作詞 林春生 作曲 ザ・ベンチャーズ 歌 渚ゆう子 1970年発売 渚ゆう子さんは、ベンチャーズが作曲した「京都の恋」「京都慕情」でブレイクされました。 私はどちらの歌も好きですが、しいて言えばこの歌が好きです。 渚ゆう子さんは、まさにドラマのような人生を歩んでこられました。 24歳の時、彼氏がいて結婚の約束をされてて、結婚する予定だったのです。 しかし、これらベンチャーズナンバーの歌が有線放送から火が付き出し、レコードも売れるようになり、人気歌手となり、スケジュールがびっしりで、とても婚約、結婚とは行かない状況になり、結局男性と別れざるをえなくなったのですね。 周囲の人が裏で男性に身を引かせたそうです。 「当時は寝る間もないほど忙しく、徐々に肉体的にも精神的にも追い込まれてしまった」と当時の様子を本人がこう振り返っておられます。 その男性は違う女性と結婚されたのですが、渚ゆう子さ
作詞 河邨文一郎 作曲 村井邦彦 歌 トア・エ・モア 1971年発売 この歌は1972年に開催された札幌オリンピックのテーマソングです。 私は札幌オリンピックを見た記憶があり、この歌も大好きな歌でした。 歌っておられるトワ・エ・モアは他にも沢山ヒット曲がありますが、私はこの歌が一番好きです。 トワ・エ・モア"toi et moi"はフランス語で「あなたと私」の意味だそうです。 今、このブログを読んで頂いてる殆どの方は札幌オリンピックは見ておられないでしょうが、スキーのジャンプで日本が金、銀、銅を独占し日の丸飛行隊と呼ばれるきっかけとなった事は聞かれたことがあると思います。 笠谷選手が金メダルをとられました。 また、フィギュアスケートで氷上で尻もちをつきながらも銅メダルをとったジャネット・リン選手も聞かれたことがあるのではないでしょうか。 ジャネット・リ
作詞 レニー・リプトン 作曲 ピーター・ヤロー 歌 ピーター・ポール&マリー 1963年発売 1960年代にベトナム反戦などを訴えて活躍したフォークグループです。 私が学生の頃は、PPMと言ってまだまだ人気がありました、私はこの歌が一番好きです。 PPMの歌う多くの曲は、人種差別やベトナム戦争など当時の米国政府に抗議するメッセージが込められていたという意味でプロテスタント・ソングとも呼ばれ、日本でも彼らに影響を受けたフォーク歌手やグループがたくさん生まれました。 ノーベル賞を受賞したボブ・ディランが作った曲をカバーした「風に吹かれて」は世界的なヒットとなり、今でも歌われています。 PPMのヴォーカリストで、スレンダーなボディとブロンドの長い髪で高い人気を誇ったマリー・トラヴァースが2009年白血病のため72歳で他界しました。 2007年には北朝鮮による拉致被害者
作詞 Ron Miller・Ken Hirch 作曲 Ron Miller・Ken Hirch 歌 シャーリーン 1977年発売 この歌は、椎名恵さんが「LOVE IS ALL 愛を聴かせて」という題名でカバーされています。 すごく素敵なメロディで歌詞もとても素晴らしく、結婚式ソングになっています。 実は私の結婚式の披露宴の最後のキャンドルサービスのときに流されました。 実は、この曲の英語版、シャーリーンの「I’ve Never Been To Me 愛はかげろうのように」の英語歌詞は、まったく意味が違っています。 、 椎名恵さんは、デビューからこの曲も含めた数曲が、いわゆる洋楽の日本語カバーの大ヒット曲で知られる人ですが、さすがにきれいな歌のうまい人だったし、この歌詞で聴くととても幸せ感を感じるような曲なんですよね。 それだけにオリジナルの歌詞のことを考えると幸
作詞 湯川れい子 作曲 小林明子 歌 小林明子 1985年発売 この歌は、1985年に放送されたテレビドラマ「金曜日の妻たちへⅢ」のテーマ曲でドラマと共に大ヒットしました。 このドラマは、ごく普通の家庭の妻の不倫をテーマにしたドラマで、当時はこのドラマのヒットにより「金妻」は不倫の代名詞と成り、不倫は社会現象とまで言われるようになりました。 私はこのドラマが好きで毎週欠かさずに見ていました。 若い頃の古谷一行と小川知子が出演していましたが、美男美女でした。 徳永英明さんがこの歌をカバーして歌ったのを聴いて男性でも、違和感なく歌える曲だと思い、歌ってみたくなりましたが、この歌は英語の歌詞が半分くらいあるのです、英語に弱い私にはとても無理な歌でした。 私は数年前に関西国際空港で少し年上女性がノートとボールペンを持って来られ、「徳永英明さんでしょ?サインして下さい」と言
作詞 松任谷由美 作曲 松任谷由美 歌 松任谷由美 1993年発売 「ずっとあなたが好きだった」の香来千賀子、佐野史郎、野際陽子さんが出演された、テレビドラマ「誰にも言えない」の主題歌です。 私の世代は松任谷由美さんと言うよりも荒井由美さんのイメージが強いのですが、この歌が一番好きです。 松任谷由美さんと言えば、毎年、新潟の苗場プリンスホテルで開催されてきた冬の定番コンサート「SURF&SNOW in Naeba」があまりにも有名です。 1981年にスタートした苗場コンサートは次回で38回目を迎えます。 ゲレンデで思いっきりウィンタースポーツを満喫したり、充実した施設満載のプリンスホテル館内を散策したりした後に、夜からゆったり楽しめるホテル内の冬のリゾートコンサートは普通のコンサート会場と違って収容人数が少ないので、お客さんにリクエストしてもらってその歌を歌われ
作詞 宇佐英雄 作曲 宇佐英雄 歌 美川憲一 1966年発売 美川憲一さんはゲイなのかそういうキャラクターになってますが、昔を知ってる者とすれば首をかしげます。 昔は美男子キャラで売ってたのです。 そして、沢山のヒット曲があります、私はこの歌が一番好きです。 私が20代の頃在籍した会社の慰安旅行があり、宴会のとき職場対抗のカラオケ大会があり私はこの歌を歌った思い出があります。 その会社は私が31歳の時に閉鎖となりましたが、この歌を聴くと何故か最初に勤務した会社を思い出します。 その時同じ会社にいた約500人が会社を辞めた訳ですが、24年経った今でも年賀状のやり取りをしてる人も何人かいます。 昔はどの会社でも慰安旅行がありましたけど、最近は職場の慰安旅行をする会社は少なくなったようですね。 美川さんは、メークをしていてゲイみたいに思われる方もおられる
作詞 レオン・ラッセル 作曲 ボニー・ブラムレット 歌 カーペンターズ 1971年発売 兄、リチャード・カーペンターと妹のカレン・カーペンターの兄妹デュオです。 カーペンターズの音楽は1970年代を代表する陽性なポップスの象徴であり、ビートルズを越える人気とまで言われるようになり、彼らに匹敵するようなバンドも現れてきませんでした。 日本でもすごい人気でして、私はこの歌が一番好きです。 カーペンターズが人気絶頂の時にこの歌が発売され、まさにカーペンターズこそスーパースターなのだと思いました。 表向き明るいポップス・デュオというイメージの裏で彼らがさまざまな苦しみを経験したことはよく知られていますが、最大の問題は精神的な病ともいえたカレンの拒食症の問題でした。 カレンは1983年、拒食症が原因による心臓発作でこの世を去りました。 32歳という若さでした。そして、こ
作詞 吉幾三 作曲 吉幾三 歌 吉幾三 1984年発売 この歌は千昌夫さんに提供されましたが、私は吉幾三さんが歌っておられるこの歌が好きです。 今から34年前に私は勤務してた会社が閉鎖となり退職して、失業保険を頂いてる最中に以前から一度行ってみたかった、青森の「恐山」に行きました。 伊丹空港から青森行きの飛行機に乗ったのですが、飛行機に乗ったとたんに、あの優しい「津軽弁」が聞こえてきてはじめて聞く津軽弁にちょっと感動しました。 恐山に行く目的の中に、「イタコの口寄せ」と言って、死んだ人を呼び出して頂けるので亡くなった祖父を呼び出して頂こうと思ってました。 青森空港に着いて、青森駅前のホテルまでバスで行きました。 バスに乗ると、何と吉幾三さんの声で地元の名産のコマーシャルが流れました。 私は「ここは青森なんだな~」と思ったものです。 その夜は居酒屋に行き
作詞 坂井泉水 作曲 織田哲郎 歌 ZARD 1993年発売 ZARDの中でこの歌が一番好きでした、この歌を聴くと本当に元気がでたものです。 早いもので、坂井泉水さんが亡くなられて、5月で10年になりました。 1991年にデビューし、2007年に残念なことに慶応大学病院に入院中に、階段から転落したことが原因という理由で亡くなられました。 坂井泉水ファン、ZARDファンにとっては衝撃的な出来事でした。 テレビ等いろいろなメディアがその死を報道しましたが、その理由ははっきりとしないものでした。 その当時の坂井さんの年齢はまだ40歳の若さでした。 もともとテレビに出演したりライブも殆どされなかって、謎めいたグループではありました。 その後いろいろなな報道がなされましたが、私個人としては坂井さんは事故に見せかけて人生に終止符を打たれたのだと思っています。 何故
作詞 財津和夫 作曲 財津和夫 歌 チューリップ 私は中学生の頃からチューリップが好きで、この歌が一番好きでした。 しかし、何と言ってもこの歌が有名になったのは、1993年のテレビドラマ「一つ屋根の下」の主題歌になったからではないでしょうか。 この歌は財津和夫さんの失恋体験を歌った歌だそうです。 一つ屋根の下は私も見てまして、江口洋介、福山雅治、いしだ壱成、山本耕史、そして酒井法子さんも出演してました。 酒井法子さんは2009年に覚醒剤取締法違反で逮捕され、有罪判決を受けました。 薬物で逮捕された有名人を書いてみたいと思います。 田中聖(元KAT-TUN) 2017年大麻取締法違反で逮捕。 萩原健一 1983年大麻取締法違反で逮捕。 井上揚水 1977年大麻取締法違反で逮捕。 小向美奈子
作詞 阿木燿子 作曲 宇崎竜童 歌 山口百恵 1976年発売 この歌は山口百恵さんの歌の中では一番好きな歌です。 阿木燿子・宇崎竜童さんのコンビによるはじめての歌で、まさにこの歌はアイドルから決別された歌なのです。 山口百恵さんは中3トリオ(あと桜田淳子さん、森昌子さん)の中でも一番好きで、歌も好きでしたが、テレビドラマの「赤い迷路」「赤い疑惑」「赤い運命」等の赤いシリーズはずっと見てました。 山口百恵さん、三浦友和さんの「伊豆の踊子」「潮騒」は映画館に行ったことは鮮明に覚えてますし、不思議なことにストーリーも鮮明に覚えています。 デビュー当時、山口百恵さんの生い立ちは、母子家庭に育ったとされていました。 しかし、実は認知されていたものの、愛人の子であったという真実の生い立ちを、200万部のベストセラーとなった自叙伝「蒼い時」で明かしています。 そして山口百恵さんは
作詞 山下達郎 作曲 山下達郎 歌 山下達郎 1982年発売 1982年に「あまく危険な香り」というテレビドラマがありまして、そのドラマの主題歌です。 私はいつも見てまして、山下達郎さんの歌の中では一番好きな曲です。 何と言ってもこのドラマは根津甚八さんが主演されていて、「男はつらいよ」のさくら役の賠償千恵子さんとの許されぬ愛が描かれた作品でした。 根津甚八さんは男性から見てもかっこよくて、とても演技も上手でした。 個人的にはNHKの「男たちの旅路」シリーズに出演された作品が最高だと思っています。 テレビで顔を見ないなと思ったら、病気を患い活動を縮小されていて、交通事故で被害者を死亡させ活動を停止されました。 その後、うつ病を患ってると言われ、持病の椎間板ヘルニアも悪化し療養生活を送られてましたが、2016年12月に69歳で亡くなられました。 69歳はまだまだ若
作詞 フレディー・マーキュリー 作曲 フレディー・マーキュリー 歌 クイーン 1974年発売 クイーンは1973年にデビューしたイギリスの4人組のロックバンドです。 イギリス、アメリカ、日本等、世界中で成功したバンドです。 「成功したバンドです」と過去形で書きましたが、1991年にリードボーカルのフレディ・マーキュリーが45歳で亡くなってからもメンバーは変わってますが、クイーンとして活動はされてます。 クイーンの楽曲の総売上枚数は実に3億枚を超えているのです。 私もクイーンは好きでこの歌が一番好きです。 その頃ラジオのFM放送のリクエストにハガキを出して名前を読まれた記憶があります。 リードボーカルのフレディ・マーキュリーが同性愛者というのは本当なのでしょうか? フレディ・マーキュリーは同性愛者というよりも以前には女性の恋人もいて一緒に暮らしてましたから両性愛
作詞 伊勢正三 作曲 南高節 歌 かぐや姫 1972年 発売 「神田川」で有名になったかぐや姫が解散して、2枚組LPレコードの「かぐや姫フォーエバー」が発売されると、人気に火がつきました。 解散が契機になって人気が出てきた珍しいグループでした。 私は中学生でしたが、このアルバムは毎日聴いていました、全ての曲が良いのですがしいて言えば「あの人の手紙」が一番好きです。 そしてその頃はラジオの深夜放送が人気があり、私も南こうせつのオールナイトニッポンを聴いていました。 たしか土曜日のオールナイトニッポンは笑福亭鶴光がD.Jでした。 あの頃は将来どんな職業に就きたいのかのアンケートでD.Jが上位にあったそんな時代でした。 風(伊勢正三と大久保一久)の「22才の別れ」も、イルカの「なごり雪」も元々フォーエバーに入ってる曲です。 今、発売された年を1972年と書き込
作詞 阿久悠 作曲 大野克夫 歌 沢田研二 1975年発売 私達の世代のスーパースターはやはり沢田研二さんではないでしょうか。 沢田研二さんのヒット曲は沢山ありますが、レコードの売り上げ等この歌が最大のヒット曲です。 案外、レコード大賞を受賞された「勝手にしやがれ」が一番のヒット曲と思っておられるのではないのでしょうか。 発売されたその年に沢田研二さんが主演のテレビドラマ「悪魔のようなあいつ」が放送されました。 この歌はこの番組の主題歌であり、私は毎週見てましたので、この歌は印象に残っていて大好きな歌です。 「悪魔のようなあいつ」は3億円事件強奪事件をモチーフにした作品で、沢田研二さんは犯人役を演じ、それを追う刑事を若山富三郎さんが演じられました。 この番組は1975年の6月~9月まで放送され、その年の12月に3億円事件が時効になるので、その時効までの同時進行で
作詞 木未野奈 作曲 徳久広司 歌 増位山太志郎 1997年に大相撲の関取である増位山が歌いました。 増位山はその後大関に昇進しました。 この歌は私が社会に出て、初めてスナックに行き歌った歌です。 この歌詞の中に「グレーの背広にラークのタバコ・・・」という歌詞がありますが、その頃は殆どの男性がタバコを吸っていまして、私もラークのタバコに憧れたものです。 私は相撲も好きでして、大相撲大阪場所に行ったことがありますが、増位山はアメリカのフォード社のサンダーバードというすごい大きな車で場所入りしてたのが印象的です。 本当はこの歌のヒットで紅白歌合戦に出場するのではといわれてましたが、惜しくも出場できませんでした。 この他にも増位山は「そんな夕子にほれました」等ヒット曲が沢山あります。 親方をされてましたが、定年退職後は歌手になられ現在も活躍されてます。 増位山は美男
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