明治後期から大正時代にかけて話題となった社会現象の一つに、同性愛の流行がある。詳しい経緯は省略するが、ともかく、10代の若い男女が同性を恋愛や性行為の対象にするケースが頻出したと当時の資料は伝えている。 たとえば、『東京朝日新聞』(現・『朝日新聞』)では、明治41年頃から「東京において生徒・学生の風紀が乱れている」といった旨の記事を盛んに掲載するようになり、ついに「悪少年の横行」や「帝都の書生」、「女学生」などといった、生徒や学生たちの「乱れっぷり」を解説する連載まで始めてしまう。 それらの連載で、頻繁に取り上げられているもののひとつが女生徒や女学生の同性愛志向だ。 たとえば、同紙大正元年10月30日の記事によれば、某女子校の30代の女性教師は寄宿舎の舎監をしているが、教え子たる女学生たちとの関係に溺れ、「日夜の享楽」を貪っているという。その実例として、人気のない講堂でその女教師と相手の女