ブックマーク / suumo.jp (3)

  • 青森県八戸市と私 | 文・androp 内澤崇仁 - SUUMOタウン

    著: androp 内澤崇仁 青森県八戸市。「はちのへ」と読む。私が生まれ育ったところ。 私はおぎゃーと生まれた時から、おりゃーと音楽家を目指し東京に行くまでの約18年を八戸で過ごした。田舎と都会が半々な町。雄大な自然があるのはもちろん、ひとたび街に繰り出せば、人情味あふれるあたたかい人たちがいる。 東京では「青森はどんなところ?」「八戸は何が有名なの?」とちょいちょい聞かれる。「そんな誇れるものはないです」なんて謙遜をして答えることがほとんどだが、「何もないところだよね」って言われたら怒ります。「そんなことはないですよ、海も山も川も近くて、りんごもイカもサバも美味しくて、デコトラもB-1グランプリも発祥の土地なんですよ!」と心の中で叫ぶ。 さらによく聞かれるのが、「青森出身だから雪に慣れているでしょ?」という言葉。実は、八戸市は県内でも降雪量が少ない地域。つまり、青森県内では八戸市が最も

    青森県八戸市と私 | 文・androp 内澤崇仁 - SUUMOタウン
    mikamikami
    mikamikami 2022/07/27
    メジャーどころだと「八食センター」、飲み屋だと「プリンス」がおすすめ。「八戸ブックセンター」とか、サブカル的な要素もあって面白い街。
  • 街路樹のまち「仙台」を自転車で駆け抜けた日々(寄稿:むらたえりか) - SUUMOタウン

    著: むらたえりか 行きたいときに行きたい場所に確実にたどり着ける。 そんな私にとっての「自由」を教えてくれたのは、大学入学から25歳で上京するまで住んでいた街・仙台だった。 自転車で駆け巡った仙台の「道」 仙台のことを考えるといつも並木道ばかりが思い出される。もともとは江戸時代に伊達政宗公の意向により街に緑が増え、明治時代には「森の都」と呼ばれたそうだ。その後一度は空襲で消失してしまうものの、復興などを経て現在は「杜(もり)の都・仙台」として親しまれている。そんな歴史から、繁華街・郊外問わず仙台には大きな街路樹が多い。 今年は少ないと聞いたが、秋になると銀杏並木の下には足の踏み場もないほどたくさんの銀杏の実が落ち、足の踏み場もないので踏んでしまう。学生のころには、友達とくさいくさいと大げさに騒ぎ笑いながら仙台駅までの道を急いだ。 仙台市の中でもいくつかの街に住んだが、大学時代の大半を過ご

    街路樹のまち「仙台」を自転車で駆け抜けた日々(寄稿:むらたえりか) - SUUMOタウン
    mikamikami
    mikamikami 2020/01/27
    自分も仙台→東京で当初は同じことを考えたが、東京も自転車で走ると印象はだいぶ変わると思う。仙台っぽい東京といえば「吉祥寺」。吉祥寺に行くと仙台っぽさを感じる。
  • 都会と下町、まるで違う二つの顔を持つ街「西新宿」(寄稿:雨宮まみ) - SUUMOタウン

    著: 雨宮まみ 青春、という言葉は大嫌いだけど、自分のこれまでを振り返ってみて、いちばん青春っぽかったのは、西新宿で暮らした25歳~35歳の10年間だったのではないか、と思う。 西新宿に引越したのは、会社を辞めてフリーライターになるタイミングだった。とにかく貧乏になることは分かりきっていたし、出版関係は新宿での飲み会が多かったので、付き合いで行かなきゃいけないことを考えて「新宿からタクシーで千円ぐらいで帰れる距離で、家賃がなるべく安いところはありますか?」という、かなりアバウトな条件で物件を探した。「会社員」という肩書きがないと、家を借りるのは難しいと思っていたので、とにかく慌てて探していた。そして、「ここならなんとか住めるな」と思った西新宿の古いアパートの1階に引越した。 実際にタクシーを利用することはほとんどなかった。歩いて帰れたからだ。お金がなくて仕事がなくて時間だけがあり余っている

    都会と下町、まるで違う二つの顔を持つ街「西新宿」(寄稿:雨宮まみ) - SUUMOタウン
    mikamikami
    mikamikami 2016/08/04
    自分も似たような時期に住んでいた。正直なところ住みやすい街だとは思わないが、新宿公園を境にこちらとあちらがあり、さらにあちらには上と下が存在する混沌とした空間は異様で面白みはあったと思う。
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