ブックマーク / sportiva.shueisha.co.jp (33)

  • 「中島翔哉の落選は驚いた」。福田正博が西野ジャパンの27人を検証

    津金壱郎●構成 text by Tsugane Ichirophoto by Nishimura Naoki/AFLO SPORT 【福田正博 フォーメーション進化論】 西野ジャパンはW杯をどう戦うか 前編 5月30日のガーナ戦に向けて発表された日本代表27人の名前を見て感じたのは、「4年前と変わらないメンバーだな」ということ。個人的には、もっと若い選手を選んでもらいたかった。 ハリルホジッチ前監督は、新たな日本代表を作ろうとさまざまな選手を試してきた。彼の志向したサッカー日本代表に合っていたとは思わないが、メンバー選考に関しては共感していただけに、残念でならない。 ガーナ戦に向けて合宿を行なう日本代表 今回の選手選考でポイントになったのは、W杯アジア予選後に代表から遠ざかっていた田圭佑、香川真司、岡崎慎司が選ばれるかどうかだったが、3選手とも27人の枠に入った。 これは、W杯開幕2カ

    「中島翔哉の落選は驚いた」。福田正博が西野ジャパンの27人を検証
  • トンデモ暴力事件の陰で、名波ジュビロは理想的なサッカーをしていた

    勝者であるジュビロ磐田の名波浩監督の試合後会見は、謝罪から始まった。 「まず、スポーツ選手としてあるまじき行為を試合中にしたというその厳然たる事実、これはチームを預かる身として、マリノスの選手たち、サポーター、関係各位の皆さま、それからジュビロに関わるすべての皆さまにお詫びしたいと思います。申し訳ありませんでした」 今年の目標を「トップ5」と語るジュビロ磐田の名波浩監督「あるまじき行為」をしたのは、ブラジル人サイドバックのDFギレルメだった。80分に2枚目の警告を受けて退場となると、突如怒りの導火線に着火し、対戦相手である横浜F・マリノスのMF喜田拓也に左足キックをお見舞い。さらに乱闘を止めに入った相手スタッフにも殴りかかる暴挙に出たのだ。 もはやスポーツとは言えない"暴行事件"は、サッカーを汚し、ファンを裏切る背徳行為である。5月2日に日産スタジアムで行なわれた横浜FMと磐田の一戦は、実

    トンデモ暴力事件の陰で、名波ジュビロは理想的なサッカーをしていた
  • 就任5年目。ジュビロ・名波浩監督は強気に「神様にあらがっていく」

    ジュビロ磐田・名波浩監督インタビュー(2) (1)から読む>> ジュビロ磐田を率いて5年目を迎えている名波浩監督。今季はここまで、試合後に初めて号泣したり、選手が暴行騒ぎを起こしたり、さまざまなことがあったが、試合内容は理想に近づいており、チームづくりにおいて確かな手応えを感じているようだ。 熱戦が繰り広げられたロシアW杯が終わると、まもなくJリーグが再開する。今季「トップ5」入りを目標に掲げる指揮官に、後半戦への意気込みを語ってもらった――。 今季新加入の田口泰士(右)も早々にフィットし、前半戦を8位で終えたジュビロ磐田――今季前半戦の「ターニングポイントのひとつだった」という第12節の横浜F・マリノス戦では3-1と快勝。このゲームでは、退場となったギレルメ選手の"事件"(※)ばかりが注目されてしまいましたが、試合内容は素晴らしいものでした。 ※第12節(5月2日)の横浜F・マリノス戦で

    就任5年目。ジュビロ・名波浩監督は強気に「神様にあらがっていく」
  • ジュビロ・名波浩監督の告白。「サッカー人生で初めて悔し涙を流した」

    ジュビロ磐田・名波浩監督インタビュー(1) J1に復帰して2年目となった昨シーズン、ジュビロ磐田は前年の13位(年間順位)から6位へと躍進した。迎えた今季、チームを率いる名波浩監督は「トップ5」を目標に掲げてスタートを切った。 ロシアW杯による中断前の成績は、6勝3分6敗の勝ち点21。順位は8位という状況にある。例年にも増して混戦模様のなか、目標は十分に射程圏内にあるが、指揮官はここまでの戦いをどう見ているのだろうか――。 ジュビロ磐田を率いて5年目の名波浩監督――ロシアW杯による中断期間に入るまでにJ1は第15節まで終えています(※セレッソ大阪vs鹿島アントラーズの第14節のみ、未消化)。今季ここまでの成績について、率直な感想を聞かせてください。また、ここまでの戦いぶりを振り返って、どんな印象をお持ちですか。 「まずは、アダイウトンとムサエフのふたりがケガで長期離脱してしまったことは、チ

    ジュビロ・名波浩監督の告白。「サッカー人生で初めて悔し涙を流した」
  • 名波監督も「すごいやつだ」と驚嘆。ジュビロを変えた中村俊輔の存在

    原田大輔●取材・構成 text by Harada Daisukephoto by Takashi Aoyama - JL/Getty Images for DAZN ジュビロ磐田 名波浩監督インタビュー(後編) 13位→6位アップの舞台裏を語ったインタビュー前編> J1復帰を果たして2年目の昨季、ジュビロ磐田は13位だった前年から一気に6位まで順位を上げてシーズンを終えた。そのリーグ戦では、リーグ最少となる30失点と堅守を誇った。攻撃にしても、加入に際しては懐疑的な声も聞かれたMF中村俊輔がチームにフィット。同じく新加入のFW川又堅碁も14得点をマークするなど、明らかにスケールアップした。 かみ合った攻撃と守備、中村俊輔という存在、さらには新シーズンに向けて、名波浩監督に話を聞かせてもらった――。 ――昨季は6位という順位もさることながら、目を見張ったのはリーグ最少失点(30点)だったこ

    名波監督も「すごいやつだ」と驚嘆。ジュビロを変えた中村俊輔の存在
  • 名波監督が明かす「ジュビロ磐田が13位から6位に躍進した舞台裏」|Jリーグ他|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva

    それと、これは余談ですけど、(期限付き移籍で3年在籍していた)川辺駿の存在。彼の成長を感じることもできました。実はあの試合の時点で、(川辺は)今季からサンフレッチェ広島に復帰することが決まっていたんですね。それで、メンバー外の選手たちとハイタッチしているときから駿は泣いていて、山田(大記)からは『おまえ、なんで試合前に泣くんだよ』って突っ込まれていたんですけど、(ジュビロでの)最後の試合でよくやってくれました。 彼は、僕らクラブにとっては息子みたいなもの。だからといって、ただかわいがってきたわけではなく、時にはライオンの親子で言う、崖から落として(指導して)きたことが何度もありました。最終戦の3週間前くらいにも、練習に身が入っていなかったので、『おまえ、(練習から)抜けろ!』と言って、ひとりで練習場の外を走らせていましたから。いずれ、日本代表や欧州のクラブでプレーすることを目指していくなら

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    miraishonen99
    miraishonen99 2018/07/12
    “川辺駿”
  • 枠があっても「外国人FWはいらない」というジュビロ名波監督の思惑

    浅田真樹●取材・構成 text by Asada Masakiスエイシナオヨシ●撮影 photo by Sueishi Naoyoshi ジュビロ磐田 名波浩監督インタビュー(後編) MF中村俊輔(横浜F・マリノス→)をはじめ、FW川又堅碁(名古屋グランパス→)、MFムサエフ(カルシ/ウズベキスタン→)、DF高橋祥平(ヴィッセル神戸→)ら、新加入組の活躍が光っているジュビロ磐田。彼らの加入によってチームはどう変わったか、名波浩監督に話を聞いた――。 (前編はこちら>>) ――「好調」と言っていい今季前半戦だったと思いますが、やはりそこには"(中村)俊輔効果"が大きく影響しているのでしょうか。 「それは大きいでしょ、誰がどう見ても。俊輔の移籍加入が決まった当初は、(40歳間近のベテラン獲得には)批判的な声も少なからずあったみたいだし、FW川又堅碁に対しても、『点を取っていないFW(昨季は名古

    枠があっても「外国人FWはいらない」というジュビロ名波監督の思惑
  • オランダからイギリスへ。藤田俊哉がリーズのフロントに転職した理由

    藤田俊哉インタビュー@前編 昨年12月のある日、ファジアーノ岡山アカデミーの研修生、某選手代理人、欧州周遊中のJリーガーが藤田俊哉を訪ねてリーズに集っていた。 「明日のチャンピオンシップ(イングランド2部)の試合は、リーズ・ユナイテッドの仕事として大手商社の方をアテンドだよ」と、藤田は忙しく英国の地で動いている。名刺の肩書は『ヘッド・オブ・デベロップメント アジア』。「リーズのフットボールを発展させて、アジアとリンクさせることが俺の仕事」と藤田は言う。 リーズ・ユナイテッドのフロントで働く藤田俊哉「リーズはプレミアリーグ昇格に向けて、アジアに商圏を展開させたい。それがクラブと会長の考えだから、(自分が)先に布石を打っておく。アジアツアーのパートナー探しとか、中国のスクール展開の場所探しとか。今はその"種"を植えたい、という段階だよね」 ―― 藤田さんがオランダに来たのは2014年1月のこと

    オランダからイギリスへ。藤田俊哉がリーズのフロントに転職した理由
  • ジュビロで覚醒して帰還。ハリルよ、サンフレッチェ川辺駿を見よ!

    2018年、私のイチオシ「Jリーガー」(2) 川辺駿(サンフレッチェ広島/MF) サンフレッチェ広島のアカデミーは、森﨑和幸・浩司の双子の兄弟を筆頭に、駒野友一、髙萩洋次郎、槙野智章、柏木陽介ら数多くのタレントが輩出してきた。 Jリーグでも屈指の下部組織を備える広島は、金銭的に恵まれているわけではない。だからこそ地方クラブが生き残るため、育成型クラブの道を着実に歩んできた。とりわけ、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督が指揮した時代は、スタメンの半数近くをユース出身選手が占めたこともあった。 ジュビロ磐田から今季サンフレッチェ広島に帰ってきた川辺駿 しかし近年は、そのクラブのアイデンティティが崩壊しつつある。 そのキッカケは、2012年のJ1リーグ初優勝だろう。悲願の初タイトルを手にしたことで、育成型クラブは常勝を義務づけられたチームへと変貌。毎年のように主力が移籍したものの、他クラブから実績十分

    ジュビロで覚醒して帰還。ハリルよ、サンフレッチェ川辺駿を見よ!
  • 名波監督が明かす「ジュビロ磐田が13位から6位に躍進した舞台裏」|Jリーグ他|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva

    ジュビロ磐田 名波浩監督インタビュー(前編) ジュビロ磐田は昨季、J1に復帰した2016年シーズンの年間13位から大きくジャンプアップ。6位という成績で2017年シーズンを終えた。リーグ戦中盤に6連勝して快進撃を見せるなど、残留争いに加わった2016年シーズンとは明らかに違った。その戦いぶりは、指揮官である名波浩監督にどう映っていたのか、直撃した――。 ――まずお聞きしたいのは、昨季最終節の鹿島アントラーズ戦のことです。相手が勝利すれば、目の前でリーグ優勝が決まる状況。どのような思いで試合に臨みましたか。 「個人的な思いとしては、鹿島の監督が(大岩)剛である、ということがひとつあります。彼とは同級生で、出会ったのは小学生の頃。当初は同じようなポジションで、お互いに珍しい苗字ということもあって、すぐに(その存在を)覚え合った仲で、そこから中学校の県選抜や清水市商高(現・清水桜が丘高)で一緒に

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  • ベルギー守護神と指揮官が分析する日本戦。「交代で状況は逆転した」

    対ベルギー戦で、ベルギーはふたつの違う顔を見せている。 ひとつは前半15~30分、後半20~30分、ラストシュート。もうひとつはそのほかの時間帯。ふたつはまるで異なるチームのようだった。それは乱戦で「制御不可能」だったことも示していた。 「タクティカルなゲームではなかった。すべて選手次第というのか。我々は0-2でリードされていて、解決策を探す必要があった。そこで、状況を変えられるのはベンチでの采配だったと思う。それでも、すべては選手たちの力量に委ねられていた」 ベルギーのスペイン人指揮官、ロベルト・マルティネスはそう明かしている。 「我々はW杯の歴史のなかで、0-2というスコアを覆すのがどれほど難しいか、知っていた。しかし、信念と希望を持ち続けて戦った。これは選手たちが決してあきらめず、戦い抜くことで得た勲章である」 ベルギーの選手たちは、どのポイントで日をわずかに上回ったのか。 後

    ベルギー守護神と指揮官が分析する日本戦。「交代で状況は逆転した」
  • 日本女子パシュート、「オランダ超人軍団」も一蹴する世界最髙の滑り

    2月21日に行なわれた平昌五輪女子チームパシュート決勝で、日は悲願の金メダルを獲得した。 W杯では昨季の総合優勝に輝き、今季は3戦連続世界記録樹立という実績を誇るこの日チームとしては、打倒・オランダを掲げて、ここ数年チーム作りをしてきた種目でもあり「金は絶対」という意欲が強かった。 ゴール後、声援に笑顔で応える(左から)菊池彩花、佐藤綾乃、髙木菜那、髙木美帆 しかし、いざ平昌五輪が始まるとオランダの底力を見せつけられ、金メダルへの道は遠くなったかのようにも感じられた。最初の個人種目3000mは伏兵のカーリーン・アフトレークテが、リンクレコードに迫る記録で優勝をさらい、ソチ五輪優勝のイレイン・ブストが2位、アントワネット・デヨングが3位と、オランダ勢が表彰台を独占した。 さらに1500mではブストが優勝し、2013年からチームパシュートの主要メンバーになっているマリット・レーンストラも3

    日本女子パシュート、「オランダ超人軍団」も一蹴する世界最髙の滑り
  • へっぽこ球団と見せかけ4年で世界一に。アストロズGMが使った魔法

    今年のワールドシリーズはヒューストン・アストロズがロサンゼルス・ドジャースを4勝3敗で下して幕を下ろしました。1990年代後半には3年連続で地区優勝を果たすなど上昇気流に乗った時期もありましたが、2005年のワールドシリーズ初進出以降は主力選手の相次ぐ移籍もあって低迷していたアストロズ。今回、1962年の球団創設以来初となる世界一に輝くことができたのは、2011年から始まったチーム再生が身を結んだ結果と言えるでしょう。 ヒューストンの街に悲願の優勝トロフィーがやってきた 事の発端は、ヒューストンの実業家ジム・クレインがアストロズを買収した出来事です。2011年5月に買収が合意に達すると、クレインはさっそく同年12月にセントルイス・カージナルスからジェフ・ルーノウをGMに招聘しました。 ルーノウはもともと大手コンサルティング会社「マッキンゼー・アンド・カンパニー」に勤めていたエリートで、20

    へっぽこ球団と見せかけ4年で世界一に。アストロズGMが使った魔法
    miraishonen99
    miraishonen99 2018/01/30
    めちゃおもろい