収するアニメ」で生活しているぼくに対してそのようなことをおっしゃる意図は判じかねるのですが、どういうわけか何年経ってもいまだに終わっているはずの「製作委員会方式のビデオグラムで投資を回収するアニメ」をつくる日々を過ごしております。 これはどういうことなのかというとここでいう「終わっている」は、分析や思考の蓄積の結果として導き出される当の意味での「終わっている」ではなくて なぜかといいますと、知識と興味の不足を認めたくないときに、知識/興味を埋め合わせる簡便な思考法だからです。 単に「知らない/興味がない」より「終わっている(から知らない/興味がない)」のほうがカッコいいです

    終わっているは終わっていない | BARNUM STUDIO
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    mickn 2013/08/27
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