武蔵新田の昔の地図を見ながら当時の様子を振り返る福田智恵子さん=東京都大田区で2025年7月24日午後7時39分、西本紗保美撮影 国内外から1日に平均で24万人が利用する空の玄関口、羽田空港。その西側一帯にはかつて三つの町があった。 その一つの羽田穴守町に戦時中、軍需工場で働く男性たちのための「慰安所」がつくられた。 しかし、働いていた女性たちの存在はほとんど知られていない。 連載「戦時下ですから」は全7回のシリーズです。 次回は 女性画家たちの気概と後悔 臨時私娼黙認地域を認可 1945年9月21日、東京都蒲田区(現大田区)の穴守など3町は空港を拡張するため米軍に48時間以内の立ち退きを迫られ、ブルドーザーでほぼ跡形もなく造成された。 大田区史によると、明治以降に穴守稲荷神社が花柳界の信仰を集め、海水浴場もある一大行楽地となった。参道周辺に花街もあったが、満州事変以降、徐々に工場地帯に変
