柴田哲孝氏が下山事件に情熱を注ぐようになったきっかけは、祖父が事件の実行グループと深く関わっていたという衝撃の事実だった 戦後最大の謀殺ミステリーとされる「下山事件」――1949年7月6日未明、東京都足立区の常磐線と東武伊勢崎線が交差する高架下付近の線路で当時の国鉄総裁、下山定則(さだのり)氏が轢死体(れきしたい)で発見された事件である。 捜査の過程で浮かび上がった物的証拠は明らかに「他殺」の可能性を示していたにもかかわらず、約1ヵ月後、事件は強引な形で自殺説で収束させられ、やがて捜査も打ち切られた。 *** 多くの謎を残したこの事件に挑んだのが、作家・柴田哲孝(てつたか)氏だ。2005年にノンフィクション『下山事件 最後の証言』を発表、今年6月には「小説」の形で『下山事件 暗殺者たちの夏』を刊行した。 柴田氏が事件を追い始めたのは1991年。祖父が事件の実行犯グループにいたことを知ったの