進行乳がんのため闘病中であった小林麻央さんの訃報が流れ、多くの方がまだ悲しみに暮れている最中でしょう。病気が公になって以来、日々のブログから届く麻央さんの声や言葉が、多くの人たちの共感を呼びました。また、がんという病気と日々向き合っている、スポットライトを浴びることもない多くの患者さんたちにとっても大きな勇気や希望となっていたはずです。 結果的に治ることが難しいがんを背負いながらも、愛する夫、子供、家族のために、1日でも長く、自分らしく生きたいと希望する営為の数々。麻央さんは、自らの病気を通して「生きる」ことの本当の素晴しさを私たちに教えてくださいました。謹んで、心からご冥福をお祈り申し上げます。 さて、昨年の10月に、あるクリニックのホームページ掲示板に以下のブログ記事が掲載されました。当時、まだ麻央さんが闘病中であったにもかかわらずです。現在は削除されていますが、アーカイブは削除されな
2年8か月にわたる闘病生活のすえ、旅立った小林麻央さん(享年34)。麻央さんの命を奪った根本である乳がんが発覚したのは2014年10月のこと。そのときすでにリンパ節への転移も確認された。当時、麻央さんが通っていた都内のA総合病院では、「早めに切るべき」という治療方針が示されたというが、麻央さんと夫・市川海老蔵(39才)は切らずに治す方法を模索していた。 「世界中のがん治療の統計によって導き出された最も有効とされる治療のガイドラインでは、切除(手術)・薬物・放射線治療が『標準治療』の3本柱とされています。程度の差によって、これを組み合わせていくのが治療の基本です。ところが、ネットなどに膨大な医療情報があふれている現在では、この標準治療を“最低限の治療”と誤解している人も少なくない。お金さえ出せば、ゴッドハンドと呼ばれる医師の元を訪ねれば、別の“特別な治療”を受けられるのではと考え、いつまでも
佐伯貴弘 Takahiro Saeki 1970年生まれ。大阪市東成区出身。尽誠学園、大阪商業大学を経て、1992年のドラフト会議にて横浜ベイスターズから2位指名を受け入団。98年はマシンガン打線の一角を担って活躍し、38年ぶりのリーグ優勝・日本一に貢献した。2010年は前年レギュラーとして起用されていたにもかかわらず、開幕から2軍行きを通告されて10打席の出場にとどまり、そのまま戦力外通告を受けた。中日ドラゴンズへ移籍し、日本シリーズにも出場したが、11月に二度目の戦力外通告を受ける。1年以上の浪人時期を過ごし、13年1月28日に引退を決意。14年から16年にかけて中日の2軍監督、1軍守備コーチを務めた。(写真・NAONORI KOHIRA) 「2010年は、佐伯貴弘にとって、最高の年になりました」 人生には生き方を根底から覆すような言葉に出合うタイミングが何度かある。私にとってのそれは
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