目下露國の首都ペトログラードの食糧窮乏を極めたる折柄、官憲にて支那人が人肉を市場に販賣しつつありし事實を發見し、該支那人を取押へて、遂に之を銃殺せり。 といふ驚くべき外國電報が掲載されてある。私はこの電報によつて、端なくも、古來支那人間に行はるる、人肉食用の風習を憶ひ起さざるを得ないのである。 一體支那人の間に、上古から食人肉の風習の存したことは、經史に歴然たる確證があつて、毫も疑惑の餘地がない。古い所では殷の紂王が、自分の不行跡を諫めた翼侯を炙とし、鬼侯をにし、梅伯を醢にして居る。炙は人肉を炙ること、は人肉を乾すこと、醢とは人肉を醤漬にすることで、何れも人肉を食することを前提とした調理法に過ぎぬ。降つて春秋時代になると、有名な齊の桓公、晉の文公、何れも人肉を食して居る。齊の桓公は、その嬖臣易牙の調理して進めた、彼の子供の肉を食膳に上せて舌鼓を打ち、晉の文公は、その天下放浪中、食に窮した折