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ハロウィンがケルトの習俗に由来するというお話を、私は、この一週間の間に5回ほど聞かされた。 同じ話は、テレビでも紹介されていたし、ツイッターの@欄にも流れてきた。ナマの人間によるナマの解説も、二回ほど聴かねばならなかった。 なるほどケルトでしたか、といった感じで話題を聞き流しながら、私は、唇を噛んでいたと思う。そうしていないと 「うっせえな知ってるよ」 という言葉が、ノドの奥から飛び出してきてしまうからだ。 ケルトのお話が無意味な知識だと言っているのではない。いつだったのかは覚えていないが、はじめて聞いた時にはそれなりに感心もした。 でも、正直なところを申し上げるに、私は、こういう「トリビア」に属するエピソードを誰かに教えてもらうことに対して、かなり以前から、食傷している。 だって、そんな話は、いまこの場でググれば、いくらでも表示される話で、この話に限らず、もはやその種の「ちょっと耳寄りな
■「studygift(スタディギフト)」の炎上問題について 当初の予想をはるかに超えて、議論がものすごく白熱してきた、クラウドファンディングの「studygift(スタディギフト)」の炎上問題に、一言口を挟んでおこうと書き始めたが、ものすごく迂遠な雑文になってしまった。だが、こういう観点もありうる、という一考にはなっているのではないかと思う。よろしければ少し我慢しておつきあいいただければ幸いである。 ■日本の市場を席巻していた政官財のトライアングル 最近でこそ、特に、IT業界の内側にいると、法律的な判断が難しい案件を安易に行政府や官僚、司法、政治家等に丸投げすると、時代錯誤の珍妙な判断が下って苦労することが少なくない事は自分自身でも骨身にしみるようになってきたが、旧来の業界(特に監督官庁の管理の強い業界:金融、エネルギー産業等)にいたころは、今とはずいぶん違った環境/心境であったことを時
悪いけど今回はなかよしできない。いい加減堪忍袋の緒が切れた。 「人間はコンテンツじゃない!」と叫ぶのは、結局の所「人間は歯車じゃない!」と叫んでいるのと同じだ。 程度の低い感情論でしかない。 いいか、もう一度言う。 人間はコンテンツでしかない。 コミュニケーションによってコンテンツ力が高まる おまえが何かのコンテンツに対して言及したとしよう。その時点で既にお前の発言も「そのコンテンツと同化」する。これがお前がコンテンツである大きな理由の一つだ。 俺たちがコンテンツに対して発言をしたり話題にしたりすればするほど、そのコンテンツがもつ温度は高まっていく。 ソーシャルネットワーク化したネット上では、自分でコメントを考えなくてもボタンひとつで「シャアします!」できるしな。さらに自分の友だちがそのコンテンツに対して言及してたら効果は二倍だ。気になるアイツが言ってるのって、ついついクリックしちまうしな
橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化 はてなブックマーク - 橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化 これさー、信じる信じないにかかわらずやっちゃダメな見本だろ。 実在の人物の名前を騙って嘘を書くのはただのデマ。 「虚構新聞を信じるほうが悪い」だの「ソースを確認しろ」だの言ってる奴がいるけど、そんなもんただの個人サイトのポリシーの話なだけじゃねえか。 俺があいつ死ねこいつ死ねって言ってもし誰かに訴えられて「いやーそういう口調のブログですから」で「そっかー、じゃあ仕方ないね^^」ってなるか? 嘘しか書きませんよーが免罪符になることなんかねえんだよ。 ネタとして面白いとか思わせたいならやり方なんかいくらでもあるだろ。 このネタだってやるなら「大坂市長の橋本氏」でいいじゃねえか。 誰が読んだってジョークってわかるしそれでいて内容も理解できる。 名前が実名じゃないことでネタのレベルが
猫が20歳になった。 あの事件は選挙結果を変えたのか?【青学講義覚書】 『数学的に話す技術・書く技術』という本を書いた理由。 小池都知事と国防婦人会と、広告的なもの。 裏からあぶりだす戦後の中東。『イスラエル諜報機関暗殺作戦全史』 月別アーカイブ キャリアのことも (142) マーケティング (128) メディアとか (62) 世の中いろいろ (190) 広告など (49) 未分類 (18) 見聞きした (130) 読んでみた (119) 遊んでみた (14) 雑記 (25) 食べてみた (8) 2013年 CM facebook グリー テレビ テレビ局 ネット フジテレビ ベルリンフィル マーケティング メディア ヤルヴィ ヤンソンス ラトル リクナビ ワークショップ 内閣支持率 制作費 博報堂 営業 大学生 大相撲 宝塚 就活 就職 広告会社 感想 投票率 採用 新入社員 新聞 書店
「要は、勇気がないんでしょ?」メソッドとは4年前に流行った記事で用いられた、自らの発言責任回避して好き勝手なことを言う手法で、最近で言うとマック女子高生メソッドなどに応用されている。 ◆要は、勇気がないんでしょ?http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080316/1205641886◆「マックの女子高生メソッド」他、発言の責任を架空の人物になすりつけるメソッドまとめhttp://blog.shojimiyata.com/joke/mac_jk.htmlhttp://blog.livedoor.jp/manamerit/archives/65537617.htmlマック女子高生メソッド、女子高生というバズワードを序盤に盛り込むことでツイートへの関心を引け、さらに発言の責任を第3者に委譲することで意見者(自分)への批判を避けれる効果 要するに、自分の言いたいことのコアの
「ひろゆき」みたいな人間が増えていくと,人類は滅亡する!――川上量生氏との対談企画「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」年末特別号 副編集長:TAITAI 12→ ドワンゴの代表取締役会長・川上量生氏との対談企画「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」。連載が開始されてから,まだ2回という本企画だが,そんなことなどお構いなしに,2011年を総括する「年末特別号」をお送りしたい。……とはいっても,内容はいつも通りで,相変わらずのぐだぐだ話である。 今年を締めくくるテーマは,「ネットの未来は本当に明るいのか?」。近年,インターネットの普及と発達によって,さまざまな分野が劇的に便利になっていく一方で,デマ拡散などでも見受けられるネットリテラシーの問題や,集合知ならぬ集合愚の問題など,いろいろと負の面も顕在化してきたようにも感じられる。そんななかで,インターネットが世の中,ひいては人間に与える影
激動の2011年も残りわずか。新年をフレッシュな気持ちで迎えるために、そろそろ部屋のガラクタや不要品の総点検……いわゆる、年末の大掃除のことを考える時期である。部屋の整理整頓をして、モノへの執着から離れて身軽な人生を送る整理術も市民権を得たいま、「年末のこの機会に要らないものを断つ!」と考える向きは多いことだろう。 ところがその一方で、「モノよりも優先して捨てるものがある」と語るのは社会評論家の岡田斗司夫氏。「レコーディングダイエット」の実践・開発者である氏が提言する「モノより優先して捨てるべきもの」となると、要らないものはやはり腹回りに蓄えた脂肪か? 「体型の悩みは人それぞれなので一概に『脂肪が要らない』とは言えません(笑)。僕が思う現代のオトナが捨てるべきことは『ネット、トレード、自分探し』の3つです。これは21世紀の『酒、ギャンブル、女』に置き換えられます。もちろん、やらないと人間の
■編集元:ニュース速報板より「J('ー` )し「ゆうちゃん。あんたはね、ネットだけの知識で頭おかしくなってるよ」」 1 名無しさん@涙目です。(秘境の地) :2011/10/09(日) 23:08:36.47 ID:7q03SeTP0 ?PLT(12000) ポイント特典 スマートフォン中毒 氏は「以前は2時間あれば書き上げることができたはずの原稿が、最近は5時間以上かかることがある。 そのたびに自分の無能さをのろった。しかしネットにつながったパソコンで原稿を書くということは、大好きな推理映画を見ながら、映画が終わるまでに時事コラムを書くようなものだということが分かった」と告白している。これは決して人ごとではない。 ポケベルから携帯電話、ノートパソコンからスマートフォンへと移り変わる時代の流れの中で、記者も「ネット・バカ」になってしまっているからだ。取材の代わりにネット検索という
個人的印象だが、ネット上での匿名発言の劣化がさらに進んでいるように見える。 攻撃的なコメントが一層断定的になり、かつ非論理的になり、口調が暴力的になってきている。 これについては、前に「情報の階層化」という論点を提示したことがある。 ちょっと長い話になる。 かつてマスメディアが言論の場を実効支配していた時代があった。 讀賣新聞1400万部、朝日新聞800万部、「紅白歌合戦」の視聴率が80%だった時代の話である。 その頃の日本人は子どもも大人も、男も女も、知識人も労働者も、「だいたい同じような情報」を共有することができた。 政治的意見にしても、全国紙の社説のどれかに「自分といちばん近いもの」を探し出して、とりあえずそれに同調することができた。 「国論を二分する」というような劇的な国民的亀裂は60年安保から後は見ることができない。 国民のほとんどはは、朝日から産経まで、どれかの新聞の社説を「口
前回のエントリでネット原住民というものが存在するという話をした。ネット原住民とはリアルの世界ではなくネットの世界を中心に住むことを決めたひとたちにぼくが勝手につけた呼び名だ。 ネット原住民というものはどういう性質をもっているか、今後、どうなっていくとぼくが予想しているかについて今回は書いてみたい。 ネット原住民とは基本的にはリアル社会から疎外されているひとたちである。リアル社会からネット社会にうつる理由はさまざまでリアルに居場所がないからというひともいれば、ネットのほうが純粋に楽しいからというひともいる。だが、やはりいまの日本はそれでもリアル社会の吸引力は強いから、主流は前者だろう。そういう意味でネット社会はある種のリアルで生きづらい人間のふきだまり的に集まったという側面をもっていて、ある種の連帯感は強いものの個別にはそれほど強固な人間関係で結ばれているわけではない。敵にまわすと恐ろしいが
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