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歴史とネタに関するmicrogravityのブックマーク (10)

  • ブリカスEU離脱ショックを一身に浴びた日本市場、歴代8位の下落幅を記録 : 市況かぶ全力2階建

    有料note批判から4年後にしれっと有料noteを売り始めた個人投資家さん、同窓会でディーラーのふりをするコピペみたいな事態に陥る

    ブリカスEU離脱ショックを一身に浴びた日本市場、歴代8位の下落幅を記録 : 市況かぶ全力2階建
  • 世界の偉人・著名人たちによるウィットに富んだ「切り返し」32例 - GIGAZINE

    世界の偉人たちの言葉は、悩んだときに道を示してくれる力強さを持っているものです。しかし、今回集められたのは「名言」ではなく、見事な言葉の「切り返し」。ウィットに富んだものから、人柄をよく表しているもの、時には苦しい言い訳や口汚い罵り合いまで、32個の切り返しが集まっています。 The 32 Wittiest Comebacks Of All Time 1.エイブラハム・リンカーン vs 他国の外交官 エイブラハム・リンカーンは、第16代アメリカ合衆国大統領。南北戦争に勝利し、奴隷解放宣言を発布しました。下のやりとりは、外交官の質問を受けてのもの。 外交官: 大統領! あなたは自分のを自分で磨くんですか? リンカーン: そうだよ。君は誰のを磨くんだね? 2.アーネスト・ヘミングウェイ vs ウィリアム・フォークナー アーネスト・ヘミングウェイは、20世紀前半に活躍したアメリカ小説家。1

    世界の偉人・著名人たちによるウィットに富んだ「切り返し」32例 - GIGAZINE
  • 「紀元前200年の電池」や「最古のアナログコンピュータ」など、いまだ科学で解明できていない不思議な6つの発見

    by Norman B. Leventhal Map Center at the BPL 何世紀も前に生きた人々が残したいくつかの遺物は、発見された時代や場所とまったくそぐわない性能を持っており「オーパーツ」とも呼ばれますが、それらは現代の優れた科学者たちの頭をいまだに悩ませ続けています。 中には「紀元前200年ごろに使われていた電池」や「最古のアナログコンピュータとも呼ばれる装置」といった、明らかに当時の技術では実現できないような物体や、まったく解明できていない現象などがあるわけですが、はたしてどのようなものなのでしょうか。 いまだ科学で解明できていない不思議な6つの発見は以下から。6 Insane Discoveries That Science Can't Explain | Cracked.com 1:解読不能の奇書「ヴォイニッチ手稿」 今年の初め頃にようやく作成された年代が特定さ

    「紀元前200年の電池」や「最古のアナログコンピュータ」など、いまだ科学で解明できていない不思議な6つの発見
  • 解読不能の奇書「ヴォイニッチ手稿」の年代が特定される

    ほかのどこでも見られない謎の文字で記され、何語で書かれているのか何が書かれているのかも不明な古文書「ヴォイニッチ手稿」。文と関係あるのかすら不明な色鮮やかな多数の不可解な挿絵の魅力もあり、1912年にイタリアで発見されて以来、古書マニアや暗号マニアの心をくすぐり続けてきました。 これまでこの「ヴォイニッチ手稿」は14世紀から16世紀ごろに作成されたと考えられてきたのですが、アリゾナ大学で行われた質量分析により、その年代が特定されたそうです。 詳細は以下から。UA Experts Determine Age of Book 'Nobody Can Read' | UANews.org 「ヴォイニッチ手稿」は1912年、ローマ近郊のモンドラゴーネ寺院で発見され、発見者である古書商ウィルフリッド・ヴォイニッチにちなんで「ヴォイニッチ手稿」と呼ばれています。ヴォイニッチは謎の手稿の正体を突き止め

    解読不能の奇書「ヴォイニッチ手稿」の年代が特定される
  • ヴォイニッチ手稿 - Wikipedia

    ヴォイニッチ手稿のページ。 ヴォイニッチ手稿(ヴォイニッチしゅこう、ヴォイニッチ写、ヴォイニック写とも、英語: Voynich Manuscript)とは、1912年にイタリアで発見された古文書(写)。未解読の文字が記され、多数の奇妙な絵が描かれていることが特徴である。 ウィルフリッド・ヴォイニッチ。 大きさは23.5 cm × 16.2 cm × 5 cmで、左から右読み、現存する分で約240ページ(少なくとも28ページが欠落)の羊皮紙でできている。未解読の文字による文章が書かれており、ほぼ全てのページに女性、占星図、植物といった様々な絵が彩色されて大きく描かれている[1]。文章に使用されている言語は多くの歴史研究者および言語学者によって何度も解読の試みが行われているが、現在でも解明されていない[1]。 名称は発見者であるポーランド系アメリカ人の革命家で古書収集家のウィルフリッド・

    ヴォイニッチ手稿 - Wikipedia
  • 世界をめちゃくちゃにした、書かれるべきでなかったかもしれない10冊の本

    書物は知識の宝庫であり、いつの時代も人類にインスピレーションを与え続けてきたものですが、時には間違った情報や偏った物の見方を流布したり、戦争や大量殺害、恐怖政治の大義名分に使われることもあります。 影響力のあるというのはすべて、人類に対して良い影響と悪い影響の両面を併せ持つものかもしれませんが、歴史上で強い影響力を持ったの中で、著者の意図するしないにかかわらず読者をあざむくことになった、多くの人の死につながったなど、悪影響の方が大きかったと言わざるを得ない「世界に悪をもたらした」を10冊挙げたリストを紹介します。 必ずしも「読むべきでないのリスト」ではないので、読書好きの人はそのがもたらした結果を念頭に置いて読んでみると興味深いかもしれません。10 Books that Screwed Up The World - Top 10 Lists | Listverse ◆「魔女に

    世界をめちゃくちゃにした、書かれるべきでなかったかもしれない10冊の本
  • 今年の遣唐使採用試験の日程って決まった? ぶる速-VIP

    今年の遣唐使採用試験の日程って決まった? 今年の遣唐使採用試験の日程って決まった? 1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/05/20(木) 20:09:31.52 ID:KepkJv/50 そろそろ過去問演習始めようと思うんだけど 2 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/05/20(木) 20:10:28.46 ID:ErhAeCTW0 儒学の単位ヤバくて留年しそう 4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/05/20(木) 20:11:08.86 ID:czOX+j0g0 あああああ間違えて遣隋使試験応募してたあああああ   6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/05/20(木) 20:11:49.59 ID:hXPI/qSm0 やべーまだ中国1000年の歴史

  • 高密度小池 / 足利尊氏ってこんな人

    足利尊氏ってこんな人 後醍醐天皇に乗って倒幕に参加 後醍醐天皇の政治がクソなので、武士の土地保証を独自に開始 後醍醐天皇の息子護良親王に邪魔されたので、周到に追い詰めて鎌倉に幽閉 機会を上手くつくって鎌倉を奪取 キレた後醍醐天皇が新田義貞を仕向ける 尊氏、天皇に反逆してる事に気付いて発狂 発狂して、寺に閉じ込もる 尊氏の弟の直義、しかたがないので自分が出陣 直義ボロ負け 尊氏、出陣 尊氏のありがたい台詞「弟の直義が死んだとしたら、俺が生きている意味は無い」 尊氏、新田義貞を破る 尊氏、そのまま京都に攻め登る 奥州から帝方の北畠顕家が追って来た 尊氏、京都でボコボコにされる 尊氏、九州まで逃げる 尊氏、逃げる途中で皇室の偉い人から旗を貰う 尊氏、九州で千人ぐらいの軍を纏めあげる 尊氏、菊池軍三万に襲われる 尊氏、千人で三万に勝つ 尊氏、九州で大軍を纏

    microgravity
    microgravity 2009/11/27
    やりたい放題ですね。特に後半。
  • らばQ:人類の歴史上、もっとも征服した面積の広い人物トップ10

    人類の歴史上、もっとも征服した面積の広い人物トップ10 世界征服という言葉には、魅力的な響きがあります。 歴史上、数多の王や独裁者が世界征服に乗り出し、そして挫折していきました。 世界征服は叶わないまでも、一番征服した面積が広かったのは誰なのか。ナポレオンやヒトラーは何位か分かるでしょうか? 史上最大の征服者、トップ10をご紹介します。 1位. チンギス・ハーン 1260万平方キロメートル モンゴルの族長チンギス・ハーンは、西暦1206年〜1227年の間に、東は太平洋から西はカスピ海まで、モンゴルを中心に中国北部、中央アジア、シベリア南部まで支配下に置いています。 言わずと知れたモンゴル帝国の創始者ですが、手中に収めた版図はぶっちぎりの1位です。 2位. アレクサンダー大王 564万平方キロメートル ギリシャの北側に位置するマケドニアの王、アレクサンダーは、紀元前334年〜326年の間に、

    らばQ:人類の歴史上、もっとも征服した面積の広い人物トップ10
  • ジョシュア・ノートン - Wikipedia

    ジョシュア・エイブラハム・ノートン(Joshua Abraham Norton、1818年2月4日 - 1880年1月8日)は、アメリカ合衆国の帝位僭称者。 19世紀のアメリカにおいて「合衆国皇帝」(Emperor of The United States of America)を自称した[1]。更には当時アメリカと敵対状態にあったメキシコの保護者として帝位請求を行った[2]。 イギリス生まれのイングランド人で、南アフリカで幼少期を過ごした資産家の子息であった。1845年後半にケープタウンを離れ、リヴァプールを経由して翌1846年3月にボストンにたどり着いた[3]。 その後、1849年にサンフランシスコに邸宅を購入して移り住み、父親から受け継いだ遺産4万ドルを運用して一財を作った。成功した実業家として裕福な生活を送っていたが、ペルー米の投機に失敗して破産したことを契機に正気を失ったとされて

    ジョシュア・ノートン - Wikipedia
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