柴田哲孝氏が下山事件に情熱を注ぐようになったきっかけは、祖父が事件の実行グループと深く関わっていたという衝撃の事実だった 戦後最大の謀殺ミステリーとされる「下山事件」――1949年7月6日未明、東京都足立区の常磐線と東武伊勢崎線が交差する高架下付近の線路で当時の国鉄総裁、下山定則(さだのり)氏が轢死体(れきしたい)で発見された事件である。 捜査の過程で浮かび上がった物的証拠は明らかに「他殺」の可能性を示していたにもかかわらず、約1ヵ月後、事件は強引な形で自殺説で収束させられ、やがて捜査も打ち切られた。 *** 多くの謎を残したこの事件に挑んだのが、作家・柴田哲孝(てつたか)氏だ。2005年にノンフィクション『下山事件 最後の証言』を発表、今年6月には「小説」の形で『下山事件 暗殺者たちの夏』を刊行した。 柴田氏が事件を追い始めたのは1991年。祖父が事件の実行犯グループにいたことを知ったの
東京都知事選挙が公示され、 2月9日開票に細川護煕氏が小泉純一郎氏の応援を後ろ盾に「原発ゼロ」を掲げ、名乗りを挙げた。 私は ご承知の通り かつて 細川政権を倒して自・社・さ政権を作り、 小泉純一郎氏とは総裁選を闘い、その後の郵政解散で決定的に袂を分かった男だ。 だがこの2人の連係プレーに凄い勇気だと感服している。 2人とも総理辞職後は早々と政界を後にし、 それぞれ自分の趣味を楽しみ、恐らく人生を謳歌していたに違いない。 それがここに来て大きな敵に向かって真っ向から異を唱え、立ち上がったのだ。 「何故か?」 このまま自分達だけ平穏に過ごして未来に大きな禍根を残してはいけないと考えたからに違いない。 東京都知事選は原発だけが争点ではない と まことしやかな意見もあるが 本当にそうだろうか? 都民有権者に よく考えて貰いたい。 東京は最大の電力消費都市である。 その都民が脱原発を選択する影響力
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