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いつも時代の3年先というか、みんなが気がつく頃には自分の関心は薄れているようなことにアンテナを張って生きているのだけど、今年話題になったものでいうと、いわゆる「ポエム化」の話かなと思う。ブラック労働とポエムの相性がいいというのは、自分的には周知の事実だと思っていたし、だからこそクロ現の企画も受け入れられたのだと思うけれど、それにしてもあらためて映像化されて驚いたという人も多かったのだろうか。 いまの勤め先に入ってから、学生たちの関心もあって、それまで本格的に手を付けてはいなかった消費社会研究に取り組むことになったのだけど、そこで見えてきたものの中には、たとえば再魔術化やディズニー化といったショッピングモール論につながる話や、以前の自分の研究とつながる話なんかと並んで、『サブカル・ニッポンの新自由主義』で扱ったサービス労働と若者の自己意識の話の延長になる、「感情労働」などの現代的なサービスの
日本に一時帰国して1ヶ月になるが気になることの一つは、 飲食店などにあまりにも態度の悪い顧客がいることである。 1.地元のマクドナルドにて: ヤンキー中学生3人「(席から)ねえ、ちょっと、水3つ!」 店員「かしこまりました!」 ヤン「ちょっと!水まだなの?」 店員「はい、ただいまお持ちします!」 店員「お待たせ致しました!」 ヤン「おせーんだよ!」 店員「申し訳ございません!」 2.新宿のラーメン屋にて: おっさん「中華風ラーメンと餃子!」 店員A「かしこまりました。」 おっさん「大盛りにして。」 店員A「はい。半ライスがサービスになりますが、お付けしますか?」 おっさん「いらねえよ!チャーシュー何枚入ってんの?」 店員B「3枚です。それと別の種類の肉も何枚か。」 おっさん「ふーん。」 (約1分後) おっさん「このラーメン、玉子はいってんの?」 店員B「入っておりません。」 おっさん「じゃ
数日前の記事だが、ニューヨークタイムズが ニューヨーク市におけるアジア系の高校生の割合は16%に過ぎない にもかかわらず、公立トップ数校におけるアジア系比率が6〜7割 にも達していると報じた(元記事)。 ちなみに記事のタイトルは、 "For Asians, School Tests Are Vital Steppingstones" (アジア人にとっては、学校のテストが人生の大事な一歩なんだよ) である。 米国の初等・中等教育が危機的な状況にあり、 学校以外でも一生懸命勉強するアジア系の独壇場になりつつあるのに 未だに危機感を抱けないアメリカ人の姿が浮き彫りになっていて興味深い。 こうした現象は、ニューヨークに限らない。 私の住むデトロイト圏北部においては、アジア人人口が6%程度である (ただし子供に限るともう少し比率が高いと思われる)にもかかわらず、 公立トップ校への進学者数の7〜8割が
先日、ちきりんさんが「下から7割の人のための理科&算数教育」というエントリーのなかで、「今、教えられている内容を前提とすれば、数学や理科に関しては、全体の3割程度の生徒が学べばよい」という意見をブログで述べた。長年ちきりんファンをやってきた数学科教員として、中学、高校の数学教育は何のためにあるのかについて、ここで私見をまとめておこうと思う。 1.どのレベルの数学が不要なのか? そもそも大多数の日本人は「理科や数学は勉強する必要なし!」と思ってるのだろうか?これは私の想像に過ぎないが、多くの人は、四則演算や、簡単な分数、小数、百分率、簡単な図形など、小学校の算数でやるような内容生活が役に立たないとは思っていないのではないかと思う。昔、所ジョージ氏が 元祖・所ジョージさんの 頭悪いんじゃないの? (ベストセラーシリーズ・ワニの本) の中で、「割り算なんて小学校で教えなくても大人になったらみんな
ここ5年ほど、日本でも海外留学への関心が高まっている。経済的に敷居の高い日本から米国への学部留学も増加する可能性がありそうだ。そこで、一大学教員として、米国の学部教育の現場で感じていることを書いておこうと思う。 アカデミックな意味で大学生活を成功させるためには、有名大学に入れるかどうかとか、入ってから一生懸命勉強するかとか、いろいろな要素がある。しかし、私は「入学までにきちんとした基礎知識をつけてくるかどうかが成否のほとんど全てを決めると言っても過言ではない」と考えている。それは入学時の基礎学力が、大学のリソースをどこまで活用できるかを決めてしまうからである。 米国の多くの大学では、日本の大学生と比べて入学者の学力のばらつきが非常に大きい。超名門校においても下位層の学力は日本の一流国立大の足許にも及ばないし、私のいるWS大に至っては「学部生の半分は100の平方根が50だと思っている」という
1,3,7……で復習する 一度に覚えるのと、分けて覚えるのでは、分けて覚えるほうが効果が高く、しかも長く続く。 これは、単純な暗唱ものから文章理解から技能習得に至るまで、あらゆるジャンルとコンテンツとシチュエーションで確認されている。 そして同じく学習を分散するにしても、その間隔を次第に広げる方が効果があることが知られている。 ・Glenberg AM & Lehmann TS. (1980). Spacing repetitions over 1 week. Memory & Cognition. 1980, Vol. 8 (6), 528-538. ・Glover JA & Corkill AJ.(1987). Influence of paraphrased repetitions on the spacing effect. Journal of Educational Psych
こんなエントリーを読んだ。 ・「福岡に美人が多い」というのは、東京人の錯覚(非モテ脱出研究会) タイトルが全てを語っているが、その理由として よく「福岡は可愛い子が多い」という人がいる。 特に東京から来た人にそういう人が多いが、福岡に住んでみると、別に福岡が特別可愛いというわけではない。 (略) 「福岡に可愛い子が多い」んじゃなくて、可愛い子が多い場所、可愛い子がいる時間帯に、福岡に来ているだけだ。 逆に、朝の通勤時間帯の明治通りとか歩いてみたらいい。 普通にブスもたくさんいることに気付くだろう。 東京の朝の有楽町を歩いている女子のブス:美人比率と同じくらいだと思う。 福岡の女の子だけが特別に美人なわけではない。 と書いている。これは半分当たっているけど、半分違う。 先週末、福岡に帰っていたけど、やはり美人は多い。確かにオヘチャさんやシコメさんも当然いる。ただ、東京都違ってやはり美人率が高
ジェラルド・カーティス: 安倍晋三さんは「再チャレンジをやるべきだ」と言いましたが、彼が言っているのは、「メーンストリームから離れた人がもう一度そこに戻って、オーソドックスな生活がきちんとできるように」ということだったと思うのです。フリーターはもっとまじめになりなさい、まじめになるならそのチャンスを与えましょう、と。アメリカの場合はそうではなくて、好きなことをするチャンスをいくらでも与える。こういうよさがあります。 日本では「今の若者はだめだ」とよく言われます。年をとった人たちが「若者はだめだ」と言うのは世界共通ですが、私はそうは思いません。「若い人たちがだめだ」と言うなら、若い人たちを育てた親、その大人たちはもっとだめだということでしょう。だから「若い人たちはだめだ」と日本人の友だちが言うと、「いや、我々自身がだめだ」と言わないとだめだと私は思うのです。 「若い人たちがだめ」というよりも
ジェラルド・カーティス: 私は日本語が好きで、大学3年分の日本語の勉強を1年間でやりました。そのときは、朝から晩まで日本語の勉強をしました。1日4時間、学校で日本語の勉強をして、家に帰ったら宿題でまた4、5時間。先ほど「もともとは音楽家になろうと思ったけれど、自分に十分な才能がないと思って諦めた」と言いましたが、日本語の勉強を始めたときに、私には音楽家になる才能が十分足りないというより、音楽家になるパッションが十分なかったということが分かりました。 なぜかというと、朝からずっと日本語を勉強しても、寝るまで漢字の練習をしても、疲れないんです。面白くてしょうがない。音楽よりも、日本語を覚えることにパッションがあったのです。 ピアノはずっと何となくはやってきたのですが、5、6年ぐらい前から、また本格的に始めました。今度はプロになるという緊張感はなくて、どこまでジャズミュージシャンとしてできるか、
ジェラルド・カーティス: 私が日本の専門家になった過程を考えると、日本でもこういうことは全くないわけではないのですが、非常にアメリカ的な話だと思います。学者、特に一流といわれる大学の先生というと、多分、多くの日本人から見れば、人間のタイプが大体決まっていると思うのです。まず、勉強が好き。子どものころから試験が上手で、受験のために一所懸命勉強をして東大とか京大とかいい大学に入って、先生に注目されて、学者になってと。何よりも勉強が好きで、頭がよくて、ガリ勉……多分、こういうイメージが強いと思うのです。 私は日本に学者の友だちがたくさんいますが、大体学者というのは、そういうものなのです。というのは、例えば日本の二流、三流といわれる大学を出て、それからどこかの大学院に入って、東大の先生になるということは非常に難しい。例外中の例外です。ただ、そうしたことはアメリカには結構あることで、私が日本の専門家
モイ!! 今日はですね、フィンランドのお友達の日記をそのまんま拝借して話を進めようと思います。(リブレちゃんごめんよ!!) いきなりですが、今日は皆さんも一緒にフィンランド語を学んでみましょう♪(いきなり過ぎだろ) 【フィンランド語講座 <初級編>】 フィンランド語は世界でも珍しく日本語に近い発音の言語です。 私の知ってる中で近いといえば他にインドネシア語とかが思いつくかな。 4年も住んでいても実際の生活の中では、家が旦那との日本語、会社はすべて英語なので、フィンランド語を使うといえばスーパーのお姉ちゃん相手ぐらいなので、一向に上達しない(特にしゃべるのが・・)のですが、発音が近いだけに面白い事がいっぱいあるので紹介しようかなぁと思います。 日本語とフィンランド語で発音がほぼ同じだけど、意味の違うものにこういうのがあります。 「ハナ」。フィンランド語では「蛇口」。 「シカ」。フィンランド語
ニャホ・ニャホ=タマクロー(Nyaho Nyaho-Tamakloe、1942年5月7日 - )は、ガーナの医師、政治家[1]。ガーナサッカー協会会長、在セルビアガーナ大使などを歴任した。 1942年5月7日、英領ゴールド・コーストのアクラにて生誕。 1960年代、チェコスロバキアのプラハ・カレル大学にて医学を学んだ。 1980年代、ガーナの名門サッカークラブ、アクラ・ハーツ・オブ・オークの代表を務め、その運営で手腕を発揮したが[2]、サッカーそのものの経験はほとんどない。 1992年、新愛国党に創設メンバーとして参加。 2004年、ガーナサッカー協会会長に就任。しかし、協会評議会に対し構造批判を伝えるための私信を出したことがきっかけで評議会と対立した。評議会がニャホ=タマクローを告発する議事を作成し始めたのに対し、ニャホ=タマクローは告発の差し止めを求めて裁判で争った。最終的にアクラの高
マウリ・ウコンマーンアホ (Mauri Ukonmaanaho) は、フィンランドのビジネスマン。ノキア日本法人のノキア・ジャパンの前代表取締役社長。 なお、姓のウコンマーンアホのウコンは「天空神ウッコの」[1]、マーンは「大地の」[2]、アホは「(牧)草地」[3][4] の意味である[5][6]。 フィンランド中部の都市、オウルのオウル大学 (Oulun yliopisto) 卒。 1997年ノキア入社。W-CDMAなど第3世代携帯電話の開発に携わった。 2002年10月から2007年12月までプロダクト・プログラム・マネージャー (PPM) を務め、Nokia 6600、Nokia N93、Nokia N82などの端末開発を指揮した。 2008年からノキア・ジャパンに移り、東京R&Dセンターのディレクターを務めた。 2008年12月31日付けで(実質2009年より)、タイラー・マクギー
2013年1月24日 12時14分 リンクをコピーする by ライブドアニュース編集部 ざっくり言うと 「フィンランド人はよっぽど他人が嫌いに違いない」という写真が話題になっている バス停で人々がバスを待っている写真だが、横の人との間が広すぎるという 「互いのプライバシーに敬意を払い合っているのだ」と指摘 フィンランドと言えば北欧の1国ですが、日本から遠く離れているだけに、その国民性まで知る人は限られているかと思います。 「フィンランド人はよっぽど他人が嫌いに違いない」と、フィンランド人気質を伝える写真が海外サイトに投稿され、話題を集めていました。 バス停の写真をご覧ください。 これはバス停で、人々がバスを待っている写真だそうですが……。 横の人とのスペースが広すぎ! しかもこの写真がたまたまそうだったわけではなく、フィンランドではよくある光景だと言うのです。 誰しもパーソナルスペース(他
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