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ブックマーク / blog.livedoor.jp/april_29 (2)

  • ASTATINE:議論から見る批評空間。

    "And I look again towards the sky as the raindrops mix with the tears I cry." 現在の批評において、印象批評(感想批評)の対極である論理批評が主流なのは、言うなれば、論理批評が、論理さえきちんと追えれば誰でもが納得できるものであるからです。自然科学、人文科学といった絶対的レベルから、芸術、文学、文化学といった相対的レベルまで、これは変わりません。これは価値判断や評価基準を普遍的足ろうとする意図により生まれるもの。個から集団へと適用することが批評の意義と認識されているから、このような手段を取ります。 その論理性を相互理解さえできれば論理批評は読み手を選びません。このため、多くの文章は論理的に構築している訳です。ただ、その論理性がそれなりに自分の中で完成していないと説明も出来ませんから、WEBの開放によって誕生した個人

    mind
    mind 2006/03/20
    印象批評の最大の問題点は、自分の主観を客観と錯覚しがちなこと。何の説明もせずに、事実として断言してしまう表現を多用してしまう…これはゲーム評のみならず、書評でも映画評でも、評論界そのものにある問題…
  • ASTATINE:評する者たちの責任。

    掲示板を廃する個人サイトも増えてきた。Web上における掲示板は、一時期、情報交換の場として、多くのサイトで取り入れられたものであったが、BLOGの隆盛と、WEB拍手等の新しい双方向コミュニティの発生によって、その意義は絵板等の付加価値が無い限り、だんだん薄れてきたと言える。ただ、それでも掲示板(BBS)は、簡易的にコトバを残せるツールとして残存していくだろうし、一行板やBLOGで使われるプチBBSと言ったカタチで発展するだろう。問題は、そんな発展の余地がありながら、なぜ、廃する管理人の方々がいるのか?・・・と言うことである。 掲示板と言うと、多くの人は2CHを思い浮かべる。巨大掲示板2CHは、その巨大さに故に普遍的な存在になり得た存在である。それは「電車男」という一つの2CHネタが、書籍としてベストセラーになった事実からも類推できるが、その無秩序と言える巨大化は、普通のサイトとは違い、「

    mind
    mind 2006/03/20
    無秩序は自由を保証するが、“自由過ぎる会話は噛み合わない”。
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