† @hallucinyan 僕が内面と呼んだものは近代文学的な「死にゆく私」や「成熟という困難」を語る主体といったものです。それはもちろんネーション=ステートという制度がもたらした透明な文体と透明な風景によって形成されたものだった。しかし、半透明性というものもある。それがマンガ・アニメ的リアリズムだ。 2012-08-03 01:19:57 † @hallucinyan 半透明性とはなにか。それは記号的身体に死にゆく私をインストールされた両義的な主体である。大塚英志は次のように言う。「新井素子は身体が記号であるアニメ的世界で「私」を描き「死」を描く」と。これがマンガ・アニメ的リアリズムだ。 2012-08-03 01:22:41 † @hallucinyan けいおん!は 「死にゆく私の内面性を記号的身体に宿らせる」という手塚的半透明性に対し「死を考えず成熟しない私を自然主義的身体に宿ら
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