で、結局、「小説」という装置で、初めっからでっちあげ作戦で、書き出したが結局未完、そら未完やろうよ。それも言葉を使って言葉以前を表しますなんてよ。 わたしは知らんが苦しかったとの話。獄中壁と喋ってみた。けれど、言語はいっつもそこにあった。そらあるよ。 不毛であったと云えなくもないが、でも、小説という方法を選んだ彼は、運動神経が良かったとしか、思えない。 埴谷雄高は誤解されても駄々をこねず、や、時々は奥さんにこねたであろうが、とにかくあんなに粘って偉かった。あんなに粘って粘って、我々言葉を知ってしまう前のことを表現したがった。 多分今も、アンドロメダのちょっと裏で粘りに粘って言葉と結局睦まじくやってるんだと思う。宇宙限めいっぱい。 埴谷が睨んだ「自同律」、在るが在るとゆうことな、自分が自分をわかってしまうことな、それでそうでしかないそれが「不快」なんすよ、というこの衝動、宿命、当たり