我々の脳裏に焼き付いて離れない尾藤スマイル。 野球部の練習方法にも変化が現れはじめ、鬼の尾藤からホトケの尾藤になっていった。 甲子園で35勝をあげた名将は、監督勇退後も 「高校野球に恩返しを」を思いに秘め 次世代の指導者に対してアドバイスを送る日々が始まった。 尾藤監督の記事を最初から読む方はこちら 監督退任後は日本中で講演会を すべてをさらけ出し選手とともに歩んだ29年間の監督生活にピリオドを打った尾藤監督。 監督を勇退後は日本高校野球連盟の技術振興委員を務め、全国津々浦々に出向いて アドバイスを送った。地域ごとの指導者講習会では、壇上に上がって講演をすることも多かった。 もっとも多いテーマが 〝今、指導者に求められるもの〟である。 時が流れ、選手の気質も変わり、その中でどんな指導がベストなのかを 問うものだ。 実は尾藤監督の本音としては、「俺が堂々、言える立場やないんやけどな」だった。