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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/using_pleasure (8)

  • それでもあえて死を選ぶ、という選択はあり得るはずだ。 - 記識の外

    承前(http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20061115/p1) トラバをいただいたのでお返事。 遺書を書くのもすごく消耗するっていうし無理矢理気持ちを整理しようとすると考え方とか気持ちを単純化するしかないわけで。それは単純化されたものなのか短慮なのかあるとは思うが合理的なんてものはないと思う。 (中略) だけど「あ、死んでいいよ、死ぬ自由は誰にでもあるから。」 間違い。大間違い。子供に向かって言うのは完全に間違い。バカ。これがネタ振り前提であろうとも。 http://d.hatena.ne.jp/nvs/20061115 前回のエントリの「逆説的に」って箇所が読みとれてないと、こういう読み方になる。バカ。 あらかじめ立場を明らかにしておけば、私は子どもにおいても何らかの自律性はあるはずだ、と考えているので(一寸の虫にも五分の魂程度には――ということ

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    mind 2006/12/31
    <子供が何故自由な大人になれる ――/事実上逆らう自由は当然あるけど、法律上は親権者の監護;懲戒 権限の反射として子の自由は制限され。;自殺を強制阻止する権限も当然。未遂を繰返す子は「施設送り」にできる。
  • 逃げろや逃げろ - 記識の外

    承前(http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20061110/p1) 子どものいじめや自殺について取材をつづけている渋井哲也さんもロブ大月さんも、いじめられる側の子どもに対して「死なないで」なんて言いません。ふたりとも「逃げろ!」といっています。いまいる場所から、学校から、人間関係から、ただちに逃げよう。とりあえず逃げてから、あとのことを考えればいいじゃん。 http://d.hatena.ne.jp/lelele/20061113/1163395260 たとえばフリースペースとかフリースクールとか、そういうものの存在を熟知していて「逃げ場所」として機能してるのならともかく、そうではない状況で、学校でも家庭でも塾でも……ない「逃げ場所」を探そうとしたら、それは「あの世」しかないんじゃなかろうか。 「あの世」にしか逃げ道を見出せない状況で自殺するというのは

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    mind 2006/12/31
    「何があっても、自ら命を絶つことは、絶対あってはならない」 ――(自殺禁止) たしかに、かように自殺を 悪 と公定/公認すると、未遂者って「犯罪者」の再起には、おつとめ/みそぎ/迷惑謝罪責任 が要求されてしまう。
  • いじめを防止すべきなのか、いじめによる「自殺」を防止すべきなのか。 - 記識の外

    いじめ>先生1000人集め緊急研修会 東京・品川区教委 東京都品川区教委は10日、区立小中学校の全教員約1000人を緊急招集し、いじめへの対応を考える臨時研修会を開いた。自治体内の全教員を一堂に集める研修は極めて異例だ。研修会は小中一貫校の区立「日野学園」の体育館で行われた。若月秀夫教育長が檀上で、自殺防止の方法などについて指導した。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061110-00000159-mai-soci 学校周辺の警戒強化へ=自殺予告の11日−警視庁 「いじめが原因で学校で自殺する」と予告した手紙が文部科学省に届いた問題で、投函(とうかん)場所とみられる東京都豊島区にある警視庁の池袋、巣鴨、目白の3署は10日、自殺予告日の11日に区内の学校周辺をパトロールするなど、警戒を強化することを決めた。 各署の地域課員が小中高校周辺を車両で回るほ

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    mind 2006/12/31
    ――可視化されると現状の管理態勢/教室内秩序を否定され一時的な混乱、を嫌うってのはありそう。 ie.ささやかな「抵抗」効果はある、けどそれだけ。志型自殺には生きつつ抵抗を勧める。立法府を逆に走らせてるし;
  • 「現実に近い」テレコミュニケーションなんてしたくないよ。 - 記識の外

    対談の中で、鈴木謙介氏が、電子コミュニケーションが現実に近いようなビデオチャットのようなことが技術的にはできるようになったのにテキストでコミュニケーションをしたがることを指摘、言葉を深読みすることによって、気を遣ったりしなければならず、コミュニケーションから抜けられないという。それに対して斉藤環氏が、 それは2ちゃんもそうだし、ブログもそういうところがある。携帯のメールなんてまさにそうです。結局つながりたい欲求が最初にあって、ぼくの言葉でいえば、毛づくろい的コミュニケーションですね。ぼくの考える「コミュニケーションの達人」とは、内容のない話をいつまでも続けられる人です。話題がなくてもだらだらしゃべってるのはかなりコミュニケーション当事者にとっては心地よい。実際、若い患者のメールを見せてもらうと、当に一行か二行しか書いてない。大事なことは来た瞬間に返しているかどうかとか、形式的な部分です。

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    mind 2006/12/04
    毛繕いコミュ ―― 口頭主義 vs 書面主義。…まぁ、用途/目的によるのw //double contingency状況では、当事者それぞれが相手の出方を伺い続けることになり、communicationを開始できない。 ――「の」の字すくみあいdeadlock///
  • ジャマイカ:「ゲイの生徒を殺せ」と暴動が発生 - 記識の外

    (キングストン)ジャマイカのある大学の生徒たちが暴動を起こし、警察官がゲイの生徒をキャンパスから護衛する事態が発生した。 デイリー・グリーナー紙の報道によると、ゲイの生徒がある学生をトイレに誘ったことが原因で、キャンパス内で数人の学生に追い回された。 その後何十人もの学生が加わり暴徒化し、ゲイの生徒は大学内の建物で保護された。 暴動の見物人たちは学内の警備隊に学生たちを鎮めるよう訴えたが、ゲイの学生が殺害される可能性があると恐れた大学当局は警察に通報。 同紙によれば、その後ゲイの男子生徒を保護するために武装した警官が暴徒と衝突。学生らは警官に向かって危険物を投げつけたり、ゲイの生徒は別の学生に刺されたりした。傷は軽症。ある警官の一人が発砲した際、群集は散らばり始めた。 ジャマイカにおいて同性愛者の性行為は違法に当たり、逮捕された場合、10年間の刑務所収監と重労働が科せられる。 ジャマイカ:

    ジャマイカ:「ゲイの生徒を殺せ」と暴動が発生 - 記識の外
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    mind 2006/11/13
    ――cf. タブーとバチな私刑型と、罪と罰な法治主義型と。 ――実は、私刑型の方が押潰され重ね合わさっててフラット。法治主義型は、無理矢理ルールと事実という2層構造に分別してぐるぐるを造り出してある。
  • デモを構築しているのは、いったい誰なのか。 - 記識の外

    猿虎さんのここ数日のエントリを読んでの感想。 猿虎日記 - 勉強とヒマとデモ 猿虎日記 - デモの行き方1 猿虎日記 - デモなんか行かない方がいい。むしろジョギングを。 たとえば、デモに参加しようとして集合場所に行ったとする。 大抵の場合は主催者側による集会かなんかが行われていて、旗やノボリが立ち並び、仰々しい字や奇妙なほどに媚びた字で書かれた「可愛い」横断幕が貼られていたりする。集会の中心にはスピーチする人と主なデモの参加者たる聴衆がいて、遠巻きに十数人の規模の公安警察が集会を眺めている。――これが典型的な「デモ前の集会」の情景だろう。 で、デモが始まってみると、どこから沸いたのか知らないが、いつの間にかデモの隊列の外側を、まるで薄いラバーのようにピッタリと警官が寄り添い、見張られてるのか護送されてるのかよく分からない様相を見せて、一つの粘菌の群体のようにうねうねと通りを移動していくこ

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    mind 2006/05/03
    「デモ」として演出…もう半面は警官隊。数が増せば増すほど、「この人たちは危ない人たちですよ」とメッセージを伝える記号として機能。自然権/人権を行使してるだけなのに公権力が… ――そのために許可制かぁw
  • ネット時代の左翼クロニクル。 - 記識の外

    http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/kanose/20060330/tonioのコメントから。 2006年03月31日 brainparasite はてな, blog レフトの人に閉鎖→移転を繰り返す人が多いのはなんでだろう。それが保守に対する革新の証なのだろうか(考えすぎ)。 かつては、僕も含めて「左翼」と言われるような人々にとって、webとは基的に運動や活動なんかの「手段」だった。 僕が学部時代師事していた上野俊哉なんかがよく用いた言葉として「メディア・アクティヴィズム」というのがあったのだけれど、これは海賊ラジオやビラ、ポスター、小規模出版といったメディアの使用を第一に考えて運動を展開するアクティヴィズムなのだと言える。地域によってはラジオでのアクティヴィズムが有効であるところもあれば、ビラ配りやポスターを張ったりした

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    mind 2006/04/03
    左翼のコミュニケーションは主に「共感」「糾弾」「シュプレヒコール*1」の三つに集約されるが、webのようなインタラクティブな空間で…。街頭プロパガンダの虚しさが、ネット上でも反復される。
  • (゚ー゚*) - 記識の外

    とりあえず、大学合格おめでとう。>rir6君 で、君の書いたコメントに対するリプライなのだが。 が、もしこれが次の様な場合でしたらどうでしょう? 「自分が普通のエントリを書いていたら、その文章に勝手に腹を立てた他者から一方的に罵倒され、その罵倒が見るに耐えないものであったので仕方なくブログを消去した」 ことに対し 「その罵倒を行ったネガティブな感情の持ち主に対する応答責任」 は存在するでしょうか?当然そんなものは存在しません。 いいですか? ブログに限らず、文章というものには基的に誤読可能性や誤配可能性というものが存在します。なので、読者の中には筆者の予想もしなかった「読み」をする人もいる。そこで、文章の筆者というのはその誤読可能性や誤配可能性ということを考慮しながら、なるだけ誤読が少なくなるような文章というものを書くわけですな。その際、文章を書く側は読む側のことを意識して文章を書くこと

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    mind 2006/03/27
    コミュニケーションに対しては私を含めて「皆」が「皆」に対して責任を負うのであり、「私」だけをコミュニケーションにおける無垢なる被害者として特権的な立場に置くことはできない。
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