将来がまったく見えなかった20代の日々 ── 日本で職を転々としていた頃、将来についてはどう考えていましたか? 河野:将来のことは何も見えていない状態でした。地元大阪の大学に入学し自分で学費を払っていたのですが、学ぶことがつまらなくて、2週間で退学を決めました。その後、3年間白馬のスキー場で冬場だけ住み込みをし、スノーボードに打ち込んでいた時期もあります。 ── テクノロジーの世界にはどのように入ったのですか? 河野:もともと小学生の頃から遊びでプログラミングをしていて、漠然とですが、大学を辞めてもコンピュータを使った仕事ができるのではないかと思っていました。自動車工場で働きながらプログラミングを独学し、パソコン修理工場に転職し、その後、派遣社員としてプログラマー職に就きました。半年単位のプロジェクトごとにいろんな会社を渡り歩くという働き方をしていたのですが、プロジェクトを終えるごとにスキ
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