これけっこうマジでおもしろい。僕の本にインスパイアされたとのことでありがたいです。→ “Twitter感情分析サービスを作ってみた 〜一般意志2.0モジュールの実装〜 - いろいろ作りたい” http://t.co/nSwriJce
はじまりはただ、小中学校でのイジメだった。 15年以上前の話、小学校低学年だった頃、クラスの女子にイジメられていた。キモい、ウザい、死ねとイジメられていた。 暴力的なイジメはなかった。常に精神的な言葉や態度に依るイジメだった。 今思えば、肉体的な暴力的なイジメだったら、反撃できたと思う。言葉によるイジメには反撃出来なかった。『女の子に暴力を奮ってはいけない』という道徳律に縛られていた。 女子に対する言葉による反撃は何の意味もなかった。一対多では端から勝ち目がなかった。 学校ではずっとイジメられていた。小中とずっと、女子にイジメられていたから、いつの間にか自分は『そういう立場に置かれている存在』だと思い込んでしまった。 本当は思い込まなくてもよかった。塾では普通に皆と、和気藹々と会話できていた。でも、学校の場の空気が自分をイジメられっ子の立場に押し込んでいた。 イジメられ続けたまま、小中学生
ニコニコ生放送「ニコ生思想地図」などにも出演する作家の東浩紀氏は、2011年12月19日夜の「現代ビジネス 東浩紀×佐々木俊尚 対談 『ツイッター、ニコニコ動画、民主主義』」で、作家・社会学者としての視点から「国会でニコニコ動画を流せば、議員は"空気"を読み、まともになる」といった持論を展開した。 東氏は、冷戦終結後に形骸化してしまったという日本の政治システムにおいて「熟議のインターフェース」を担う可能性のあるメディアとしてニコニコ生放送を挙げ、 「国会議事堂に(ニコニコ)動画中継が入って、コメントが表示されるシステムを導入することはけっこう簡単にできる」と語り、政治不信が深刻な現状において国民の関心を引くためにも、国会が自らニコニコ生放送の導入に動く可能性もあるのではないかとの見方を示した。また最近の政治の傾向として、ジャーナリスト佐々木俊尚氏が指摘する、橋下徹大阪市長や石原慎太郎東京都
志倉千代丸 @chiyomaru5pb ミクファンってのがこんなヤツばかりじゃない事を祈るわ。 RT @zouzou_bana_kim: @sheliru_alex 3日目に来ていたみたいですね。 つか千代丸勘違いしまくりですね。 たまたまシュタゲが当たっただけで世界的に5pbなんて屁みたいな物なのに。
27日投開票の大阪市長選に立候補している大阪前府知事の橋下徹氏(42)は24日夜、大阪府箕面市で行われた個人演説会に出席。 プロ野球巨人のコーチ人事をめぐり、球団会長で読売新聞グループ本社会長兼主筆の渡辺恒雄氏を批判したとして、清武英利氏が球団代表を解任された問題を引き合いに「公務員は読売グループで研修すればよい」と語った。 橋下氏はこの日の演説で公務員の身分保障について言及。知事時代に職員から「あんたのやってることはおかしい、あんたはバカだ」とメールが来たエピソードを披露。「公務員はね、一度読売グループにいったらいいんですよ。渡辺恒雄さんのもとにいって、あーだこーだ言ったら解任になるんだと。そういう厳しい民間企業にいっぺん勤めないと」と語り、公務員研修に読売グループを使わせてほしいと述べた。
今回は「パラサイト・シングル」「格差社会」「婚活」などの言葉を世に送り出した、中央大学文学部教授で社会学者の山田昌弘先生に対談にお越し頂きました。人口の半数以上が50歳以上という未曽有の超高齢社会に突入している日本。晩婚化・晩産化が進み、婚活という言葉が流行語になるなか、若者の結婚観や消費感覚はどう変化してきているのか。日本とアジアとの比較を交えながら、お話しさせていただきました。 原田 今、「モテキ」という映画が若者の間でヒットしています。三十路近くのモテない派遣社員の藤本幸世が、ある日突然、過去の知り合いの女の子から次々と連絡が入り、「モテ期」が始まる。でも、結果的には不器用でなかなかうまくいかない、世の中そんなに甘くない、といった内容です。 山田先生の「婚活」という言葉通り、若者たちの恋愛が複雑で難しくなっていて、だからこそこういう内容に共感する若者が多いのだと思います。 そう言えば
anomy @anomy_ [社会][㌥㌔㍆㌏][心理]こういう恫喝がまかり通ることが、少子化の遠因。子供の失敗やイタズラに寛容であれという意見には同意、親の過失や無知に対して厳しければいいってのは、子供のためと称したゲーム脳のような言説を受容する遠因。 http://t.co/qxuW958Z 烏蛇 @crowserpent @twit_shirokuma 成熟・未熟の二項対立の前に、「成熟」という概念が「どのような意味で使われ、語られているのか」を考えなきゃダメでしょう。/誰がための「成熟」 - シロクマの屑籠 http://t.co/3ZXITrVr kash06(ジュスト) @kash06 シロクマ先生は「大人→子ども」という形で責任を引き受ける=成熟、と仰るのはよく分かった。会社組織人としては仕方なく何かを引き受ける気は満々だが、今のプライベートでは正直、まだ理解も出来なさそう。
『化物語』のアニメを途中まで(というか最終回以外)見たがとても面白い。なぜ面白いのか、考えてみる。念のため言いますが、ネタバレもしています。 パロディになっているこの作品は萌文化そのもののパロディになっている。萌文化の象徴的なキャラクターが割り振られたキャラクターたちがたくさん出てくる。「ツンデレ」から始まり、「ツインテール」の女子小学生、「百合」の体育会系少女、血のつながらない「妹」的な女子中学生、そして「ネコ耳」「眼鏡」の委員長。それらがカリカチュアされ、整理され、気持ち良く配列され、しかも統合されて出てくる。これはすごい。もし萌文化というものを知らない人に「萌文化を知るためにまず知っておく作品は何ですか?」と聞かれたら、ぼくには『化物語』としか答えようがなくなる。ここには萌の全てが詰まっている。 物語としてウエルメイド西尾維新氏は構成が抜群に上手い上に、物語の要諦というものをよくつか
人は「成熟」や成熟の対義語としての「未熟」に言及する。「人は成熟しなければならない」と連呼する人もいれば、「成熟なんて必要ない」と反論する人もいる。「成熟」を巡っては、オンラインでもオフラインでも、こうした問答が飽くことなく繰り返されている。 実際、一成人*1にとって、「成熟」は必要なんだろうか?いわれる「成熟」とは「未熟」の対義語なのだから、言い換えるなら「大人になれ、子どものままでいるんじゃない」ということなのだろう。では、子どものままでいて困る事なんてあるのだろうか。いつまでも自分の夢を追いかけ、いつまでも自分の欲求の赴くままに生きていくことの何がいけないのだろうか。例の、“自己責任”でやればいいじゃないか。 そう考えると、現代社会において、子どもであり続けることはそう悪いことではないように思える。一個人の自己実現やdreams come trueだけ考えるなら、「成熟」という古臭い
世間では何だかライトノベル32選なるものが流行っているらしいですね。32選ってどう考えても多すぎるだろう、と思わなくもありませんが、既にその数幾千冊にもふくれあがったライトノベルのなかの32作ですから、まあ、意味があるといえなくもないかもしれません。 で、この手の企画が大好きなぼくとしてはいそいそと羅列しようかと思ったのですが、既に後塵を拝した身としてはいまさらに作品を並べ上げることもためらわれます。そもそも最近のライトノベル、全然読んでいないしね。 というわけで、ライトノベル32作を並べるのはあきらめて、「ライトノベルじゃないライトノベル」を並べることにしました。つまり、ライトノベルと一般小説の境界線にあって、何かの拍子に定義論が盛り上がるとき、「これはライトノベルだ」「いや、違う」と話題になるような作品だけをまとめてみたわけです。 本当のことをいうと『たったひとつの冴えたやりかた』とか
@italiajin 神様のメモ帳最終話、「神様のメモ帳」というタームの定義がミニマムに収束して美しい幕引き。神様のメモ帳という超越的な視座から視る比喩が、アリスの「探偵」としての弱い特権性を担保すると共に、鳴海が「作家」としての語り手の権威を復権することで両者が語る行為の責任を共有するラストが良い。 @italiajin (承前)ラストシーンの屋上の風景は、3DCG班の人がすごく良い仕事をしていたと思う。給水タンク、花弁、鉄柵で囲まれた空間の人工的な質感の作り物っぽさが、むしろ「ニート」の居場所の脆い儚さを表象している。「作られた空間」って意味がとても強く感じ取れる。ゆえに彩夏の想いが際立つのよ。 彩夏派には不評なアニメ版だったようだが、1巻の物語内容を最後に持ってきた翻案は結果的には上手くまとまっていたのではないだろうか。 アニメ版の鳴海は、最初の段階で彩夏のトラウマを経験していなかっ
十年ほど昔、斉藤環Dr.だったか、年長の人による「男性は視覚で萌えて、女性は関係性に萌える」といったオタクの男女間の相違を読んだことがあった。また、「男性はキャラクター単体に萌えて、女性はキャラクターの関係に萌える」というバリエーションも見かけたと思う。多少の例外はあるにせよ、当時の認識として、これらは概ね合っていたような気がする。 でも、最近のニコニコ動画のコメントを眺めていたり、オタク仲間と意見交換したりしていると、こうした理解が時代遅れになり始めているんじゃないか、と思うようになってきた。そのへんについて書き残しておく。 ただし、オタク男女間の違いが無くなったわけではない 予め断っておくが、私は「男性の萌えと女性の萌えが同じになってきた」とまで言いたいわけではない。 同人誌などに典型的だけど、男性と女性の萌えの形・あるいはキャラクター消費の形には、現在でも相当に大きなトレンドの相違が
タレントで声優の平野綾さんに殺害予告をしたとして、札幌市在住の男が逮捕された。 男はツイッターや2ちゃんねるを使い平野綾さんに対し「殺す」「死ね」「事務所を解雇しろ」(?)などの脅迫文を毎日のように書き込んでいたという。 平野さんとツイッターユーザーのトラブルは以前から各ネットニュースなどで話題になっていたが、ついに逮捕者まで出す大騒動となってしまった。 この件で一番悪いのはもちろん脅迫をした男である。しかし、平野さん側に100%非が無かったわけではないと主張する向きも一部にはあるのだ。 「今回の騒動は平野さんのファン対応があまりに下手だったという点につきます。簡単に挑発に乗りすぎなんですよ。昔から平野さんはテレビでもファンの気持ちを考えない発言を多くしてきました。それが一種の自己アピールに繋がっているといえば繋がっているのですが、マイナスのダメージのほうがはるかに大きいですから。少なくと
新作アニメが始まると、こんな言葉がネットに飛び交うようになります。 「これブヒれる?」 「ブヒイ」 豚ですね。 そう、豚なのです。 2010年末くらいから今年にかけて、急激に広がったのがこの「ブヒる」という動詞です。 端的に言うと「萌え」を超えた、一つ上の表現です。 ちょーっと「萌え」文化を巡る足跡を言葉からたどってみるとしてみます。 90年代から広がった「萌える」という単語。可愛い子を見て高ぶる気持ちの表現として、ネットスラングになりました。インターネットのないパソコン通信時代ですね。 最初は動詞でしたが、次第に「萌え」という名詞に変化します。 つまり、ある対象、主に二次元のキャラクターに対して感じた感情表現から、キャラそのものの持つ属性へと変わった、ということです。 注意したいのは、「萌え」=「性衝動」ではないところ。どうしても男性が女性キャラに使うことが圧倒的に多いので「萌えって女の
秋田県大館市の同市立第一中学2年の2学級で、それぞれの担任教諭が、生徒会が企画した東日本大震災の義援金集めで寄付をしなかった生徒計約20人の名前を教室の黒板に掲示していたことが20日、わかった。 同校では保護者からの苦情で取り外した。 同校によると、義援金集めは被災地を支援しようと生徒会が企画した。全生徒に募金を呼びかけるチラシを配り、11〜17日まで1人200円以上を納めるよう呼びかけた。 納付期限は17日朝だったが、同日の帰りの会で担任教諭2人が、義援金を納めていない生徒計約20人の名前を紙に書いて黒板に貼って寄付を促した。担任は納付した生徒の名前をチェックしており、約15人の生徒が掲示後に寄付したという。 同校の菊地俊策校長は読売新聞の取材に対し、「生徒全員が全会一致で決めたので任意の募金ではないと考えていた。宿題を忘れた人への注意喚起と同じ感覚だったが、保護者や生徒に不安を与えたな
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