//次のことをお試しください ページアドレスが正しいかをご確認ください ブラウザの更新ボタンをクリックし、ページの再読み込みをお試しください
//次のことをお試しください ページアドレスが正しいかをご確認ください ブラウザの更新ボタンをクリックし、ページの再読み込みをお試しください
面白い・優れたコンテンツを提供できる人は、なにもブログというツールに拘る必要はないんじゃないかな? la_causette: 面白いコンテンツを提供できる他人になぜ人格攻撃等への「耐性」を要求するのか。 もちろん、匿名の卑怯者さんたちの顔色を窺いつつブログを運営することは可能だと思いますが、そこまでしてブログを開設するメリットはないわけです。 WWWに何か情報を発信したい→どうやらブログというツールが人気で簡単だ→しかも多くの人に読んでもらえるらしい→よし私もブログを利用しよう! ……と考えるのは別に良いのだけど、「多くの人に読んでもらいたい」と考える人が、自分の書いたものに対する批判や中傷が一切無いと思っているのだとしたら、あまりに能天気に過ぎると思います。 人格攻撃などを肯定するつもりはありませんが、別にネットの世界でなくとも、多くの人の目に触れることによって、当人が意図しない反応がな
結局のところ、日本のブログ環境はekkenさんが望むとおりになってきており、それ故に、面白くなくなってきているというだけの話だと思います。もちろん、ブログから得られる情報の質なり量なりが劣化したとしても、匿名の陰に隠れることによって「無敵」化した自分が特定の人物や組織等を上から目線で攻撃し続けられるということに面白みを感ずる人もいるでしょうし、特定の人物や組織等が人格攻撃等されているのを見ることに面白さを感ずる人もいるでしょうから、万人にとって日本のブログ環境が面白くなくなっているというのは言い過ぎなのでしょう。ただ、そういうことに面白みを感ずる人々に最適化したブログ環境では、需要に厚みはないだろうなとは思います。 日本のブログ事業者がそれでよいというのであれば、それで仕方がない話です。他人の足を引っ張ることばかり熱心な国民を対象としたWeb2.0なんてそんなものかもしれません。「なぜブロ
きのう情報ネットワーク法学会のパネルディスカッションに出てきた。テーマは「違法・有害情報と匿名性」。当然、焦点は2ちゃんねるだ。損害賠償訴訟に連敗しながら、判決を無視して「年収は1億以上あるが、差し押さえられないように隠してある」などと公言するひろゆきについて、「どうすることもできないのか」と私が質問したら、専門家の答は「民事ではむずかしい。破産申し立ても断念したようだ」とのことだった。しかし名誉毀損は、刑事訴追もできる。なぜ警察は、法治国家の原則を嘲笑するひろゆきの行動を黙認しているのか――という私の質問には、たぶん名誉毀損は立証がむずかしく、マスメディアも英雄扱いしているので警察も手が出せないのだろう、との答だった。違法行為をもてはやすメディアの責任も重い。 ただ、2ちゃんねるのような違法情報は、まだ問題がわかりやすい。むずかしいのは、違法とまではいえない有害情報だ。たとえば、ブログ
【暗号解読】以下の文字列を解読してください。 友達から出題されたのですが、全く意味が分かりません。 皆さんの手を貸してください。 jjgaeorigt439tr0.2jgfrsogwjogaergregkgbpaerhgg.agarepofgawerktp taw08733hifwneiatrw7tawehri.gfarh6trw ddegf7fsfk2hoi.fso3jogfsdrgfpsadfpwonsdaaaaanoifea fsdgs9afejqogfrenzmcvsd.dfslpsd.fewft24hoidf8w7asdfiebcdsah divbhjidfgjnr099rej3fhsd faesdfea.fsefspoaufrqppeorfefrdscomotretbu5 fsf28jwenmsdkfpasfri1jfre.fadefrrhaiferr jofdsaf0a9fr
(この暫定版は新しい版に改定されました。最新版は当ブログサイドバーの「リンク集」から参照ください。) リンクをした人は、リンクをされた人から「リンクをやめろ(さもなければ俺を納得させろ)」と要求されたときに、以下の3つの中から自身の責任のともに自由に1つを選択することができる。(A)リンクをやめる。(B)相手を納得させたうえでリンクをする。(C)相手を納得させることなくリンクを継続する。 (C)を選択することは、「相手を不可逆な状態に陥れることになる可能性があるにもかかわらず、その行為をその人を納得させることなしに実行しても構わないと自分の価値観に基づいて一方的に判断し、それを実行した」という事実を生じさせる。 相手からのリンクについて納得していない人は、以下の3つの中から自身の責任のもとに自由に1つを選択することができる。(a)リンクされたコンテンツを書き換えたりウェブから削除する。(b
mo_hateさんのはてなダイアリーがプライベートモードになっていた。 mo_hateの日記 この日記は、プライベートモードに設定されています。 無断リンク禁止!と思いきやこれは無断閲覧禁止です。(しかも実効性もある) 無断リンクが嫌ならプライベートモードにするべき、という意見を聞いたことがありますが、情報の共有という点では大きなマイナスになるんですよねえ。 なにせ閲覧不可になっているのだから、検証することも出来ないわけだけど、mo_hateさんは確か「無断リンク禁止という主張も認めて欲しい」というような主旨の記事を書かれていたと思う。自分が意図しない人に見られたくないという理由で無断リンク禁止を宣言しても無意味なので、閲覧を許可した人のみに読んでもらうことが出来るはてなダイアリーのid許可による閲覧制限(プライベートモード)は正しい選択だと思う。 しかしこのプライベートモード宣言文に微妙
「不当な行為」というのは文字通り「正当でない行為」です。「道理に外れた行為」とでもいいましょうか。 2007-10-28 まさか辞書厨みたいなお返事をいただくとは思ってもみませんでした。これって「不当な」という言葉を単に「正当でない」や「道理に外れた」に言い換えただけで、実質的には何も話が進んでいないのではないでしょうか。 私がお聞きしたいのは、ある具体的な行為が「不当である」(あるいは「正当ではない」、「道理に外れている」)かどうかはどのように判断できるのかということです。判断の方法が明らかにならない限り、その行為が不当であるかどうかは議論できないと思うのですけど。 「我侭な要求」とは「相手がそれに従う理由がなにもないのに、相手の都合を考えず、自分の都合だけを考えてする要求」です。 2007-10-28 ちょっとよく理解できない部分があるのですけど、他人から要求をされたときに、要求した人
sci98さんがそろそろ議論が終着点に近づいてきたというご認識らしいので、私もそれは望むところです。 くっぱさんの疑問のひとつに 形として「論う」や「命じる」という表現になっているならば、「そのリンクが存在しないほうがネットワークトポロジーとして望ましい」と主張する行為ではない という前提をおいたローカルな論にしかなっていないのではないでしょうか。 ウェブそもそも論(の謎×23) - くっぱのブログ というのがあるようですので、とりあえず、『形として「論う」や「命じる」という表現になっているが「そのリンクが存在しないほうがネットワークトポロジーとして望ましい」と主張する文章』の例をひとつ挙げて下さいとお願いしています。 2007-10-26 (本人としてはあまりに当然のことと思い込んでいて「そのリンクが存在しないほうがネットワークトポロジーとして望ましいのだから、」ということを口に出すのを
さて、少なくとも自分の半径ワンクリック内では沈静化したかに見える、“無断リンク”つにいての議論でありますが、この問題では過去にはてな住民の多くを戦慄させたd:id:tinycafe先生が、最近いろいろと新しい動きを見せていらっしゃって、実に興味深いものとなっております。 ご存じの方は既にご存じでしょうが、彼女はidをその都度変えてはてな入退会を繰り返しており、d:id:tinycafe、d:id:asaka_saya、d:id:yoko-fuwari、d:id:tinycafe2、そして現在のアカウントはd:id:fuwaridaysでございます。 さて、このうち現在非アクティブにも関わらず現存するidはd:id:asaka_sayaだけであり、どうも本人の中ではd:id:fuwaridays(d:id:tinycafeの方がしっくりきますが、以下は一部を除き現存アカウントに統一します)の
「WWWを『特定の人に読まれたくない』『特定のサイトからリンクされたくない』という立場で使うことはできるし、運がよければその願いが叶うこともあるけど、仮にその願いが叶わなくても自分の責任でしかない。『そういう立場で使うことは制限されていないのだから、願いが叶わなかったときに他人に責任を転嫁してもよい』という人は自己責任という言葉を軽視している」という点については御理解いただけたようです。まあ、そんなこともわからない責任感の欠如した人となら最初から話などできないわけですが。 リンクをした人はリンクをされた人からリンクを止めるように言われたら、「それをしない自由が制限されていないにもかかわらず、その人を納得させることなくその人の希望を打ち砕くことをしている」という事実を背負うことを(相手を納得させるかリンクを外すことによって)回避するか、(どちらもすることなく)その事実を背負うか、のどちらか一
ウェブにおけるリンク・被リンクに関してウェブの理念なるものを持ち出して主張がなされることがあります。しかし、そのような主張をよく読んでみると、もしかしたらその人の個人的なローカルな価値観のもとでは成立しているかもしれないけれど、それ以上のことは言い得ていないのではないかと感じられるものを目にすることもあります。 最近目にしたものの中では比較的丁寧に理由を書いてあると感じられるという意味で 2007-10-02 を例として取り上げさせていただいて、論理に飛躍があると感じられるいくつかの点について指摘してみたいと思います。 ネットワーク化することが嫌なら、WWWに公開するべきではない。WWWに公開することとはすなわち全世界に公開することであるし、誰でも自由にリンクできるということなのだ。 2007-10-02 全世界に公開するというのは、そのサイトの存在を知った人は誰でもそのサイトにアクセスす
「吐き出す - ブログにブクマコメなんてしなくなればいいのに」「吐き出す - ブログにブクマコメなんてしなくなればいいのに 蛇足」を読んで。 ブログのコメント欄よりブクマコメントの方が盛り上がってることに対する反論記事。最近、はてなでブクマコメントなどに関する記事を書くと、ものすごいブクマが返ってくるの法則でもあるのかな?w ブログコメント欄とブクマコメントの違い ブログのコメント欄とはてブのブクマコメントの違いを考えてみた。 ブログコメント欄 そのブログの領域 書き込みはブログ作者とそのブログの読者に対して ブロガーと直接対話したいときにはここ 何度も書き込めるのでやりとりができる 炎上して制御不能になることがある ブログ作者が削除することが可能 匿名で書き逃げされることもある ブクマコメント はてブを利用している人なら誰でもコメント可 1記事に対し、一人一回100文字までのコメント 1
関西人は、なぜ東京へ来ても堂々と関西弁で話すのでしょうか? 他の地方出身の人は、大抵標準語で話すのに。。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く