人は誰も他者の痛みを自分の痛みとして感じることはできない。しかし、自─他の感覚が絶対的に断絶されているとしても、私たちはせめてそこに橋をかけようとすることはできる。想像力という武器によってである。辺見庸氏は、他者の痛みにまで想像力の射程を届かせることのできる稀有な作家だ。そして、その透徹したまなざしは、常に痛みをともなう生を生きる者たちに向けられている。では、そんな氏のまなざしに、存在そのものが痛みともいえる障害者たちはどう映るのか。お話をうかがってみた。 聞き手:桐谷匠(D.culture編集部) 辺見氏は2004年、脳出血と癌という二重の災厄に見舞われ、ご自身も身体に障害を持つ身となられた。リハビリ期間中に行われたインタビューで、こう述べている。「世界というものを制覇しつつある側が<健常>を僭称し、言い募り、我々の多くもその幻想の中で生きているが、健常じゃないことの公正さってあるんだね
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