December 28, 2011 震災当日を振り返る(3月11日のメール記録から) カテゴリ:カテゴリ未分類 本日1つ目のエントリーをアップします。 画像がなく、テキストばかり(しかも長文)でつまらない内容になると思いますが、しばしお付き合い下さい。 エントリーの内容は、2011年3月11日(金)の東日本大震災後に相方さんと交わしたメール記録から当時の状況を振り返ってみました。 年末になり、今年を象徴する出来事ということで、私どもの『備忘録』として残しておきたいと考えたからです。 その日の朝、いつも通りに朝5:53にひばりヶ丘駅を出発する渋谷行きに乗車しました。 お彼岸も近付いてきている頃でしたので、夜明けも早くなってきており、たまたま東の方角に向いて座ったため、空を赤く染める朝焼けが広がっていました。 しかし、気持ち悪いぐらいどんよりとした朱色の空になっていたことを今でもはっきり憶えて
津波を実験する施設とかあったりするんでしょうね。 たとえば津波のメカニズムとか、ミニチュアでやったり? そういうの津波被害とかあるとテレビでやりますよね。 津波実験で何か、エネルギーに転換するような装置とか、 開発されないんですかね。 津波ってすごいエネルギーですものね。 カロリーとかに変換したり?するとどれくらいなんだろう。 【協賛サイト】 れもんの日々 【参考情報】 ○「小名浜は元気なんだ」観光遊覧船、運航再開○ 東日本大震災後、休業していた福島県いわき市の観光遊覧船が25日、運航を再開した。 第1便には、地元の保育園児ら約60人が招待され、いわきマリンタワーや小名浜港の風景などを楽しんだ。 再開したのは「いわきデイクルーズ」(鈴木秀夫社長)の遊覧船。東日本大震災前は2隻を運航していたが、津波で同社の事務所や小名浜港の岸壁が被害を受けた。さらに東京電力福島第一原発事故の風評被害で長期休
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震に端を発する東日本大震災をきっかけに、福島大学行政政策学類の教員有志でブログを開始しました。福大行政に関わる情報共有・情報発信の場として、このブログが、読者のみなさんとわたしたちの、また、みなさん同士の結節点になれば嬉しいなと考えています。一緒に手を携えて、この難局を乗り切っていきましょう。 (2012年3月26日記) こんにちは。ぴたです。 ぴたのゼミでは、震災以降、いろいろな仮設で、それこそ様々なイベントを開いてきました。 一躍有名になった足湯活動もやりましたし、仮設のみなさんと弁当を一緒に食べてお話ししたり、たい焼きを焼いてお配りしたり、さらには、プランターと野菜苗をセットにして配る「緑のカーテンプロジェクト」などもやりました。 こんな言葉を聞いたことがあります。 「放射能が降って避難生活を送ることになるなんて、考えたこともなかった」
今日はJICA東京本部さんへ。 この1週間、 取り組んでいた資料整理と 取材前予習&取材やっとすべて終了! アフガニスタンの 女性のDV被害と性暴力、性差別をテーマに 漫画を制作させてもらいます。 アフガニスタンの女性は 被害を訴えると 地域の慣習法により 逆にその女性が 「罪人」として処罰され 命の危険に晒される事が多いそう。 「写真で当事者の顔を出せないから 漫画にしたい」とご依頼を頂きました。 「漫画が伝える力」に 期待して頂いて感激…。 いい作品を作りたいなあ…。 そして今日の取材では ある再会が。 自費でお邪魔した1回目のラオス取材の時、 現地でお会いした男子が JICA職員になって なんとこの取材のお世話を してくれていたのでした。 「すっかり大人になって〜」なんて 照れ隠しで冗談を言ってしまいましたが 嬉しかった〜。 不発弾や、母子保健について 取材させてもらった、 あのラオ
January 10, 201301:55 カテゴリ 思うこと 今頃ここに戻ってきた理由… それは、ツイッターではとても書きにくいことをつらつらと呟いてみようかと思ったからでした。 きっかけはこちらのまとめ 河北新報『わがこと 防災減災』をめぐる考察 みんなで考えたい地域と学校の津波防災 この二つのまとめがあったからでした。 以前にもブログ記事にしたと思うのですが 私は一貫して、二つ目のまとめと同じように考えています。 遺族の方は納得いかないでしょうし、とてもつらい思いをされていることは 想像に難くありません。 私も子を持つ親ですし、自分の子が学校で被災していなくなったりしたら… 冷静でいられる自信があるわけではありません。 そう言う意味では、遺族の方の行動や気持ちのやり場などの点から 真実を知りたい、もしかしたら助かったのではないかと思う気持ちは あたりまえだとも思うし、行政がうまく応え
明るいうちに帰れるようになってきた。 とはいえ、仕事のピークが過ぎつつあるだけ 春を喜べる季節には、あと少しかかりそう
お昼はカンボジアなのに、タイ料理のレストランに案内された。まぁそういう事は全然気にならない。 店内に案内されて、ベンチ式になってる椅子に奥のほうに向かって横から座ろうとしたら、そのベンチ式長椅子が妙に軽くて、つかんだ背もたれが後ろに傾いた。 もう少しでベンチ椅子ごと後ろにひっくり返りそうになって焦った(笑) そしたらテーブルごとに立って待機していたウェトレスの若いおねーさんに凄くウケちゃって、笑ってはいけないのに、こみ上げて来る笑いを、顔を真っ赤にしてコラえている風だった。その顔がまた可愛かった。 思わず自分のほうから「ねぇ~、後ろにひっくり返ったら大変だったよねぇー」と笑いながら話しかけたら、日本語が分からない風なのに何故かより一層笑いを誘った。 (これがまさにリアルな異文化交流だ。笑) 出されたのはタイ式鍋みたいだった。 スタンバイして待っていたさっきのウェイトレスのおねーさんがどんど
サービス終了のお知らせ いつもご利用いただきまして誠にありがとうございます。 大変勝手ではございますが、ご覧のサービスは2020年9月30日をもちまして終了いたしました。 皆様方に長らくのご愛顧頂きましたことを深く感謝申し上げます。 Sorry,This service has ended . Thank you for using our service for a long time.
荒木田 岳の備忘録 311の衝撃は、私の、そしてフクシマに住む多くの人の生活を、変えてしまった。 仕事をふやすことも、「走り続ける」ことも苦手な私だが… ここには、福島大学の教員(行政政策学類・准教授・地方行政専攻)として最低限発信しておきたいことを書くことにする。 社会がゆっくりと音も立てずに崩れていく 人知れず南極の氷がとけていくように 福島にいると、それが手に取るようにわかる。 当初は、「巨象」と戦うようなつもりで始めたブログであるが、すっかり意気消沈して先が続かなくなっている。 書く材料も、書きたいことも山ほどあるのだが、書くことを躊躇させる材料が多すぎる。人目を気にするタイプではない方だと思うが、福島の現実は厳しすぎて、つい読み手の気持ちを忖度し、考え込んでしまう。 職場から帰って、明かりを落とした部屋で、食卓の白熱灯の下、ひとりで不健康な夜食を口にしながら「いま、妻や子どもはど
◆東日本大震災後の暮らしや、防災・減災、被災地復興にかかわる様々な人・仕事を伝えるフリーペーパー「東日本大震災を乗り越える親子の記録・こざかなのみみ」第3号が完成致しました。これからの社会を担う子供たちが、生まれ育った町や自らの将来に興味関心を得られるよう内容を吟味し、親しみやすいイラストや漫画を添えた構成となっておりますので、是非ともお手に取ってご覧頂きたく存じます。 ~主な内容~ 1)防災・減災、被災地の未来:震災体験記(気仙沼編) 2)ぼくたち・わたしたちにできることってなんだろう? :先輩の体験に学ぶ災害ボランティア活動 3)暮らしを支える人・仕事 :動きの専門家・理学療法士による 応急仮設住宅のバリアフリー化に向けた取り組み(石巻編) ◆創刊時から継続的にご支援・ご指導頂いておりますライオンズクラブ国際協会様をはじめ、全国各地のサポーターの皆様、そして、今回、55000部もの配布
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く