【昭和44年頃の国土地理院地形図】 かつて西中国山地に存在した虫ヶ谷集落は、 昭和38年の豪雪、いわゆる「三八(サンパチ)豪雪」を契機に 自治体側が挙家離村(集団移転) を勧め、昭和45年無人となった。 【昭和49年の国土地理院の航写】 昭和31年、虫ヶ谷集落に電力が導入され 長年のランプ生活から開放されたという。 (おそらく、超マイクロな水力発電所設置による自家発電と考えられる) 【昭和49年の国土地理院の航写の拡大図】 匹見町史によれば三世帯19人であったという。 野生のツキノワグマが棲息する西中国山地のど真ん中の、 かつては歴(レッキ) とした国道であったが、 新道開通にて今では行き交う車も稀な寂しき道を 虫ヶ谷集落入口を探しひた走る。 インセクトバレー入口 いくら山奥の少数集落といえども そこそこ車で行けるだろうと思っていたが、まさかの、 最初からシングルトラックであった。 少し登