我邦(わがくに)現代における西洋文明模倣の状況を窺(うかが)ひ見るに、都市の改築を始めとして家屋什器(じゅうき)庭園衣服に到(いた)るまで時代の趣味一般の趨勢(すうせい)に徴して、転(うた)た余をして日本文華の末路を悲しましむるものあり。 余かつて仏国(ふつこく)より帰来(かえりきた)りし頃、たまたま芝霊廟(しばれいびょう)の門前に立てる明治政庁初期の官吏某の銅像の制作を見るや、その制作者は何が故(ゆえ)に新旧両様の美術に対してその効果上相互の不利益たるべきかかる地点を選択せしや、全くその意を了解するに苦しみたる事あり。余はまたこの数年来市区改正と称する土木工事が何ら愛惜(あいせき)の念もなく見附(みつけ)と呼馴(よびな)れし旧都の古城門(こじょうもん)を取払ひなほ勢(いきおい)に乗じてその周囲に繁茂せる古松を濫伐(らんばつ)するを見、日本人の歴史に対する精神の有無(うむ)を疑はざるを得ざ