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![YANKEE MATCH・YANKEE MATCH](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/64c7a1480c867084597be8462bec9cebd2ea4019/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-public.bigcomics.jp%2Farticlevisual%2F667%2F1716357094606_09bc00120000w00020bc.jpg)
邦楽・洋楽・ジャンルは問いません。 私は小沢健二のLIFEです。 (紹介していただいたアルバムはSpotify等で聴かせてもらいます!ありがとうございます) (追記:たくさんありがとうございます!一つずつ検索して聴いてます。1日とかではとても無理なので、時間をかけて聴かせてもらいます!) by増田
犬とチャーハンのすきま @kaekome2 ピリ辛チキンスティック 材料がゆりさんレシピの中では多め。でも計量する価値がありすぎる。ごはん泥棒。本に私のコメントが掲載されており歓喜した思い出(自慢です)。 ameblo.jp/syunkon/entry-… 2024-04-17 15:55:22 リンク 山本ゆりオフィシャルブログ「含み笑いのカフェごはん『syunkon』」Powered by Ameba 山本ゆり『【簡単!めっちゃおすすめです】やわらかい!!鶏むね肉でピリ辛チキンスティック』 きてくださってありがとうございます! 料理記事はもういいから と言われようとも、オススメなので書かせてください。(そう言ってもらえるのもまた嬉しいんですけども… 9 users 33
写真・文: 古賀及子 埼玉の実家から東京の短大に通っていた私は、入学半年ほどで通学に音を上げた。 実家は大宮とか川口といった東京に近い都市ではない、もっとずっと奥、本気の埼玉だ。学校へは片道2時間。通えなくはない、でも正直かなり遠い。実家の最寄駅を走る路線の電車の本数が少ないのにも参った。帰宅時、うっかり1本逃がすと家に着くのが1時間遅くなってしまう。 幸いにして父方の祖父母が東京に暮らしていた。まだ元気だった祖父母は喜んで私を居候として受け入れると言ってくれたから、すぐに実家を出て転がり込んだ。品川区の街だった。 祖父母にかわいがられ、すっかり居心地よくぼんやり暮らしているうちに気づけば短大の卒業はすぐそこにやってきた。短大では軽音サークルに所属していた私は、本格的に音楽活動に打ち込むのだという先輩たちに流されて、なんと就職しなかった。先輩方と違い、私はバンドにも楽器にも本気で取り組んで
この日記を書き始めて、いつの間にか9年と半年近くが経っていました。一つひとつの文章を書いているときはほとんど意識していなかったけれど、改めて振り返ると9年と半年って、ものすごく長い年月だなと思う。 日記を始めた頃は、自分の日記を読んだことのある誰かと直接会ったりするなんてことを想像していなかった。だからこそ、今まで面と向かって人に話したことがなかったようなことを(それは本や映画の感想でも)書きたいだけ書こうと思っていたし、書きたいことはいくらでもあった。読み返すと気恥ずかしいような文章もたくさんあるけれど、それはとても切実なことだった。 同じくらい、私は顔も知らない誰かの日記を読むことが好きだった。まだブックマークもなかった頃で、どうやって新たな日記を知っていたのか忘れてしまったけれど(キーワードかな?)、何らかの形で知った誰かの日記の更新を楽しみに待ち、読んで考えたことをまた自分の日記に
|忍び| ビルボ君。君が拙宅へやって来たのは丁度一年前、梅雨に入って間も無しの、未だ肌寒い夜。あの夜の救出劇(◆)から、早いもので一年の月日が経ち、真っ暗な駐車場の側溝の中で必死に助けを求めて叫んで居た、小さな小さなコッペパン程しかなかった子猫が、今ではすっかり逞しく見違えたものだね。君は確かに、アーロンの印を持ってやって来たのだ、と想う。でも君は君。無口で控えめで、辛抱強く、鈴が嫌いで、物分りが良くて。近頃では茶目っ気や、一寸した悪知恵もついてきたね。 謎のチック症。ピピンとの初対面。手探りで続けた日参。生まれつきの腎臓の障害。新年からの同居、などなど。この一年の間に色々なことが、本当に色々なことが在ったけれど、縁在って旅の仲間となって、こうして共に暮らしてくれて、有難う。あの夜。抱いて帰る道中、胸倉にしがみつく小さな命が伝えてきた、心臓の鼓動と体温。私は決して忘れまい。 +++ ビルボ
|猫随想| つい先日のことだ。父よりこんな話を聞いた。父が知人からの頼まれ事で、二丁目のOさん宅を訪ねたときのこと。Oさんは長くこの辺りの区長を務めた人で、齢七十半ばとなる現在でも、何かと世話役的な存在でご健在なのだが、父がOさんと顔を合わせるのは、随分と久しぶりのことであったらしい。玄関先で用事が済んだ帰り際 「そう云えば”ふうちゃん”はどうして居ますか?」 と聞かれた父は、”ふうちゃん”が癌を患って十年近く前にこの世を去ったことを告げると、Oさんはがっくりと肩を落とし「そうでしたか。もう長いこと見掛けなかったので、今頃どうして居るかなぁ、と…」 すると廊下の向うから 「ふうちゃん?ふうちゃんがどうかしたの?」 奥さんが不意に顔を出した。ああ、ホビ野さんの御主人がいらっしゃってね。今しがたの話を説明するOさんの言葉に、奥さんは 「本当にねぇ、ふうちゃんはやさしい子で。いつもお昼の頃になる
▼4/1 火曜日 昨夜、ベランダで夜空を眺めていて思った。ああ。星の位置がこんなにも変化したのか!本当に季節は巡っているんだな。と。当たり前過ぎる事実を噛みしめた。知っているってことと、「感じる」ってことは違う。 玉手箱が開いてオババ化も順調に進行している。やっと、普通日記を書こうかという気持ちになったので、書いてみよう。 仕事を休眠して早5ケ月。秋に聞いていた話では3月には新年度の仕事が始まる予定…とのことだったが、一週間ほど前にやっと電話が来た。初顔合わせは4/21だそうだ。わー。それまで収入なしは痛い。まあ、家もあり、食料はあるわけだから、使わなけりゃいいだけのことだが。 正直言って、地区センター図書室のパート募集回覧を見た時は、かなり心が動いた。なんたって近いし、時給も悪くない。好きな本に関連する仕事を一度は経験してみたい気持ちは前からあった。だが、、仲間とも約束したことであるし、
|本| |猫随想| 猫のよびごえ 作者: 町田康出版社/メーカー: 講談社発売日: 2013/11/29メディア: 単行本この商品を含むブログ (8件) を見る 町田家の猫シリィズ最新刊は、今や最古参となった奈々とそれに続くエル、中堅どころのシャンパン兄弟らとの暮らしに、またまた新たな猫(犬までも)が加わり、怒涛の如き泣き笑いの日々が綴られる。何しろ奈々嬢を始めとする先住の四匹は、揃いも揃って皆曲者揃い。其処へビーチだのトナだのネムリだのシゲゾーだの、次々と新たな猫たちがやって来る訳だから、当然一筋縄にはゆかぬのである。氏は終始猫らに振り回され、部屋は滅茶苦茶となり、エルは執拗にマーキングを繰り返し、奈々に至ってはストレスのあまり、カリシウィルスによる病を煩ってしまう。ようやっとビーチとトナが貰われて行くものの、ほっとする間も無く今度はシゲゾーの登場である。 それにしても『猫にかまけて』(
2013-11-08 小さな闇 日常 立冬を過ぎてこれからだんだん寒くなってくるのでハラマキをして寝ることにした。それでなくても僕はすぐお腹壊しちゃうから、一昨年あたりからカミさんの勧めもあってハラマキをするようになった。これお腹にいいというより、背中というか腰にいいんだよね。自然と腰のあたりがポカポカ温まってくる感じ。 あとはズボン下。こっちも手放せなくなったな。ボアボアの靴下とかも。膝当て(サポーター?)みたいなのもある。どんだけ重装備なんだよって。我ながらポンコツロボットみたいで可笑しい。僕がまだ35くらいまでのときは、会社でズボン下なんて穿いてる先輩とか上司をたまにロッカー室で見かけると、おじさんだなあ、とちょっとバカにしていたふうなところがあった。そういうダサイもの穿く人のセンス疑うよというかね。いっちょまえに生意気だったもので。 それはたぶん昔父親が白い股引(ステテコ)を風
2013-10-31 やさしさ 日常 『広告批評』の編集長だった天野祐吉さんが亡くなった。ときおりテレビで拝見する天野さんは、いかにも昔気質の気難しい言論人という印象だった。 きょうの毎日新聞夕刊に、その天野さんの奥さま伊佐子さんのインタビュー記事が掲載されていた。ふたりは外出のときはいつも腕を組んで歩き、雨の日は1本の傘に身を寄せ合ったという。 ある日、伊佐子さんが「祐ちゃんが死んだら生きていけない」というと、天野さんは「次の日にはちゃんとお迎えにいく」。そう約束してくれた。 ふたりは、天野さんの酸素吸入がはじまったあとは筆談ノートで会話をつづけ、天野さんはそこに薄いえんぴつ文字で妻への言葉をつづっていたのだ。亡くなるまでの5日間、天野さんは言葉で、文字でひたすら妻への愛(いたわり)を伝え続けた。そんな天野さんの最期の言葉が、「伊佐子を一人にしない。僕は死なない」「一緒に家へ帰ろう」だ
2013-09-17 「ブログは書く人のためにある」というのはほんとそうだなあ 日常 朝起きたときから身にまとわる空気は心なしかひんやりしていた。 そして昼間見上げた空は、台風一過で抜けるように青く高かった。子どものころは空が高いなんて言われても、どこにそれを測る定規や目盛があるんだと正直ピンとこなかったが、大人になったいまはそんなものなくてもはっきりわかる。 定規なんかなくったって、日々空や雲を見上げていれば自然と空が高いということくらいわかるようになるものだ。ということがわかった。大人になってよかった。 夕方にはバス通りの一本の街路樹に、たくさんのムクドリが集まってピーピーピーピー大合唱がはじまっていた。エサになる虫たちも台風のあといっぱい集まってきたのだろうか。 信号が青に変わるのを待つ人たちがみんな、驚いて街路樹を見上げている。合唱の正体は木の葉に隠れて見えないのが手品みた
|縷々| 時折来店するお嬢さんが居る。数年前は高校生であったから、歳の頃二十歳になるかならぬかの学生さんか。とても物静かで繊細な感じのお嬢さんで、ぱっと見には分からないのだけれど、恐らく片方の足に障害を持って居る。いつだったか。いつも歩いて来る風なので、お住まいは近くなの?と聞いたところ、親戚がこの近くに居るのだが、お嬢さん本人は電車で四十分程離れた町に住んで居て、だから独りで来るときには、わざわざ電車とバスを乗り継いで来てくれるのらしい。不自由な足を抱えて。この日、彼女から小さな一筆箋へ書かれた手紙を頂戴した。揃いの封筒に入れられて、控えめなランプの絵の施された、楚々とした小さな和紙の一筆箋。 遠くに住んで居るのでなかなか来られないのが残念ですが、嫌なことや哀しいことが在っても、ここへ来て珈琲を飲み、色々な本を読んで過ごして居ると、ゼロになってリセットできる。美味しい珈琲とひとときを有難
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