朝起きて「あぁ、今日も生きていて良かった」なんて、考えてみれば思ったことがない。「あぁ、今日も目が覚めちまった。まだ生きてやがる」とは、思ったことがある、結構本気で。 「自殺したい」といちばん真剣に考えていたのは、小学生時代だった。多分、3年生か4年生くらい。あんまり思い出したくもないのだけれど、いじめとかいろいろあって、なんだかんだで「死ぬ」という選択肢が魅力的に思えたんだろう。でも、今となってはよく分からない。 でも、結局、死ななかった。 2段ベッドの柵にタオルをくくりつけたら死ねるな、その感じはどんなふうなんだろう、と自分の首にタオルを引っ掛けてみたりもしたが、死ななかった。 怖かったのだろうか? 怖かったのかもしれない。 タイミングが悪かっただけかもしれない。 いじめに立ち向かうのは難しい。僕は立ち向かえていなかったと思う。どうすればよかったのだろう? 今でもよく分からない。 「逃
いじめ自殺事件、というよりも政府のいじめ対策についてのニュースを見ていると、何とも嫌〜な気持ちになる。 事件の後で「いじめは無かった」と主張する先生はスゴイなと思ったけど、今言われている対策のやり方だと、ますますみんな「ないこと」にしなければならなくなり、いじめは陰湿に地下にもぐってしまうだけだと思うんだが。 むしろ、「いじめはどこにでもある」「いじめのない社会はない」という認識を当たり前に口にできる空気になることが解決の第一歩だと思うんだけど、本当は当事者以外誰もいじめ自体を解決したいなんて思っていないんだから仕方がない。 生徒と同僚の先生と父兄がそれぞれ先生を評価する、なんてことに本当になったら、すべてが「多数決」になってしまって、ますます「人間関係」が全てに優先してはびこるようになるので、マイナーな先生が今よりさらに学校に居づらくなってしまう。 だいたい評価の時にうまく人望を集める側
中学一年の二学期。 基本的に他人を信用しなくなったのはこのときからだ。 感情とは他人に見せるものではないと学習したのもこのときだ。 自分の喜怒哀楽の全ての操作を他人の手中に奪い去られるなど、 自分の喜怒哀楽の全てが他人の意のままに「笑い」にされ「怒り」にされ「慰みものにされる」など、 まともな神経を持つ人間であれば、それはおよそ耐えられるものではない。 自衛するためには、自分自身を守るためには、相手が誰であろうと決して感情を顔に表して見せないこと。 感情というものを全て否定し自分の中から消し去ること。 それが最善にして唯一の防衛策だった。 他人は信用できない。 絶対に信用してはならない。 信用した瞬間に自我が他人の手中に奪われ、時と場所を選ばず永遠に嬲り者にされる。 それが真実だった。 ぱっと見サワヤカな人間こそが最も疑わしいという原則を見出したのもこのときだ。 それはクラスの中心ではなく
今の中学校がどうなっているのか知らないけど、僕の時代は定期試験などの結果を張り出すということがなかった。もしかしたら他の学校(あるいは他の町村)ではやっていたのかもしれないけれど。 これは成績を張り出すことで、勉強の出来ない子供に劣等感を与えないための配慮だという話を聞いた事がある。 しかしこの配慮には当時も今も納得できない物がある。 勉強の出来ないものが劣等感を味わう機会がないと、その子は成績を上げようとする努力の機会を失うのではないか。教科別に成績が発表されれば、苦手科目をがんばろうとか、得意分野を更にのばそうという意欲が生まれないのではないか。 成績順を発表しない理由が「劣等感を与えないため」というのが事実なのだとしたら、勉強は出来るけど運動能力に劣る子供は劣等感を覚える事は多いのに、優越感を得る機会を失われているのがどうにも納得できない。 短距離走・長距離走の時間計測ならまだいい。
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
●喧嘩を奨励する 喧嘩を良くないとしてそのフラストレーションを溜め込む事がそのうっぷんを晴らす為にイジメに走るという事は考えられます。そうさせない為には公式に喧嘩をみんなの前で正々堂々と行わせる事が重要です。学校は秩序を重んじるから自然に発生した喧嘩をそのままにしておく事はできないしそのままでは授業にも影響するでしょう。また先生が知らない所で喧嘩が行われる事も生徒を把握する上で障害となります。なので時間割に喧嘩の時間を設け、そこで一斉に処理します。例えば喧嘩が始まったら先生は一時的にそれを止めて喧嘩の時間に行うようあらためて指示します。そういうのを貯めていき喧嘩の時間に一組ずつ対戦させます。どちらが勝つかみんな興味津々でしょう。賭けを始める輩もいるかもしれません。それは大目にみましょう。ここで何よりも大切なのは喧嘩を学校が管理するという事です。そうすれば生徒もフラストレーションがたまらず先
(キングストン)ジャマイカのある大学の生徒たちが暴動を起こし、警察官がゲイの生徒をキャンパスから護衛する事態が発生した。 デイリー・グリーナー紙の報道によると、ゲイの生徒がある学生をトイレに誘ったことが原因で、キャンパス内で数人の学生に追い回された。 その後何十人もの学生が加わり暴徒化し、ゲイの生徒は大学内の建物で保護された。 暴動の見物人たちは学内の警備隊に学生たちを鎮めるよう訴えたが、ゲイの学生が殺害される可能性があると恐れた大学当局は警察に通報。 同紙によれば、その後ゲイの男子生徒を保護するために武装した警官が暴徒と衝突。学生らは警官に向かって危険物を投げつけたり、ゲイの生徒は別の学生に刺されたりした。傷は軽症。ある警官の一人が発砲した際、群集は散らばり始めた。 ジャマイカにおいて同性愛者の性行為は違法に当たり、逮捕された場合、10年間の刑務所収監と重労働が科せられる。 ジャマイカ:
【いじめに対しての感性のようなもの - S嬢 はてな】 彼はそのコーナーのちょっと前に、「抱かれたくない男ナンバー1に数年連続で選ばれた」ということでさんざんいじられ、バラエティ番組であるにも関わらず、そんなネタにされてさんざんいじられて、自分の妻の立場はどうなる、自分の子どもの立場はどうなる、と、ぶつぶつぶつぶつと怒っていた。自虐的な笑いに転化できない、ってことでプロじゃない、って言う人はいるかもしれない。でも、彼の怒りに対して(そうだよな)とわたしは思った。 【はてなブックマーク - いじめに対しての感性のようなもの - satomies’s diary】 # 2006年11月03日 kanimaster kanimaster TV, 社会 フォローのない差別ネタは笑えない。 【Voice of Stone #1450 「お笑い」「ドッキリ」の 公開イジメ】 「他人の不幸は蜜の味」はお
前田 義信(2006.1) いじめ(bullying)現象は世界各国において観察される人間関係のあり方のひとつ[1]であり, 学校の子供集団に限らず,職場や地域コミュニティ等の大人たちの集団においてさえ観察される. 誰しも,いじめる,いじめられるといった経験を大同小異ながら持っている. どちらの立場に立っても,最終的には不愉快な思いしか残さないいじめ[2]は,人類社会から撲滅すべきものであろう. いじめる側が悪いのか,あるいはいじめられる側に原因があるのか,といった観点から,医学的[3]にも教育学的[4]にも 社会心理学的[5-7]にも,はたまた人類学的観点[8-10]からも侃々諤々の議論がなされてきたが, 未だ解決の糸口を見出せていないのが現状と思われる. 本研究では,同輩集団におけるいじめ(peer-peer bullying)に注目する. 先輩-後輩関係ではなく同輩関係であるにも関わ
中2男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した福岡県筑前町立三輪中で、この男子生徒をいじめていたとされるグループが事件後も別の生徒にいじめを繰り返していたことが分かった。学校側は遺族側に「再発防止を目指す」と繰り返しているが、いじめ対策が進まない現状が浮き彫りになった。 この事件で注目すべきことは、このいじめグループの担任の情報がマスコミに一切出てこないことである。 ある教師が自殺した中2男子生徒をからかい、いじめのきっかけを作ったとして非難されているが、この教師は中1の時の担任である。もちろん、これが事実ならとんでもない教師であり、報道がこの元担任を中心に行なわれるのは当然かもしれない。 しかし、これは、中2に進級して半年以上たってから起きた事件であり、その半年の間、中2になってから問題のクラスを見ていた現担任は何をしていたのか。いじめについて把握していたのか、またそれに対して何か対応をして
教育が行政を支配するとどうなるのか。つまり、教育基本法が与党案の線で改正されるとどうなるのか。私たちはそのサンプルを既に知っている。教育行政がどれほど無知で無責任で狡猾で嘘つきであるのか。この10月に出たばかりの本だが*1、国旗・国歌法制定以来の経緯が、丁寧な実例とともに整理・紹介されている。 子どもが見ている背中―良心と抵抗の教育 作者: 野田正彰出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2006/10/13メディア: 単行本 クリック: 1回この商品を含むブログ (6件) を見る 目次は次のとおり。右側に簡単な内容を紹介。 Ⅰ 「心の教育」が学校を押しつぶす 「心のノート」など心理主義的ナショナリズム導入の契機となった1998年中教審答申の批判。 Ⅱ 「民間人校長」は、なぜ自殺したのか 「民間人校長」をトップダウンの教育行政貫徹の道具として扱う教育行政の実態。 Ⅲ 「君が代」強制によって、
さて、いじめ。 もう一億全員がいじめ評論家となったのか、「私のいじめ論」というのをあちこちで見かける。食傷ぎみでさえある。そして中には素晴らしいものもあって、もうあれこれ語るのもいいかなと思ったのだが、けじめをつける意味で一応。 いじめをなくす方法は実は2つもある。一つは脳をロボトミー手術して凶暴因子を取り除くこと。もう一つは全部個人授業にして、コミュニケーションを取らせないようにすること。友人もできないが、まあいじめはこれでなくなるだろう。駅前留学や大型予備校みたいに授業も通信教育みたいにすれば、教師とのいざこざもなくなる。 これは当然ジョークだとしても、ジョークと言い切れないところもある。これは裏を返せば人間同士がコミュニケーションを取り続ける限り、どうしたっていじめは生まれてしまうというところ。だからブログの中には「いじめをした人間には罰を」と罰則規定を設けようという意見があったが、
110 Bishopsgate, London, UK © 2010–2022 DotsPress.com. All Rights Reserved
最近、学校でのいじめは「優等生が『問題児』をいじめる」構図が増えているらしい。 Munchener Brucke:いじめの質的変化 いじめというのは太古の昔から存在する。動物にだっていじめが存在するのだから、人間がまだホモ・サピエンスに進化する前からいじめは存在したのであろう。多くの人が理想化してやまない「昔の日本」にもいじめは存在していたのに、なぜ最近になって大きく騒がれるようになったのか。 確かに教師がいじめに加担するという話は最近になってよく聞くし、鹿川君事件以前はあまり聞いたことがない。これについてはいじめの質的変化が指摘される。昔はいじめる側がいわゆるクラスの「ワル」で、むしろバランスの悪い優等生的な生徒*1がいじめられる傾向があった。 最近はどちらかと言うと優等生的な生徒がクラスの問題児をいじめるという形のいじめが増えているという。先生にとっても問題児に苦虫を噛み潰す思いを日々
48 :名無しさん@七周年:2006/10/31(火) 05:24:34 ID:AhAItZKxO 俺も小4の時イジメられてた。 23になった今、イジメ問題がテレビで取り上げられるようになって 母に「俺も実はイジメられてたんだよね」と言ったら 母は「知ってる。担任の先生が土下座しに来たんだよ」と言った。 なるほど、ある日突然イジメが止んだ意味がやっとわかった。 イジメが止んだどころか3日後にはクラスの中心グループに入ってたからね。 俺のいない所でクラス全員に説教して反省文書かせていたらしい。 その反省文はうちのタンスに入っているみたいだが、俺はまだ読んでいない。 あの時の担任には本当に感謝している。 関連商品:
# 「学校」は、多数の人間に効率よく知識を与えるためのシステムであると同時に、数十人程度の単位で作られた「ムラ社会」の小型シミュレータでもある。これはいわゆる「学校は勉強を教えるためだけの場ではない」と言われる際の、「勉強以外の部分」にあたる。 シミュレータである「学校」で起きているいじめは、当然モデルである実際の社会でも起きている。しかもそれらはもっと複雑かつ狡猾で、そして全く解決できていない。だからシステムの動作という観点から言えば、シミュレータ内でいじめが起きるというのは、シミュレーションとしては妥当であり、さらにそれを解決できない事も、シミュレーションの結果としては正しい。このシミュレーションは、人がある程度の数集まれば、自動的に階層ができ、下向きの暴力が連鎖/濃縮されて行って、一番下の奴が一番酷い目に遭うという総括で、概ね結論が出ている。 人間が生物として進化するか、もしくは人間
過去数か月の間に、少なくとも1回以上のいじめを受けたと報告した、13–15歳の割合(2015年)[1] いじめ(イジメ、虐め、苛め、英: bullying)は、相手に何らかの精神的・身体的な苦痛やストレス、心身疲労を与えるハラスメント行為[2][3]あるいは[4]犯罪行為[5][6][7]である。2022年度(令和4年度)のいじめの認知件数 (日本国内) は、68万1,948件で過去最多となった[8][9] 3人の生徒にいじめられている学生に対して、背景に見える周囲の人達は無関心である様子 いじめは、自尊心を損なわせ弱体化させることを目的とした、執念深い、冷酷な、あるいは悪意のある企てによる、長期に亘って繰り返される不快な行為である[10]。2006年度の文部科学省の定義においては、一定の人間関係のある人物から、心理的もしくは物理的な攻撃を受けたことにより、精神的苦痛を感じているものとされ
宇宙の終焉 - Wikipedia ? ?(;´Д`)? ? 美砂 25歳 O型 胸はFカップで、友達からは良くカエルっぽい感じって言われます。 彼氏に内緒でエッチしてくれる人さがしてます。 ソフトSMな感じで、バックから挿入してのプレイや、 下着をつけないでミニスカでデートしたり、 そんな感じでいじめてほしいんですが、いいでしょうか? カエルはいやだなぁ(;´Д`) フランス行きの航空チケットが当たったので行ったんだが、ホテルも何も決まってない。 どうしようかと案じていると雨が降ってきた。 雨宿りしてると近くに日本語を話す母娘(50代と20代くらい)がいた。 んで話していると「私たちの泊まっているホテルがいいわよ」みたいなことを言われたのでついていったんだが 行ってみて宿泊料金を尋ねたら4万円だという。 それは高いね、ってことで母娘に別れを告げて外に出たんだが、そうしたら急に腹が減った。
中国で文化大革命が起きた時、僕はちょうど少年時代でした。僕はこの動乱の中に巻き込まれました。先祖が商売をしていた理由で、資本主義に染まった家族の一員であるとして、僕は周囲の友達から差別を受けました。これは、国の奨励の下で行われた、いじめでした。先生も正々堂々と、このいじめに加担しました。 でも僕は、この時に「死にたい」と思ったことは一度もありません。 僕にとって、家と家族は逃げ場だったのです。玄関を閉めると、そこは別の世界がありました。家族はけして「頑張りなさい」とは言いませんでした。「皆が狂っている。こんな世の中は長く続くわけがない」と毎日のように父や母は僕に声をかけてくれました。 これは励ましになるのかもしれませんが、けして「今のこの状況に同化しなさい」と諭したのではなく、「周囲が狂っている。あなたは間違っていない」ということを言い聞かせてくれたのです。 文化大革命での犠牲者は数百万か
「いじめ」の耐えられない軽さ:問題編「罰とバチの違い」 「罰」と「バチ」は違う。 この違いは、「いじめ問題が対処困難であること」と本質的な関係があるのかもしれない。 ・・・とか考えたという雑感エントリー。 「倫理の世界:罪と罰」 「近代西洋の理屈では、「罪」と「罰」が反対語(アンチノミー)として対応している。」 太宰治が「人間失格」でドストエフスキーの「罪と罰」について、そんなお話を指摘している。 「まさか。……罪のアントは、善さ。善良なる市民。つまり、おれみたいなものさ」 「冗談は、よそうよ。しかし、善は悪のアントだ。罪のアントではない」 「悪と罪とは違うのかい?」 「違う、と思う。善悪の概念は人間が作ったものだ。人間が勝手に作った道徳の言葉だ」 罪と罰。ドストイエフスキイ。ちらとそれが、頭脳の片隅をかすめて通り、はっと思いました。もしも、あのドスト氏が、罪と罰をシノニム
「はないちもんめ」 わらべうた 戻 る ふるさとまとめて はないちもんめ ふるさとまとめて はないちもんめ ○○ちゃん取りたい はないちもんめ □□ちゃん取りたい はないちもんめ 勝ってうれしい はないちもんめ 負けてくやしい はないちもんめ 私達が遊んできたのは、キチンと覚えてないですが、じゃんけんをして、 ♪「勝ーって嬉しい花いちもんめ」 ♪「負けーて悔しい花いちもんめ」 ♪「どの子がほしい?」 ♪「相談しーましょっ」 ♪「そうしましょっ」 ・・・・・・相談がはいって・・・・・・ 『きーまったっ』 ♪「○○ちゃんがほーしいっ」 ♪「××ちゃんがほーしいっ」 ・・・・・・○ちゃんと×ちゃんが出てきて・・・・・・ 『ジャーンケーン ポン』 ・・・・・・勝ったほうの子が負けた子をつれて自分達のチームにいれます・・・・ とまあ、このような遊びでした。
【福岡・中2自殺】 「あいつ死んで、せいせいした」 いじめ同級生、自殺生徒の葬儀で笑いながら何度も棺をのぞきこむ 1 名前:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ 投稿日:2006/10/22(日) 12:46:27 ID:???0 福岡中2自殺 いじめ集団1年前からしつこく 死後「せいせいした」 福岡県筑前町の中学二年男子生徒(13)による自殺事件で、同級生の一部のグループが、一年前からたびたび、「死ね」「うそつき」などと生徒をののしっていたほか、自殺後も学校で「せいせいした」などと口にしていたことが二十一日、複数の関係者の証言で分かった。 生徒を自殺に追い込んだいじめ行為の根深さを物語る証言で、福岡県警もこの情報を把握しており、近く同級生らから事情を聴くことにしている。 証言によると、いじめは主に特定のグループによって繰り返されていた。その中の一人は一年前から被害生徒を
あの人キライ。あの人がいると心がざわざわする。あの人の言うことや、あの人の笑い方や、あの人のすることが全部イヤに見える。あの人がそばにいなければいいのに。 隣の人があの人と話す。あの人のことイヤじゃないのかしら。なんで話なんてするんだろう。隣の人があの人と話していると、わたしはただイライラして、ここにいるのがイヤ〜な気持ちになる。 でもわたしはここにいたいんだもの、あの人がここにいなきゃいいんだわ。そうだ、隣の人もきっとあの人のことが嫌いなはず。我慢してるんだわ。我慢するのやめようよって言ったら、きっと相手にしなくなるわ。あの人なんて誰も相手にしなければいいんだわ。 ってことなんじゃないの、いわゆるいじめの発端って、と思うのだけど違うのかな。 まあ、人間、誰もかれも好きなわけでもなく、嫌いな人だっているのが自然なわけで。そこで他の人間の腕を引っ張るかどうかってこと、関係するようにも思う。腕
#1450 「お笑い」「ドッキリ」の 公開イジメ /Voice of Stone もう20年くらい前になると思う。昼12時からの、今も続くバラエティ番組で。 レギュラーメンバーが集まった中で、何が気に入らなかったのか、司会者が延々と陰湿にケント・デリカットを言葉の暴力でいじめ続けた。笑うというより唖然とするほど不愉快だった。 しつこく続く攻撃に、ケント・デリカットはあたふたというか、おろおろというか、見ていてとても気の毒だった。彼の遠視のメガネにもその矛先は及び、そのメガネで笑いを取ろうとするのは見苦しいだのなんだのとねちねちと(と感じた)攻撃。 誰もその流れを止める人はいず、おどおどとしたケント・デリカットの姿がわたしにはとてもきつく、この番組はもう見ない、と思った。それ以外、自分の意志表示なんてことはできないのだな、と思った。誰に対しての意志表示でもなく、自分自身を裏切らない、という意
hidew 2006.11.02 #1450 「お笑い」「ドッキリ」の 公開イジメ 最近のイジメ問題に関連して、テレビ番組でイジメが横行していることを考えてみた。テレビ的にはイジメではなくイジリ と言うそうだが、実態はイジメと同じである。 例えば、芸能人を騙して驚かせるという「ドッキリ」企画の中に「落とし穴に落としてお終い」というレベルのものがある。大事なものを壊したり、パニックに陥るような(肉体的な危険がある)状況を作っておいて、本人が慌てふためく様子を周囲が嘲笑する。ああいうのは「お笑い」でも「ドッキリ」でもなんでもなくて、単なる「イジメ」である。 「他人の不幸は蜜の味」はお笑いの重要な要素のひとつであるが、いくつか基本的なルールがある。 他人ではなく、自分をネタにする。(自虐ネタ) 弱者ではなく、強者をネタにする。(政治風刺など) 自分が同じ事をやられた時に笑って許せる。 1対多とい
コミュニティ=村社会。 村社会の構成員の特徴 3.自らの判断を偽り、自己主張を慎むように装う。自ら考えず、目立たず、物言わずを信条とする。 5.自分たちとは異なる様々な観点を認めずに否定的に関わる。すなわち、異質をつねに排除しようとする。 8.議論を嫌い陰口を好む。 9.強迫的横並び志向を有する。 村社会の構造的特徴 1.数の暴力によるボス支配と親分子分のヒエラルヒーが存在する。 2.出る杭は打たれ、常に足を引っ張り合い、互いに相手を自分のレベルにまで下げようとする。 3.排他主義に基づく「井の中の蛙」的仲間意識が存在し、自分の理解できない『他者』の存在を許さない。 4.「優れたもの」「才能がある者」に対する妬み・嫉み・ひがみなどの劣情を組織し排撃する。逆に、「劣ったもの」と規定したものに対しては、陰湿且つ徹底的に圧迫を加える。 村社会とは何か これを踏まえて、いじめられない方法をあげてい
相次いで発生している小中学生の自殺。その理由の大半は“いじめ”によるものだという。暴行や虐待など表だって肉体的苦痛を強いるものの場合は、その原因が火を見るよりも明らかなのだが、厄介なのは心に無数の傷を負わせる“精神的暴力”のケースだ。 何と言っても、相手を傷つけている言葉を口にしている本人がそれを“いじめ”とは思っていないのだから始末が悪い。ちょっとしたひと言が招く“心へのいじめ”。では、具体的にどんな言葉に人々は傷つくのだろうか。10代から40代までの男女に「子どもの頃に他人から言われて傷ついた一言」というテーマで調査を行った。 最も多かったのは容姿に対する“からかい”。「あごがしゃくれてる」(愛知県 20代女性)、「オデコが広い」(秋田県 20代女性)、「きつね目」(宮城県 30代女性)、「たらこくちびる」(長崎県 30代女性/他)、「ほくろが多い」(茨城県 大学生男性/他)、「歯がで
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
このところ「いじめ事件」「高校単位未履修問題」などが急激にクローズアップされている。いずれも、文部科学省→各都道府県教育委員会→各市町村教育委員会というピラミッド構造が生んだ「組織的事実隠蔽」の構図に違いないが、既存の学校・教育委員会・文科省に任せておいては駄目だという論調をつくるための意図が一部働いているようにも感じられる。マスイメージ操作は「お得意」のプロも官邸周辺にいらしゃるので、私が政権の立場であれば「学校・教育委員会」の立往生状態を存分に生かして、だから「教育基本法」を土台にして「教育再生会議」で議論してもらおうとすりかえる世論誘導に総力をあげるだろう。一方で、子どもの生命や進路を奪うような教育クライシスは、文科省統制教育の作り出したもので教育基本法はその権能を無批判の絶対権力とするものだと私は批判していく。また教育再生会議に至っては、どちらに向いて何をしようとしているのかさっぱ
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
最近の「いじめ問題」の報道についての雑記:ekken いじめの質的変化 - Munchener Brucke 「いじめ問題」の一番大きな特徴は、自殺など被害者が具体的行動に出るまで(あるいは出ても尚)、「いじめが存在しない」ことになっている点にあると思う。 これは大きな事実誤認だろう。この世の中に、「いじめが存在しない」集団など一体何処に存在するというのだろうか。自分の身の周りを見渡してみればいい。そこかしこに「いじめ」、あるいはそれを想起される事象が転がっているはずである。 そう。「いじめが無い学校」こそこの世に存在しないのだ。 学校がスムーズに「いじめ」の存在を認める為には、まず「いじめ」というものが特殊な事態なのではなく、どういった集団、どういった人物においても当然の如く起こる問題だという認識の更新をしなけらばならない。その上で、学校側に求める職務を、「いじめを起こさないこと」から、
2006年10月27日02:30 カテゴリTaxpayer 大学行きたかったら高校行かなきゃいいのに 世界史の単位履修は高校卒業に必須だと文部科学省は言っているようだけど、しかし高校卒業は大学入学に必要だとは文部省は全く言っていない。 livedoor ニュース - [履修不足]10県65校、生徒数は1万2000人に 富山県立高岡南高校で発覚した履修単位不足問題で、新たに青森、岩手、山形、福島、石川、福井、愛媛、広島、栃木の各県の公私立高校でも必修科目を履修せず同様の単位不足になっていることが分かった。単位不足はこれで10県65校、生徒数は約1万2000人に上った。中には、履修を装った報告書を教育委員会に提出する「架空履修」もあった。各県教委や学校は単位不足の3年生が卒業できなくなるおそれもあるとして、3年生への補習授業を検討するなど対応に追われ、文部科学省も全国調査を行う。それどころか、
タイトルでちょっと煽ってみました。一度、やってみたかったの。 これらの記事見てちょっと思ったこと 「いじめ問題」を解決させたければ、学校の「調整能力」と生徒の「自治能力」を評価に組み込むしかない。 - 想像力はベッドルームと路上から 404 Blog Not Found:大学行きたかったら高校行かなきゃいいのに 基本的に日本って、「部分最適なところからのアプローチ」が考え方の根本に有りますよね。なにしろ日本一の企業がトヨタですから。だから、いじめ問題が起きたときに個人のこころの問題みたいな所にすぐ行ったり、あるいは「連帯責任」みたいなものを導入しても、「全体最適からのアプローチ」を教えてくれるわけじゃ無いので、なんだかとっても理不尽な物になるわけです。 さらに、部分最適が働くためには、各々が各々に対して問題意識を持たなくてはいけないわけですが(それこそ現場のカイゼンです)、いじめという問題
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
1/3は0.333… 2/3は0.666… では3/3は0.999…でなくてなんで1になるんでしょうか。子供の頃からずっと疑問に思っていました。 僕は典型的な文系人間なので、そんな僕にも理解できるように、なるべくわかりやすくお願いします。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く