東條英機は陸軍大臣の時は、支那からの撤退を主張する近衛文麿に反対し、陸軍の立場を代弁したが、首相になってからは、天皇の意を受けて、開戦には消極的であった。開戦もハルノートに煽られて渋々である。石原莞爾みたいなタイプではないから、確固とした持論があるわけではない。明治憲法下で首相にたいした権限はないので、何でも出来る独裁者というわけではないが、憲兵を積極的に活用していたのは確かである。中野正剛を自殺に追い込んだ件などが象徴的である。戦時下なのだから、首相が誰であれ言論弾圧はするだろうが、恨まれるのも当然である。陸軍大学校を60人中11位で卒業しているので、エリートではあるが、必ずしも抜きん出た存在ではなかった。小柄でも喧嘩は強く気性は激しかったが、風采が上がらないのも確かであった。カリスマ性はなく、あまり主役というタイプではない。出世欲はあったが、首相になりたいわけではなかった。昭和九年に皇