今回はニンテンドーeショップの話ということで、 eショップそのものをつくっている人と、 そのeショップで楽しめるコンテンツを つくっている人たちに集まっていただきました。 このニンテンドーeショップというのは、 6月7日に予定している本体更新で利用できるサービスで、 「ニンテンドー3DSダウンロードソフト」などを購入できるほか、 さまざまな商品の映像なども見ることができる ニンテンドー3DSの新サービスのことです。 では、最初にみなさんの自己紹介をお願いします。
なぜ、いま、このゲームを 宮本さんが仕上げようと思ったのか、 まず、そこを訊きたいと思ったんです。 というのも、この『スティールダイバー』って じつは歴史の長いソフトで、 覚えている方もいらっしゃるかもしれませんが、 ニンテンドーDSをはじめてお披露目した 2004年のE3(※8)のときに 参考商品として出品されていたんです。 つまり、開発期間がすごく長いとも言えるんです。 それをなぜいまニンテンドー3DSで 出すことにしたのだろうか、と。 ※8E3=Electronic Entertainment Expo(エレクトロニック エンターテインメント エキスポ)の略で、米国のロサンゼルスで開催されるコンピューターゲーム関連の見本市のこと。
どうして、宮本さんがいまこれを ニンテンドー3DS用ソフトとして 仕上げようと思ったのか、というのがひとつ。 もうひとつは、NINTENDO64用のソフト、 『ゼルダの伝説 時のオカリナ』(※2)と 『スターフォックス64』(※3)を、 なぜいま3DS用にリメイクしようと思ったのか。
さて、いよいよ発売までもう少しですが、 長期間の開発を今振り返ってみて、 松本さんがいちばん大変だったことはどんなことでしたか?
『スーパーマリオ』(※1)25周年インタビューの最終回は、 開発のオリジナルメンバーで、いまも『スーパーマリオ』シリーズの 開発にかかわっている4人のみなさんに集まっていただきました。 『スーパーマリオブラザーズ』がどのようにして生まれ、 誕生から25年経ったいまも、 どうして多くの人から支持していただけるのか、 そんな話をお訊きできればと思います。 今日はよろしくお願いいたします。
今回、坂口さんは 『ラストストーリー』という大きな挑戦をされたことで、 音楽に求めるものも今までとは違うものになったと思うんです。 そのことで植松さんも非常に苦労されたということを 伝え聞いているのですが、そのあたりのお話を教えていただけますか。 そうですねえ。久々に、方向性から苦労しましたね・・・。 坂口さんからお話をいただいたとき、 「僕でよかったらやりましょう」とすぐにお受けしたんです。 最初にメインテーマと、戦闘と、街の曲を先につくってほしいと 頼まれまして、いつもどおりつくって、提出したら・・・。 「ぜんっぜん違う!」っていう、長~~~いメールが返ってきました。
今日は『社長が訊く』で3度目の登場となる坂口さんと、 植松伸夫さんにお越しいただきました。 今回の『ラストストーリー』では、植松さんに音楽をご担当いただいています。 おふたりがタッグを組まれてから長い期間がたちますが、 そもそもどのようにおふたりの関係が生まれたのか、 まずは、おふたりの出会いから教えていただけますか? はい。僕が昔、横浜の日吉という町に住んでいまして、 そこに毎晩、酒飲みたいやつが集まってくるわけですよ。 で、みんな若いんで、小説家になりたいとか、 ミュージシャン、書道家になりたいんだっていうやつらがいて。 そこで当時、スクウェア(※1)にいた女の子と知り合って、 彼女に連れられてスクウェアに出入りするようになりました。 当時はスクウェアも日吉にあったんです。 それで、すでにそこのボスだった坂口さんと出会いました。
今日は、“DSのパブリックスペース利用”、つまり “公共の場所でDSを使っていただく”という、 任天堂の新しい提案に取り組んできた人たちに 集まってもらいました。 これまでにやってきたことを振り返りつつ、 順番におうかがいしていきたいと思います。 みなさん、よろしくお願いいたします。
今日は2人の大先輩からお話を訊かせていただきます。 今年の9月13日で『スーパーマリオブラザーズ』の発売から ちょうど25年になりますが、 多くのみなさんにご愛顧いただきつづけることができたおかげで、 登場から四半世紀が経ったいまも、『スーパーマリオ』は元気です。 今回、ご支持いただいたみなさんへの感謝を込めて 25周年を記念したキャンペーンを展開させていただくことになりました。 それと同時に、 任天堂がトランプ・花札の会社から、 ふとしたきっかけでおもちゃをつくるようになり、 電子機器技術に出会い、 そしてビデオゲームの会社として変貌していくときに、 会社の中心におられたお2人にとって、 『スーパーマリオ』が生まれていく過程がどう見えていたのか、 そういったお話をいまお訊きして 何らかのかたちで残しておくことは、 歴史上、とても意義があるのではないかと思いまして、 今回、「社長が訊く」へ
みなさん、こんにちは。任天堂の岩田です。 1985年9月13日、ファミリーコンピュータ向けに 初代の『スーパーマリオブラザーズ』が発売されてから、 今日でちょうど25周年となりました。 世界中のお客様のご支持のおかげで、 最初のスーパーマリオ発売から25年が経過した今も、 マリオは今日もたくさんのゲーム画面の中で、 元気いっぱいジャンプを続けています。 四半世紀に渡り、世界中のお客様にご愛顧いただき、 本当にありがとうございます。 任天堂では、「スーパーマリオ25周年」を記念して キャンペーンをさせていただくことにしましたが、 これと並行して、 スーパーマリオの歴史にちなんだ「社長が訊く」を 数回に分けて順次公開させていただく予定です。 当然のことながら、最初に、 スーパーマリオの生みの親である宮本との話を みなさんにお届けしようと考えましたが、 これまでの「社長が訊く」において、 宮本は
これまでの「社長が訊く」では 発売前の新商品を取り上げることが多かったので、 ニンテンドーDSi LLの開発に関わったみなさんは 「今回は訊かれないのかな?」と思いながら 発売日を迎えたんじゃないでしょうか。 実は以前からわたしは、 実際にご購入いただいたお客さんの声をお聞きしたあとに 「社長が訊く」のも悪くないと思っていまして、 発売後にどういう思いで開発したのかをお伝えすることも 新しい試みになり得るのではないかと思っていました。 そこで、DSi LLの発売から1週間ちょっとたち、 今日はあえて日付を言うことにしますが、 本日11月30日に、DSi LLの開発者のみなさんに 訊いていきたいと思います。 よろしくお願いします。
今日のテーマは 『New スーパーマリオブラザーズ Wii』ですが、 いきなり最新作の話から入るのではなく 『マリオ』のルーツの話から訊いてみたいと思います。 知っている人はもちろん知っている話ですけど 知らない人はぜんぜん知らないと思いますので。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く