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2007年10月3日のブックマーク (3件)

  • [CEDEC 2007]デベロッパ,パブリッシャ,学識者の豪華メンバーが集った「アドベンチャーゲームの復権」セッション

    [CEDEC 2007]デベロッパ,パブリッシャ,学識者の豪華メンバーが集った「アドベンチャーゲームの復権」セッション 編集部:Guevarista CEDEC 2007最終日に,2コマを費やして行われた大がかりなセッションが,「アドベンチャーゲームの復権」だ。携帯電話の性能向上や,携帯型ゲーム機の普及という新たな局面を迎え,現在アドベンチャーゲームに注目が集まりつつある。そうした状況を受け,アドベンチャーゲームがここまでたどってきた歴史を振り返りつつ,今後の可能性を探るのがこのセッションの狙いだ。開発者,パブリッシャ,学識者らがそれぞれの立場で解説し,それを講評でつなげていくという仕立てになっていた。 アドベンチャーゲームの復権といっても,例えば近年のヨーロッパ市場におけるクラシカルアドベンチャーの豊饒さなどとは,別に関係ない。あくまで日ゲーム市場におけるアドベンチャーゲームであるから

    [CEDEC 2007]デベロッパ,パブリッシャ,学識者の豪華メンバーが集った「アドベンチャーゲームの復権」セッション
    mickoh
    mickoh 2007/10/03
    >「とりあえず萌えならいいんだろ? となった現状の帰結が非常に楽しみ」「僕はそれが『らき☆すた』だと思う」
  • いま感じている悲しいとか楽しいとかキモいという気持ちを否定しない -

    いま目の前で仔が死んでいく様子を見て悲しいと思ったり、ディアボロの大冒険をやって楽しいと感じたり、揚げ足取り議論を見てキモいと思ったりすることがすくなからずある。 特にネガティブな感情の「キモい」あたりは、キモいと思うおれがキモいんだキモいとか思っちゃいけないんだこんな感情消さないといけないんだなんてことになりがちで、ただそうやって感情を押し込めて論理やらなにやらで自己解決に走るとたいていあとがつらい。 そうじゃない。キモいという感情は物でそれは疑っちゃいけないものなのだ。 ただし、そのキモいという感情を生み出した心のルールがどうやって自分に組み込まれたのか、そこは疑ってよいのだと思う。 その「疑うための道具」の一つが創作なのだと思う。とりわけSFはもっとも使い勝手のよい道具だと思う。*1 私がSF(っぽい)創作を書くのが好きな理由はそこです。 *1:SFとか創作とか言わなくても、思考

    いま感じている悲しいとか楽しいとかキモいという気持ちを否定しない -
    mickoh
    mickoh 2007/10/03
    そういう意味で創作と思想には縁がある>その「疑うための道具」の一つが創作なのだと思う。
  • 『ゲームデザインの才能』

    TidalBeachBlog ゲームに関すること色々。 主にプレイ日記やゲーム作りに関することなど。 ときどき、無節操に映画やマンガについて書いたりしてます。 ニコニコ動画で人気の、「友人マリオ 」が完結だとか。 作者は卒業してゲーム学校にいくとのことで、 とりあえず、おめでというというべきなのだろう。 ……トラックバック先 でもふれられているが、 ワタシも、この作者には、ゲーム作りの才能があると思う。 プレイヤーが、その面をプレイしたときにどう思うか、 どうプレイしようとするか、どうやれば裏をかけるか、 という点について、相当な洞察力がある。 動画を見ている視聴者を意識して、「魅せる」ステージを作る力がある。 これは、決してカンタンじゃない。 「魅せるプレイ」も難しいが、「魅せるステージ作り」もまた難しい。 これは、分類するなら、レベルデザインの能力だ。 「レベルデザイナー」ってのは、

    『ゲームデザインの才能』
    mickoh
    mickoh 2007/10/03
    改造マリオの作者にレベルデザインの才能を見る